GOOD DESIGN AWARD
2025年度受賞結果

受賞者インタビュー

イメージ(25L221628)多目的ライター CR-チャッカマン

多目的ライター CR-チャッカマン

バーベキューと独自の生産体制が生んだ新商品

東海は、シガレットライター(使い捨てライター)の製造から事業を開始しました。1972年頃には、樹脂にガスを充塡する技術や、自動機を用いた低コスト生産を確立。1982年頃に世界で初めて電子ライターを100円で販売することに成功しました。この独自技術による生産体制が、チャッカマンの誕生へとつながりました。
チャッカマンを開発したきっかけは、創業者がアメリカ出張時に、バーベキューで「点火棒」と呼ばれる火を付けるためのスティック状の器具を目にしたことでした。そのとき創業者は「アメリカのアウトドアブームは必ず日本にも来る」と予測したのです。
当時、日本にも火付け道具は存在していたものの、一般には普及していませんでした。そこで、電子ライターを作る技術を応用すれば、低価格で提供できると考え、研究を開始。開発には3年ほどかかり、1985年に「チャッカマン」という商品名で発売されました。
初代のチャッカマンは、赤と白、黄と白のツートンカラーで、全体的に四角い形状をしていました。その後、現在の丸みを帯びた形状が1991年に誕生し、ベーシックなチャッカマンは、赤と白、青と白の2色展開でリニューアルされ、社内では「東海レッド」「東海ブルー」と呼んでいます。それ以降、見た目のデザインは大きく変わっていません。
チャッカマンという商品名は、1970年代に流行した「ガッチャマン」をはじめ、ヒーローもののアニメのタイトルから着想を得たとされています。なお、この商品名は日本独自のもので、アメリカなど海外では「BBQ(バーベキュー)ライター」という一般名称で販売されました。

機能が瞬時に伝わる秀逸な商品名、市場形成の後押しに

チャッカマンは社名以上に知名度が高く、東海の代名詞的な商品です。国内で行った認知調査では、認知率は約9割という結果が出ました。ネーミングの効果は絶大で、着火器具であることが直感的に伝わり、覚えやすい名称であると自負しています。
これほどまでに浸透した理由は、チャッカマン誕生以前には、安全かつ手軽に火を付けられる安価な器具が存在しなかったことにあると考えています。「多目的ライター」という国際基準の正式名称ができたのも2000年頃のことです。当時は点火棒と呼ぶ人もいましたが、一般的ではありませんでした。そのため、他社の後発商品までもが「チャッカマン」と呼ばれるようになったという背景があります。
チャッカマンが火をつける道具の一般名称として定着しつつある状況は、私たちの商品が市場を作り、社会に深く浸透した証しだと思います。ただし、チャッカマンが東海の登録商標であることを知らない人も少なくなく、その認知拡大は今後の課題のひとつです。

他社が追随できない徹底した精度へのこだわり

チャッカマンの価値は「高品質な日本製」であることです。安全性と品質への徹底したこだわりは、私たちの企業精神の核心です。新入社員が必ず取り組むのは、チャッカマンの着火試験。さまざまな条件下で着火率を測定し、80%以上の成功率を満たさなければ販売できない厳しい基準を設けています。また、高地や寒冷地でも安定して使えるように、ノズルの空気穴の位置や大きさなども、改良を重ねてきました。
着火用のノズルを備えたハンドル部分(上部)と、燃料を収めるタンク部分(下部)は、それぞれ異なる工場で製造しています。分業体制によって品質を保ちながら、コストと時間の両面で効率的な生産を実現しているのです。そして、この2つのパーツを最終工程で正確に組み合わせるには、非常に高い精度が求められます。この高精度の工程こそが、他社による模倣を防ぐ要因にもなっています。

どちらも欠かせない、ニーズを先取する新商品と絶対的な定番商品

ロングライフデザインの秘訣は、「常に社会に必要とされる存在であり続けること」にあると考えています。チャッカマンは、お客さまの声やニーズを丁寧にくみ取り、ラインアップを拡充してきました。スタンダードなモデルに加え、ミニタイプやターボタイプ、仏具用の小型モデル、さらには鍼灸師向けに開発したお灸用などもあります。
しかし、最も支持されているのは、やはりスタンダードなモデルです。「チャッカマンといえば、赤と白」と認知されている方も少なくありません。新しいデザインの商品を開発することも必要ですが、スタンダードなモデルを継続的に提供し続けることが重要なのだと思います。

(談:株式会社東海 小澤 洋一、堀川 光彦、市川 敏弘 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221629)カトラリー クチポール

