GOOD DESIGN AWARD
グッドデザイン賞

グッドデザイン賞は1957年(昭和32年)の通商産業省主催「グッドデザイン商品選定制度(通称Gマーク制度)」創設以来、約60年以上にわたり「よいデザイン」を顕彰し続けてきました。この年月のなかで社会や我々が向き合うべき課題も変化し、それに伴いデザインに求められる役割も変化してきました。そして今もなお、我々が向き合うべき課題やデザインに求められる役割は刻一刻と変化しています。
グッドデザイン賞も、このような状況変化に対してその仕組みを柔軟に変化させてきました。グッドデザイン賞の歩みは、日本のデザインと産業の「マイルストーン」とも言われています。ここでは、グッドデザイン賞が辿った歴史と社会状況や様々な指標とを照らし合わせつつ、日本のデザインと産業にどのようなマイルストーンがあったか、そしてこれからどのような時代が到来し得るのかについて歴史を5つのフェーズに分けて考察してみます。

歴史とこれから - 概要

1.第一フェーズ「復活の時代」

意識改革に必要とされたデザイン

「Gマーク制度」は1957年に設立されましたが、その契機となる出来事は8年前の1949年(昭和24年)に遡ります。この頃の日本はまだサンフランシスコ講和条約締結(1952年)以前であり、GHQの管轄下に置かれていました。この年、イギリスからGHQを通じて日本の輸出織物の意匠がイギリス製品を盗用していると抗議されたことを皮切りに、イギリスのみならずアメリカやドイツなどの先進諸国から輸出品のデザイン盗用問題の指摘が相次ぎ、外交問題に発展しました。これを受けて政府は輸出検査や輸出意匠の登録・認定などの制度整備を行いました。これらは一定の成果を挙げましたが、根本的に模倣を防止するにはオリジナリティのあるデザインを奨励するべきであるという動きが政府をはじめ民間企業の中でも起こり始めます。この動きのひとつとして1956年(昭和31年)に特許庁内に「意匠奨励審議会」が発足します。
一方、イギリスでは経済復興と貿易発展に対してデザインが大きく寄与するものとの考えから1944年(昭和19年)に「産業デザイン協議会(CoID)」が発足し、グッドデザイン商品を選定する取り組みを始めます。この動きはその後、様々な国に展開されていきます。日本も例外ではなく、有志がグループを結成し、デザインの国際交流や百貨店とタイアップした優良デザイン商品の展示、美術館でのデザイン展などに取り組み始めます。
こうした2つの動きが重なり、1957年(昭和32年)に意匠奨励審議会内にグッドデザインの選定事業を行う「グッドデザイン専門分科会」が発足し、建築家の坂倉順三氏を審査委員長とした専門家42名による「グッドデザイン商品選定」が開始されました。これがグッドデザイン賞誕生の瞬間です。

当時はまだデザインという言葉も一般的ではなく、企業でもほとんど実践されていませんでした。そこで審査委員自身が街へ出て、「よいデザイン」を探し出すことから始めたといわれています。大変な労力と根気を必要とする選定でしたが、我が国の産業と生活を発展させていくためには「デザインが必要だ」という強い思いが、この制度を生み育てていきました。
時を同じくして日本国内では企業の中にデザインを専門に行う部署(インハウスデザイン)を設置する動きが高まります。1951年(昭和26年)年には松下電器産業(現・パナソニック)内にデザイン部門、1953年(昭和28年)には東京芝浦電気(現・東芝)内に意匠課が発足し、その後も様々な企業においてインハウスデザインを設置する動きが広がります。
このように企業によって少しずつデザインが実践され始めたことを背景に、「Gマーク制度」は創設7年目の1963年(昭和38年)から「公募形式」へと移行します。また制度自体も、主催する通商産業省によって次第に整備され、この頃から「輸出振興のためのデザイン」という当初の目標が具体化されていきます。
当時の日本の輸出商品は、「機能が同じなら、より高品質で低価格を目指す」という方針で市場を獲得していきます。また企業が実践するデザインも「オリジナリティの追求」というよりは、デザインを通じて「作り込みをしっかり行う」ことに主眼が置かれるようになっていきます。これに応じてGマーク制度の審査も1967年(昭和42年)からは品質検査を導入するなど、「商品としてのトータルな質」を追求する方向へと転換し、「Gマーク」は「クオリティの高い商品」の基準(スタンダード)を示すものとなっていきました。
一方、経済の動きに目を向けると、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを契機に消費主導型の「いざなぎ景気」が起こり、国内のインフラ整備が整うと同時に新三種の神器と呼ばれる車、エアコン、カラーテレビなどが広く普及し、経済大国へと成長した頃でもあります。また、これまで赤字続きだった貿易収支は黒字基調へと転換したのもこの頃です。
戦後の復興から経済大国への成長、盗用防止と企業内のデザイン導入、そしてグッドデザインの奨励制度の発足、この頃の日本はまさに失ったアイデンティティを取り戻すための「復活」の時代だったといえるでしょう。