カトラリー クチポール

ポルトガルを代表するカトラリーを目指して

クチポールはポルトガルのカトラリーメーカーです。古くからカトラリー作りが有名なギマランイスという地域で、1960年代に創業者がクチポールと名付けて会社を立ち上げたのが始まりです。クチポールという会社名は「クチ」がカトラリーを、「ポール」がポルトガルを意味し、ポルトガルを代表するようなカトラリー会社になりたいという想いが込められています。
創業当初は、小さな工場で昔ながらの伝統的なデザインのカトラリーだけを作っていましたが、1980年代後半から、まだ市場にないモダンなデザインにも着手しました。2003年に誕生したのが、いまやクチポールの代表的なモデルとなったGOA(ゴア)です。GOAシリーズは、樹脂とステンレスという異素材を組み合わせたデザインです。当時、大人用カトラリーで樹脂を組み合わせたデザインは珍しいものでした。クチポールが先駆者となって異素材を組み合わせることで、軽くて持ちやすいだけでなく、カラーバリエーション豊富な美しいデザインが実現しました。
新しいカトラリーの誕生を支えたのは、アイデアやデザイン力だけではありません。ギマランイスの地には長年にわたり、受け継がれてきた確かな技術がありました。新しいものを作りたいと思ったとき、実現する技術力をもった職人たちがいました。これらすべてがオリジナリティある革新的デザインを支えているのです。

カトラリー文化を押し上げる存在に

クチポールが日本に紹介されたのは20年ほど前です。当時、カトラリーは食器の中ではそれほど重視されない存在でした。レストランでもお皿は熱心に選ぶけれど、カトラリーは残った予算でお皿に合うものを用意する程度と聞いていました。また、日本の人々にはヨーロッパのカトラリーは大きすぎるというイメージもあったようです。
そのような中、クチポールのモダンなデザインは大きすぎず手に馴染み、和食・洋食問わずスタイリッシュな演出に役立つことから、トップレストランで使用されるようになりました。ハイエンドでおしゃれな雑貨店での取り扱いも徐々に増え、レストランだけではなく家庭での使用も広まっていきました。SNSの流行とともに、料理の写真を撮るとき、お皿に盛られた料理だけを写すのではなく、クチポールのカトラリーも入れて、ひとつの絵として完成させる写真が増えたのもこの頃です。
クチポールの登場によって、カトラリーはひっそりと佇む脇役的な存在から、食卓に華を添える重要な役割を担う存在へと認識も変化したといえるのではないでしょうか。2016年には、GOAシリーズがグッドデザイン賞を受賞しました。そのとき、審査委員から「カトラリーの21世紀的スタンダード」と評価され、実際にそのようになってきたと感じています。

日本の声を取り入れて進化するデザイン

クチポールは、日本文化に見られる光と影の使い方や、建築の心地よさ、工芸品の美しさからも影響を受けています。日本のお客様の声も大切にしており、例えばGOAシリーズに続くものとして誕生したMIO(ミオ)シリーズは、代理店である日曜社が日本の声を伝えたことがきっかけで生まれました。GOAと比べてエレガントな曲線を採用し、より柔らかく、穏やかな空間に馴染むデザインとなっています。ちなみに、MIOという名前は日本語の「澪」に由来しています。澪には、船の水路という意味があります。毎日の食卓に寄り添うことで豊かな生活の指標となるような存在でありたいという意味を込めて名付けられました。子ども用のALICE(アリス)シリーズやカレーを食べるためにデザインされたNAU(ナウ)シリーズも日本の声を受けて作られたものです。

伝統と新しさの融合が生むロングライフ

クチポールが目指しているものは、レストランでも家庭でも、“美しさ”と“心地よさ”の両方が共存する食の時間を作ることです。時代が変わっても変わらず美しいこと、そのためには常にアップデートしなければなりません。世界中から届く声をもとに製造プロセスを見直したり、新しい用途のアイテムを開発したり、常に磨きをかけています。
長く培ってきた技術を土台に、伝統を大切にしながらも新しさを取り入れ、丁寧なものづくりを続ける。その積み重ねが、使いやすさと美しさを兼ね備えた、長く愛されるカトラリーにつながっているのだと思います。

(談:株式会社日曜社 田口 朋子 まとめ:JDP)