歴史とこれから - 復活の時代

2.第二フェーズ「ジャパンオリジナルの時代」

心の豊かさに着目したジャパンオリジナルと国際化

1970年代になるとデザインに対する経営者の認識も進み、Gマークに対する一般の認知度も65%を超えるなど、成果が目に見えるようになってきます。これに伴い、1969年(昭和44年)には総合的なデザイン振興機関として財団法人日本産業デザイン振興会(現・公益財団法人日本デザイン振興会、以下「デザイン振興会」)が設立され、さらに1970年(昭和45年)には日本商工会議所からGマーク商標権の専属的な使用許諾を受け、1974年(昭和49年)には通商産業省よりGマーク選定業務を受託したことにより、デザイン振興会が専属的にその業務を実施するようになります。
一方、日本経済の状況といえば、オイルショックによる一時的な後退はあったものの順調な経済成長率を示し、貿易量も堅調に増加します。また、1970年の大阪万博開催に象徴されるように国際社会への貢献が求められるようになってきました。これに伴い、経済政策や産業政策もそれまでの生産第一主義、輸出貿易重点主義から国民生活の質的向上へと目が向けられるようになりました。1970年代後半には「これからは心の豊かさか?それとも、まだ物の豊かさか?」という問いに対して「心の豊かさ」が上回るようになり、単なる物理的充足による効率化や利便性向上だけではなく、人間の心に内在する潜在的な「潤いある生活をしたい」という欲求に対してどのような解を提示するかがデザインの主題となっていきます。
このような状況下において、ソニーからは1979年(昭和54年)にウォークマン、1980年(昭和55年)にはプロフィール、本田技研工業からは1981年(昭和56年)にシティ、1983年(昭和58年)にはシビックなど、世界に対して発信力の高い製品が数多く登場するようになります。「心の豊かさ」にデザインの主眼が置かれ始めたがゆえに「ジャパンオリジナル」と呼ぶべき製品が数多く登場し始めた時代であるといえるでしょう。
Gマーク制度においても、こうした時代をリードする先端的なデザインを顕彰すべく、1977年(昭和52年)には「部門別大賞」を選ぶ特別賞、1980年にはその年を象徴するデザインを選ぶ「グッドデザイン大賞」が設けられました。また、1975年(昭和50年)にはドイツのブラウン社やオランダのフィリップス社から応募が行われ、徐々に国際的な色を帯び始めます。さらに「生活の質の総合的な向上」を目指して1984年(昭和59年)にGマーク制度はその審査対象を「すべての工業製品」へと拡大します。家電製品などの消費財の分野では、「よいデザイン」が数多く生み出されるようになり、生活者の製品に対する意識の向上とともに、個人生活には質的な充実がもたらされるようになりました。しかし労働や医療、教育などの公共的な環境の質はまだ十分とは言い難い状況でした。Gマーク制度はこうした状況に対し、「生活の質を総合的に向上させる」ことを目標に掲げ、デザインを積極的に導入することを振興しました。
これはデザインの対象を広げることでデザインマーケットを拡大するとともに、それまでは個々の消費財で蓄積されてきたデザインの方法を、新しい分野へと展開する契機ともなりました。審査委員会にもさまざまな領域の専門家が参加するようになり、Gマーク制度もより開かれた制度へと変化していきました。

歴史とこれから - ジャパンオリジナルの時代

3.第三フェーズ「価値変化の時代」

価値変化とグッドデザイン賞としての再出発

1980年代に世界中を席巻したジャパンオリジナルは貿易不均衡を生み出し、特にアメリカを中心にジャパン・バッシングと呼ばれる貿易摩擦問題を引き起こしました。一方、国内に目を向けると不動産投機をはじめとしたバブル経済状態にありました。ところが、このバブル経済は1991年(平成3年)頃を境に崩壊の一途を辿ります。これまでの価値観に疑問を抱くひとつのきっかけともなった出来事といえるでしょう。疑問を投げかける出来事はこれに留まりません。1995年(平成7年)には阪神・淡路大震災が起こります。倒壊した高速道路や建物は我々に多くの衝撃を与えました。また、同年には地下鉄サリン事件も起こりました。世界に目を向けると、1991年のソ連崩壊や2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件、同年にはエンロン事件など、様々な事件が起こります。こうした事件は我々がこれまで信じてきた物事に対して多くの疑問を投げかけ、何に重きを置くべきかもう一度考え直さなければいけないという意識を生み出したのではないでしょうか。
一方、欧米のデザイン先進国では、地球環境問題などに積極的に取り組む新しいデザイン潮流も生まれてきました。1997年(平成9年)には京都議定書も合意され、デザインにおいても「エコロジー」や「ユニバーサル」、「サスティナブル」といった言葉が頻繁に登場するようになります。こうした状況の中Gマーク制度では、日本のデザインが国際水準をリードするために取り組むべき新たな目標として、「インタラクションデザイン(使用者との対話があるデザイン)」、「ユニバーサルデザイン(使用時に差別のないデザイン)」、「エコロジーデザイン(地球環境を考慮した持続可能なデザイン)」を掲げ、1997年にはこれに対応する3つの特別賞を新設することで、その具体的な促進を図りました。
時を同じくしてGマーク制度自体にも見直しが行われます。この制度が始まった当初の目的でもあった「産業へのデザイン導入促進」はその目標を一定程度達成したと見受けられ、「この事業を存続させるとすれば、どのような役割を果たすべきか」ということが多く議論されました。この結果、行政のスリム化を背景に通商産業省主催のグッドデザイン商品選定制度は1997年に終了し、翌年の1998年(平成10年)に日本産業デザイン振興会主催の「グッドデザイン賞」として再スタート(民営化)します。
この「選定」から「賞」への変更に伴い、審査基準も「優れたポイントを評価、推奨する」という方向性へ大きく改訂され、「よいデザインを見つけ、社会へ伝えていく」活動へとシフトしていきます。その一環として、それまで関係者のみに公開していた審査会終了後の審査会場を一般にも公開しました。また、デザインの概念もこれまでの「製品」から大きく広げ、デザインの新しい領域への挑戦を積極的に評価する「新領域デザイン部門」の新設(1999年)や、情報やメディアそのもののデザインを対象とする「コミュニケーションデザイン部門」の新設(2001年)が行われます。
社会がその価値観を徐々に変化させたのと同時に、グッドデザイン賞もまたそのあるべき姿を変化させた時代でもあります。