イメージ(25L221630)スチームトースター バルミューダ ザ・トースター

スチームトースター バルミューダ ザ・トースター

五感で味わう感動体験をデザイン

バルミューダは、2003年に寺尾玄が創業したデザインとエンジニアリングの会社です。「美しい、いい道具を作ろう」という理念から歩みが始まりました。最初に開発した家電製品は、2010年に発売した扇風機GreenFanです。その後、加湿器や空気清浄機などラインアップを拡充していきました。
しかし、季節商品は気候の影響を受けやすく、在庫問題で経営が圧迫され、倒産の危機に直面しました。そこから通年商品の必要性が浮かび上がったのです。それでも寺尾は「人の役に立つ、いい道具を作りたい」という思いを貫き、五感を通じて「体験」を提供できる製品の開発に着手しました。こうして2015年に誕生したのがBALMUDA The Toasterです。
トースターの開発で指針となったのは、寺尾自身の記憶でした。小学生のときに北海道のロッジで食べたチーズトーストや、ヨーロッパ放浪中に空腹の中でスペイン・ロンダの街で食べた一切れのパンのおいしさなど。おいしさは、強烈な思い出として残っていたのです。ブレイクスルーとなったのは雨の中のバーベキュー大会。そこで食べたトーストの経験から「水分」が鍵となることを発見しました。
当初は扇風機などと同様に、白と黒のクールなデザインで検討していましたが、「おいしそうに見えない」という課題に直面しました。そこで、それまで空調で培った「シンプル&クリーン」を一度リセットし、「モダンクラシック」というデザイン言語を設定しました。食事は毎日の楽しみ。その道具はクールさよりも、懐かしさを少し感じるような温かみを目指そうとデザインされました。

経営危機から回復、バルミューダの哲学を体現する製品

バルミューダにとってBALMUDA The Toasterは、五感で味わう体験価値を具現化し、お客さまに伝えることができた製品です。それまではバルミューダの顧客層は男性のイノベーターが中心でしたが、BALMUDA The Toasterの登場によって女性にも広がり、多くの方に支持されるようになりました。「食」は、多くの人と共有しやすい体験だからこそ、幅広い層に受け入れられたのだと思います。
発売当初は、2万円を超える価格帯で苦戦しました。しかし、焼き上がりのおいしさが口コミで広がり、テレビ番組などでも紹介され、認知が一気に拡大。経営危機から、会社を回復させるきっかけにもなりました。こうした経緯からもBALMUDA The Toasterは単なる家電製品ではなく、企業理念や哲学を体現する象徴的な製品という位置付けです。

機能が導く喜び、装飾ではないデザインがもたらすこと

「新しいものは明日から古くなるが、美しいものは美しい」。これはバルミューダが大切にしている思想のひとつです。デザインは装飾ではなく、機能のためにあるという考えで、BALMUDA The Toasterも開発しました。
たとえば、パンの種類に合わせて最適に焼き上げるために、上部にある給水口から専用のカップで毎回水を注ぎます。この専用のカップのデザインをどんなに洗練させても、それだけでは意味がありません。重要なのは、水を入れてパンがおいしく焼き上がり、その結果、お客さまの喜びにつながることです。つまり、お客さまの喜びは、機能による体験から生まれるのです。トースター前面の窓はあえて小さめにして、覗き込むように。そうすることで、こんがり焼ける様子やチーズがぐつぐつするシーンを見るとおいしさの期待が高まります。ほかにもダイヤルの回し加減や調理中の音まで、おいしい体験への予感を高める工夫を施しています。
また、デザインの良さは特徴ではなく、お客さまへの礼儀であるとも考えています。BALMUDA The Toasterに限らず、私たちの製品は、背面まで塗装をして、どこから見ても美しくなるように仕上げています。見えない部分にも誠意を尽くすことも、道具としての価値を高めるために欠かせないことだと思っています。

数値化できない価値観を大切にする

美しさを追求すること、そして製品名にBALMUDA The Toasterのように「BALMUDA」を冠することに誇りを持っています。私たちの基本方針のひとつは、道具の本質的な形を変えないことです。BALMUDA The Toasterもトースターであることは、一目瞭然です。
形はそのまま、常に一番良いものを作るという強い信念を貫きながら、美しさや驚き、感動といった数値化できない感覚的な価値をもたらす製品を目指しています。こうした企業の価値観が、結果として多くのお客さまに長く使い続けていただける製品を生みだしているのだと考えています。そして、いつか買い替えのタイミングがきたとき、またバルミューダを選びたいと思っていただけることが理想です。これからも、日々の体験を豊かにすることを大切にしながら、長く愛される製品を作り続けていきます。

(談:バルミューダ株式会社 秦泉寺 里美 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221631)スツール エレファント スツール

スツール エレファント スツール

求められ続けた素材のクオリティとプロダクト力

1954年、世界初の一体成型プラスチック「スツール」として、プロダクトデザイナーの柳宗理によってエレファント スツールは発表されました。スツールには、当時新素材として注目されていたFRP(プラスチック)をいち早く取り入れ、途中からポリエステルを使用。2000年にHABITAから復刻され、Vitraになってからはポリプロピレンがメインとなりました。Vitraは1970年代からオフィスファニチャーとそのコンセプトに力を入れてきました。2002年に過去のプロダクトを復刻する動きがあり、オフィスファニチャーを中心に家庭でも使用できるプロダクトとして生き残る力のある製品を次々と復刻。このような動きの中で、エレファント スツールは生産し続けるべき製品のひとつとして選ばれました。
復刻の際、常にVitraが持っていた基本的な考えとして、新しい可能性をもたらすその時代に効率よく生産できる一番クオリティの高い素材でプロダクトを作ることを求めていたことから、ポリプロピレンが選定されました。過去から現在に至るまで、そしてこれからのサスティナビリティの面も含め、Vitraは今の時代にベストで、その時代が持つ課題を解決することに適した素材を常に考えています。その時々の最新の素材を使うという考え方は、柳宗理のデザイナーとしての意図と通じるものがあります。
Vitraにとって製品とは、新しいものが市場に出た際に常にその時代の中で勝ち続けなければならず、勝てない製品は必要とされなくなることを意味しますが、エレファント スツールは日本を含め世界で根強い人気があり、残すべき大切な製品です。Vitraにおいて日本人建築家の作品は複数ありますが、現在エレファント スツールは、ファニチャー分野において、日本人プロダクトデザイナーの作品として唯一のプロダクトとなっています。

場所を選ばずに使えて世界で愛されるスツール

公共スペース、プロジェクト、オフィスから一般の家庭でも幅広く使えるというところがVitraの考え方を象徴する製品です。Vitraにとって大切な3本の柱といえるセグメントがあります。コントラクト(オフィス家具)・家庭用・公共スペースの3点それぞれでは違うニーズがあって、家庭ではストーリー・美しさ・使い心地が大切とされ、オフィスでは機能面と耐久性が特に必要。公共スペースでは耐久性が大切です。シンプルでありながらも、これらの厳しい条件を満たすこと、それがどのセグメントに対する新製品にも求められています。

半世紀以上続く商品の魅力とは

環境・条件は違うかもしれませんが、特に日本の場合、家庭においてコンパクトな空間の中で効率よく椅子にも机にもなる便利さや、軽量かつスタッキングができて、場所を取らない機能主義だけではなく、3本脚でも有機的なフォルムの可愛いさと少し大きめな存在感など、あまり似たようなものを見ないという点も魅力かもしれません。当初から、ヨーロッパよりも日本では世代を超えて選ばれているように思います。より良いものを買おうと考える人も増えていて、若い年齢層のユーザーにとって良いデザインを生活に取り入れるのに、デザインや価格面でもエントリーモデルとして受け入れられていると感じます。生活環境や年齢が変わっても、使い方を変えることができる稀有なプロダクトです。
海外では、家庭用としてテーブル、スツール、屋外用など。オフィスでは講演会での椅子として使われていることが多く、実用的というだけでなく、柳宗理の名前で購入されることもあります。発売当初にはなかったオンラインショップでの販売環境でも人気があり、配送時も軽くてコンパクトで壊れない効率的な商品である点も今の時代にあった要素です。耐久性があることで長く使用できて環境にも優しい。環境的負荷がかかりやすい生産・物流面においても配慮されたプロダクトといえます。
華美なものを削ぎ落とした実用性とコンパクトで無駄のない成り立ちが、古来から日本のデザインにはありました。それは今では世界が求めている要素ですが、すでに半世紀以上前からエレファント スツールの中にあったこともロングライフデザインの秘訣です。これはVitraのコンセプトと一致します。そして重要なことは、ひとつのプロダクトが主張しすぎるとインテリアの中で合わせにくくなりますが、Vitraのプロダクトは、どの時代でもひとつのスタイルに統一を求めるのではなく、自身の個性を保ちつつプロダクトがそれぞれの時代や文化、お客さまの考えに寄り添い、より良い空間作りに貢献できるものと考えています。

(談:Vitra株式会社 林 アンニ、平井 尚子 まとめ:JDP)


イメージ(25L221632)電子ピアノ クラビノーバ CLPシリーズ

電子ピアノ クラビノーバ CLPシリーズ

時代に合わせた発想の転換

ヤマハは1900年からアコースティックピアノ(電気を必要とせず、弦や響板の響きで音を出すピアノ)を製造しており、1世紀以上の歴史があります。電子ピアノの製造は1983年に始まり、1985年から「クラビノーバ」というブランド名での展開を始めました。
「クラビノーバ」という名称は、「クラビ(鍵盤楽器)」と「ノーバ(新しい)」を組み合わせた造語で、新しい鍵盤楽器という意味を込めています。CLPシリーズは1985年に誕生し、当初は最先端の楽器として、譜面板にアクリルの半透明板を使用するなど、軽快でハイテク感のあるデザインでした。
CLPシリーズの大きな転機は、2011年のモデルチェンジです。2011年以前のモデルは世界的にも高く支持されていて、市場調査でも高評価でしたが、ヤマハのピアノ全体で一貫性を持たせヤマハの強みを活かす戦略に転換しました。「優位性のある電子ピアノ」から「現代のスタンダードピアノ」としてとらえ直すことで自然にデザインの考え方も変わりました。目指したのは、ピアニストが演奏に集中できる演奏空間とよりピアノらしい佇まいです。
ヤマハブランドのピアノとしての一貫性を重視したデザインに刷新し、ピアノの原型ともいえる水平垂直を基調としたデザインにしました。コントロールパネルを鍵盤の正面から左側に移動し、アコースティックピアノと同じ「YAMAHA」のロゴを正面に配置することで、よりピアノらしい佇まいを実現しました。
デザインの変化に合わせて、音、タッチ、ペダルにもより高い表現力が求められるようになりました。ヤマハが最も重視しているのは、パーツ単体の良さではなく、ひとつの楽器として音を奏でたときの自然さです。アコースティックピアノの知見も活かし、他社にはできない品質の高さを実現しています。