歴史とこれから - 価値変化の時代

4.第四フェーズ「価値多様化の時代」

情報の変化とグッドデザイン賞における軸足の踏み替え

2000年代に入るとICT(Information and Communication Technology)が急速に発展します。2000年(平成12年)以降、インターネット普及率は飛躍的に向上し、1997年には9.2%だったインターネット普及率は2005年(平成17年)には70%を超えるまでに成長します。また、1996年には867万台だった携帯電話の契約数も2005年には約10倍の8,577万台となります。ICTの発展は、ビジネスの世界においてグローバル化の波を生み出しました。グッドデザイン賞においても2000年(平成12年)よりインターネットによる応募受付を開始し、海外からの応募数が増加し始めます。こうした流れを受け、グッドデザイン賞では「よいデザインの推奨」を国内のみならず海外、特にアジア地域を中心に広げ始めます。2003年(平成15年)にはアセアン諸国のよいデザインを顕彰する「グッドデザイン賞・アセアンデザインセレクション」を3年にわたり開催しました。また、2008年(平成20年)にはタイ王国における新たなデザイン賞「デザインエクセレンスアワード」の創設サポートを行うと同時に審査委員の相互派遣などの制度連携を開始します。一方、ヨーロッパ地域においてはグッドデザイン賞創設50周年を機にイタリアのミラノサローネに出展を行います。この出展は反響の大きさから2009年にかけて合計3回にわたり実施しました。
ICTがもたらしたのはグローバル化だけではありません。ICTにより我々は様々な情報源から情報を入手し、誰もが全世界中に向けて情報を発信することが可能になりました。これによりマスメディアだけではなく一般生活者の発言が大きな影響力を持ち始めると同時に、これまで知ることが出来なかった考え方、生き方にも容易に触れることが出来るようになり、価値の多様化を生み出したといえます。
一方、こうしたグローバル化と多様な価値観が入り混じる中、デザインの役割はどのようにあるべきかについて議論がされるようになります。グッドデザイン賞においても今後のデザインの役割、そしてそれを踏まえた上でグッドデザイン賞がどのようにあるべきかについて議論を重ねました。そして2008年(平成20年)に、これまでの「産業的視点から審査を行う」という方針から「近未来の生活者の視点に立つ(サプライサイドからディマンドサイドへ)」という方針への転換を打ち出し、大きな改革に挑みました。これに伴い、審査区分は従来の部門別から「身体・生活・産業・社会」の4つの領域へと再編成され、新たに「サステナブルデザイン賞(2008年)」や「フロンティアデザイン賞(2009年)」を設けるなど、賞の構成も見直されました。また、グッドデザイン賞が常に向き合うべき根源的なテーマとして「人間・本質・創造・魅力・倫理」という5つの言葉がグッドデザイン賞の理念として掲げられました。
ICTの発展はグローバル化を促すとともに、情報とのかかわり方の変化や価値多様化をもたらしました。そして、グッドデザイン賞もこれまでの「供給側の論理」から、様々な関係性の上に置かれた物事を生活者の視点から観察するという「需要側の論理」へと軸足を大きく変えました。

歴史とこれから - 価値多様化の時代

5.第五フェーズ「共有の時代」

今、何がよいデザインなのか?

2000年代に急速発展したICTはさらにその速度を速め、今やあらゆるものがネットワークで繋がろうとしています。グローバル化も加速の一途を辿っています。グッドデザイン賞においても2008年のタイ王国「デザインエクセレンスアワード」に引き続き、2012年(平成24年)のインド「I Mark」や2014年(平成26年)のシンガポール「SG Mark」など、国際的な協調をさらに広げました。
一方でソーシャル・ネットワーキング・サービスの登場やクラウド技術の発達により、情報同士も繋がり、共有化されるようになってきています。こうした情報共有の流れはオープンソース開発やファブラボのように現実世界においても共有・協働という形に進化し、そのような活動が社会を動かす原動力となり始めています。グッドデザイン賞においても共有・協働の仕組みをどのようにして作り上げるかがひとつの課題と考えています。その取り組みの一つとして2013年(平成25年)より応募者と審査委員が直接、情報を共有する「対話型審査」を導入しました。
このような状況下において日本ではひとつの大きな出来事が起こりました。それは2011年(平成23年)の東日本大震災です。様々な想定を超える出来事が起こりました。そして多くの方が亡くなりました。震災直後にはスーパーやコンビニエンスストアの商品棚から様々な商品が消えました。夜景から電気の明かりも消えました。
こうした状況を目の当たりにして多くの方が「今、自分たちに出来ることは何か」そして「今、本当に必要なものは何か」といったことを考えたかと思います。ここにひとつの大きな価値観の転換が起こったのではないでしょうか。このことはグッドデザイン賞においても「何がよいデザインなのか?」を今一度考え直す契機となりました。これまでもグッドデザイン賞では「何がよいデザインか」を常に問い直してきましたが、価値観の転換が起こった今、もう一度「グッド、そしてグッドデザイン賞の再定義」を行うタイミングに差し掛かっているのではないかと思います。
近年、デザインはそれ自体が変化するとともに、社会におけるデザインのあり方も大きく変わってきています。身の回りのもののかたちが徐々に失われ始め、対照的に「サービス」や「システム」といった「機能」そのものが生活の中に顕在化しつつあります。この中でデザインは、人々が自らを取り巻く全体的な状況を察する能力を進化させるための、「環境の中における媒質」としての役割を発揮し始めています。今後はこうした視点からデザインの意義をとらえるニーズが高まるものと考えています。

歴史とこれから - 共有の時代

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グッドデザイン賞は、公益財団法人日本デザイン振興会が運営しています。