ヤマハブランドを体感できる中心的なシリーズ

クラビノーバには現在、CLPをはじめ、いくつかのシリーズがあります。誕生以降、バリエーションは広がり、多機能なモデルはCVP/CSPシリーズとして展開し、CLPシリーズはピアノらしさに回帰していきました。そして、CLPシリーズはピアノの本質に特化した王道のピアノと位置付けられるようになりました。
目指しているのは、コンサートホールでもピアノ教室でも、自宅のクラビノーバで練習しているときと同じように、リラックスして演奏できることです。ヤマハを代表するCFXというグランドピアノがありますが、その鍵盤に指を乗せたときの気持ちと、クラビノーバで弾いたときの感覚が同じものであってほしい。そうした思いから、プレーヤー視点での鍵盤まわりの形や質感などを、きめ細かにデザインしています。
このようにCLPシリーズは、電子ピアノの中心的存在であり、そこで開発された音色や音響はほかの電子楽器でも活用しています。高品質なヤマハブランドを体感できる製品として、実質的にヤマハピアノの柱といえる製品になっています。

300年の歴史を担う現代のスタンダードピアノ

ピアノは、300年の歴史を持つ楽器です。その歴史の中でヤマハは現在、中心的な位置にあると自負しています。アコースティックピアノは素晴らしい楽器ですが、金銭的な問題や住宅事情などによって、所有に制約があるのも事実です。だからこそ、CLPシリーズのような電子ピアノは、所有しやすいスタンダードな商品といえます。
私たちが考えるべきことは、CLPシリーズを単にどうリニューアルするかではなく、300年のピアノの歴史を、これからどうつないでいくか。表面的なリニューアルや他社との差別化ではなく、ピアノの歴史の中でCLPシリーズがどのような役割を果たすのか。ピアノの歴史や本質を深く掘り下げ、メインストリームとしてどう進化させていくのかを考えています。

誠実さがロングライフデザインを生む

ロングライフデザインであるためには、「誠実」であることが重要だと考えています。新しさや魅力的なスタイリングも欠かせない要素ですが、デザインの本質はユーザーとの関係性にあります。その関係性に真摯に向き合ってデザインしていくことこそ、ロングセラー商品につながる秘訣だと考えています。
家電は10年も経てば古くなり、買い替えを考えるのが一般的です。しかし、楽器は違います。10年、20年と練習してきたピアノは、まるで苦楽をともにした相棒のような存在になっていくものです。楽器は一緒に過ごした時間が、その価値を高めていくのだと思います。だからこそ、使い込まれることで価値が高まるようにデザインすること。それが、長く愛され続けるデザインの要だと考えています。

(談:ヤマハ株式会社 岡村 淳、尾藤 栄里子 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221633)乗用車 デリカシリーズ

乗用車 デリカシリーズ

積極的に選ばれる車

デリカは1968年に小型商用トラックとして登場後、2代目がキャブオーバー型のワンボックス車として初めて4輪駆動タイプを設定したことを契機に、“大勢の人とたくさんの荷物を積んで、悪路も走破できるタフなミニバン“という、今日にまで至るデリカのイメージが形作られてきました。おもに日本国内を中心に、これまでに累計で138万台ものデリカが販売されてきました。
デリカとして5代目にあたる現行のデリカD:5は2007年に前期型が発売され、以来、2019年に大規模なマイナーチェンジを行い後期型となって販売が継続されており、SUV人気が全盛とされるいまの自動車市場においても高い人気を誇っています。デリカD:5は登場から20年近くを経てなお、右肩上がりの販売実績を記録しており、ほかに類をみない存在となっています。しかも、代々デリカを乗り継いでくださる方だけでなく、他車種からデリカへ乗り換えてくださる新規のお客さまも増加傾向にあります。また、購入時に他車種との比較検討をすることなくデリカを指名買いされるお客さまが多いことも、この車の特徴です。

デリカのデザインの「意志」

こうした熱心な支持は、時代やトレンドの移り変わりに流されることのない、デリカの唯一無二といえる商品性に対する、お客さまからの信頼の賜物ですが、私たちはデリカをデザインするにあたり、お客さまの期待に応えるだけでなく、それを超えてつねに新しいデリカの姿を示すべく、よい意味で「裏切る」くらいの挑戦の姿勢で取り組んでいます。
私たちにはデリカという存在はこうあるべきだ、という意志があります。一貫しているのは、時代によって乗る人たちの多様なライフスタイルを受け止められる「シンプルさ」です。デリカシリーズは比較的長いモデルサイクルも特徴で、それだけに時間の経過に耐え、飽きがこないデザインでなければなりません。
さらに、デリカのユーザーにはカスタマイズ指向が強い方も多く、単なる移動の道具としてではなく、皆さん愛着をもって「自分だけのデリカ」を愉しんでいらっしゃいます。そのようなニーズに応えられるある種の余白性をデザインにもたせることは、とても難しいのですが、デリカのデザインにおいて重要な視点であると考えています。

ユーザーとともに創る車

一方で、代々のモデルそれぞれに、特に登場当初はデザインに対するさまざまな意見をいただくこともありました。現行のD:5がモデルサイクルの途中でデザインを大幅に改めたときは、当時の日本国内のミニバン市場におけるデザインの潮流であった、押し出しの強さとデリカらしさをどう融合させられるか、担当デザイナーにとって葛藤もありました。しかし、既存のデリカ・ファンだけでなく新たなユーザーにもデリカを選んでもらえるように挑戦した結果が、また時間をかけてデリカらしさとして理解され、いまの幅広い支持に結びついているのです。その意味では、デリカは私たちメーカーとお客さまとでお互い一緒に創り上げてきた存在ともいえます。

乗る人たちが楽しさを共有できる存在として

いま自動車は情報化や自動化、環境・安全面などへの対応に直面しており、特に自動車のインテリアデザインの方向性に及ぼす影響は大きく、かつてのように線を1本どう処理するかといったレベルではなく、多様化し続ける数多くの機能やインターフェイスをいかに束ねられるかが避けることのできない課題となっています。それと同時に、乗る人が日々を過ごす空間として、より質が高く感じられるデザインであることも重要なテーマとなっています。これらはデリカのインテリアデザインを考える上でも大きなポイントになります。
この点で私たちは、こうした大きな変化に向き合いつつも、あたかも人間が機械に制御されながら受け身で車を走らせるのでなく、デリカに乗る人たちが皆一緒に、その楽しさを共有しあえること。ドライバーはそのような移動の時間を安心してリードできる確かなレスポンスと信頼感を車から得られつつ、運転する自分自身も楽しい。そんな唯一無二の価値をこれからも失うことなく、またデリカでの体験をともにする人たちの豊かな生活を想い描きながら、新たなデリカの姿を導いていきたいと思います。

(談:三菱自動車工業株式会社 安井 淳司 まとめ:JDP)


イメージ(25L221634)自動火災報知設備・発信機 リング型表示灯付発信機

自動火災報知設備・発信機 リング型表示灯付発信機

視認性を高めるための均一ではない光らせ方

リング型表示灯付発信機は、火災発生時に手動で周囲に知らせる機器で、リング型の表示灯と発信機を一体化したデザインが特徴です。中央のボタンを押すと建物内の防災センターや中央管理室に設置された火災受信機に信号が送られ、非常ベルを鳴らし、周囲に火災を知らせます。
原型となる機器は、表示灯と発信機が別々のものでした。表示灯は壁面から突出した円錐形で、発信機の上、もしくは横に設置されていました。そのため「暗い場所で発信機の位置がわかりづらい」「廊下に設置された表示灯にぶつかって破損する」といった課題がありました。そんな中、発信機のモデルチェンジが決定。この機会に、表示灯のデザインも見直すことになりました。
当初は発信機の出っ張りをなくすことを主眼に置いていましたが、社内からの要望をふまえ、表示灯を薄くする方向で検討が進みました。最終的には、壁に埋め込む形状にすることで発信機の出っ張りを減らし、周囲に表示灯のLEDを配置することで視認性を向上させる一体型のデザインに至りました。
あくまでも緊急時に使うものなので、従来品と印象が変わりすぎないようにすることも重要です。色や基本的な形などの要素をふまえながら、現代の空間に調和するようにデザインしました。
特にこだわったのは、表示灯の光らせ方です。リング型の表示灯内部に配置した12個のLEDは、意図的に並べ方をずらして視認性を高めています。均一に並べて光らせると、明るい時間帯は「光ではなく色面として認識されてしまう」という問題があったからです。検証の結果、リング型に並べた12個のLEDのうち、3時と9時の位置だけを少し外側にずらして配置しています。

多くの人の記憶の中にある赤いボタン

リング型表示灯付発信機は、あらためて振り返ると、防災・安心・安全を支えるという大きな使命の中で、数ある取り組みのひとつとして生まれた製品だといえます。自動火災報知設備の一部であり、特別なブランドを掲げているわけでもない。あくまでも防災事業内の製品のひとつという位置付けです。
火災感知器は各部屋の天井に取り付けますが、発信機は歩行距離で50m以下の間隔に設置されるため、それほど多く設置されません。
しかし、「緊急時以外、決して押してはいけない赤いボタン」として人々の記憶の風景に深く刻まれているものです。実際、映画やドラマ、漫画などでも、単調な廊下の差し色のように登場することが多々あります。
2014年にグッドデザイン金賞を受賞したことは、大きな転機でした。建築事務所など多くの専門家の目に触れ、問い合わせも増えました。製品の価値も知っていただく機会になったと思っています。

古い防災のイメージを一新し、次の世代に

防災は1社だけで成り立つものではなく、社会全体で担っていくものです。建物が燃えにくくなる工夫や、消防が早く駆けつけられる仕組み、防災意識の向上などが重なり合って、安心・安全は守られていきます。私たちの製品はその一部にすぎませんが、押しやすさや見つけやすさを高めることで確かに貢献していると考えています。
時代に寄り添いつつ、質実な進歩を果たした製品となったリング型表示付発信機は、次の世代の製品づくりの良いたすきとしてつながっていくことを願っています。実際にリング型表示灯付発信機へとリニューアルした後で、他社も追随し、業界全体で同様のデザインに変わっていきました。
従来の防災設備は、「古臭い」という印象を持たれることも多々あったと思います。デザインを刷新したことで、「守られている感じがする」と受け止められ、防災設備への信頼度も高まったと思います。

ロングライフが前提、交換や保守がしやすいデザイン

この製品は、デザインを変えること自体が目的ではなく、あくまでも課題解決の結果として新しい形が生まれたととらえています。
私たちの製品は、防災設備という性質上、常に使える状態を維持することが最も重要であり、ロングライフが前提となっています。リング型表示灯付発信機に限らず、全製品を交換や保守を前提に設計し、長期にわたり建物の火災監視を維持できる体制を整えています。
こうした条件のもとで行ったリング型表示灯付発信機のリニューアルは、私たちにとっても大きな挑戦でした。

(談:能美防災株式会社 伊藤 達彦 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221635)宅配ロッカー フルタイムロッカー

宅配ロッカー フルタイムロッカー

管理人の実体験から宅配ボックスを発明

宅配ボックスの歴史は意外と古く、私たちは今から40年以上前の1983年にフルタイムロッカーの原型であるマンション用の宅配ボックス(宅配ロッカー)を開発しました。きっかけは、マンションの管理会社を経営していたとき、荷物受け取りの課題を実感したことです。住人が不在時、管理人が荷物を預かっていましたが、保管場所が足りなくなったり、深夜に荷物が受け取れなかった住人から連絡がきたり、問題が相次ぎました。私自身が夜中に住人の荷物を届けに行くこともあり、解決策が必要だと痛感したのです。
そこで考えたのが、ロッカーを使った荷物の受け渡しです。電話回線を活用して宅配用のロッカーを開ける仕組みを発明し、安全に受け渡しができるようにしました。転機となったのは、1991年の郵便法の改正です。印鑑やサインが必要という郵便法の制約が明らかになり、私たちは事業存続のために旧郵政省に法改正を粘り強く働きかけました。そして3年かけて法改正を実現。無人ロッカーでの荷物受け渡しが合法化されました。
その後、集合住宅への宅配ボックス設置に対する補助金の支給制度が始まりました。「国が宅配ボックスを認めた」という事実が後押しとなり、不動産大手からの注文が激増。一気に普及していきました。現在では、フルタイムロッカーはマンション・戸建て合わせて5万7,555箇所に導入されています(2025年9月末時点)。長年の実績が評価され、「電気式宅配ロッカーサービスのプロバイダー」として、ギネス世界記録®にも認定されました。

あえて広報しない戦略で圧倒的な実績を築く

私たちにとってフルタイムロッカー事業は、経営の根幹です。今やインターネットでの買い物は当たり前となり、さらに個人間での荷物のやりとりも増え続けています。私たちの事業も、そうした社会の変化とともに進化を続けています。
その大きな後押しとなったのは、あえて広報しないという戦略です。私たちはフルタイムロッカーの導入数が1万台に達するまで、取材の依頼は意図的に断り、粛々と事業を進めてきたのです。圧倒的な実績を築く前に世の中に知れ渡ってしまえば、同業他社の参入を促す恐れがありました。この追随を許さない戦略が成功し、市場を創出するだけでなく、けん引する立場となりました。
現在は小さな荷物も増えているため、多様なサイズのロッカーを用意しています。ロッカーの設置数も増加傾向にあります。また、ロッカーの操作方法は暗証番号やマンションのタッチキーをはじめ、顔認証や交通系ICカードなど、テクノロジーの進化に応じて多様化しています。

住人も管理人も安心できる万全のサポート体制

私たちの強みは、利用者が困ったときに24時間365日、いつでも電話で連絡できるサポート体制を整えていることです。独自に24時間管理センターを設置し、顧客のニーズに即時対応できる仕組みがあります。コールセンターは40年以上前から運営しており、ロッカーに関する問い合わせや、「扉が開かない」「操作キーをなくした」といったトラブルにも即座に対応。警備会社とも連携し、問題があればすぐに駆けつけ、荷物を取り出して利用者に渡すところまでサポートしています。
さらに、荷物が3日以上置かれたままの場合はメールや電話、はがきで通知し、1カ月以上経過すると私たちがロッカーを開けて荷物を回収、保管しています。つまり、私たちの事業は単にロッカーを設置するだけではないのです。万全のサポート体制があるからこそ、マンションの住人だけでなく管理会社にとっても安心してご利用いただけて、そのことが導入数の伸長につながっていると考えています。

ロングセラーを支える迅速な対応力

私たちの企業理念は「チームワークと自主性」「即時対応と安心感」です。24時間管理センターに寄せられる声をはじめ、営業担当がキャッチした要望、さらには企業からの連携相談などに即時対応しながら、事業を進化させてきました。
クリーニング店との連携から始まり、近年はフリマサービスの発送にも対応しています。自転車レンタルシステムの鍵やバッテリーの受け渡し、食品宅配やネットスーパーと連携した冷蔵・冷凍ロッカーなど、利用方法や用途は拡大。AIの時代に呼応して、24時間管理センターもさらに発展しています。顧客の声に耳を傾け、即座に改善を重ねていく。その姿勢はフルタイムシステムの事業戦略の核心であり、これからも継続していきます。

(談:株式会社フルタイムシステム 原 幸一郎、大西 信行、森 朋之 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221636)ホームセキュリティ セコム ホームセキュリティ

ホームセキュリティ セコム ホームセキュリティ

企業向けから始まった日本初の家庭用安全システム

私たちは1962年、日本初の警備保障会社として創業しました(当時の社名は日本警備保障)。事業は企業向けの巡回警備から始まり、その後、常駐警備を導入。創業から4年後の1966年にはセンサーとネットワークなどを活用し、異常を感知すると警備員が駆けつける今のオンラインセキュリティシステムとなる仕組みを構築しサービスを開始しました。
家庭向けサービスの開発に着手したのは、創業者が企業向けの警備を自宅で試したことがきっかけです。大きな安心感を得られた経験から、個人宅でのニーズを確信しました。その後、1981年に日本初のオンラインによる家庭用安全システム「マイアラーム」が誕生。1989年に「セコム・ホームセキュリティ」と名前を改め、40年以上にわたり、お客さまの「安全・安心」を守る存在として進化し続けています。
時代とともにお客さまの不安や困りごとも変化し、新たなサービスも生まれました。離れて暮らす家族の見守り、大切な写真や処方箋情報などのデータ預かり、ゲーミフィケーションを取り入れたアプリ開発など、提供する価値を広げています。
操作パネルも進化しています。私たちが一貫して目指しているのは、機能的で家族の誰もが使いやすく、インテリアにも調和するデザインです。現在は、液晶画面を搭載し、顔認証による警備状態の解除や、スマートフォンのアプリでの遠隔操作も可能となっています。

ステッカーで“見せる警備”、狙う気にさせない安心の目印

「セコム・ホームセキュリティ」は、私たちのビジネスを支える大きな柱であり、セコムブランドを形作り、浸透させる大きな役割を担っています。その背景には、「セコム、してますか?」というキャッチフレーズでおなじみのテレビCMの存在があります。長嶋茂雄さんに長らくご出演いただき、「セコム・ホームセキュリティ」のブランドイメージ向上を目的に発信してきました。現在は大谷翔平さんにもご出演いただき、ブランド発信を続けています。テレビCMの効果を数値で厳密に測るのは難しいものの、認知拡大に寄与したことは間違いありません。
さらに、セコムブランドを語る上で欠かせないもうひとつの要素が「ステッカー」です。ロゴを配した赤を基調としたデザインで、セコムを象徴する存在となっています。私たちが目指すセキュリティの根本思想は、「狙わせない」「狙う気にさせない」というものです。建物の外から見える場所にステッカーを掲示することで、「セキュリティ対策が施されている」と示し、侵入・犯罪の抑止へとつなげています。
“見せる警備”を40年以上続けてきた結果、「ステッカーだけを購入できないか」というお問い合わせをいただくほど、その信頼性は広く浸透しています。ステッカーのデザインは、これまで微調整は行ってきましたが、基本的な印象は変えずに守り続けています。

最新のセンサーやデバイスで「安全・安心」を向上

かつて家庭用の防犯の狙いは、「財産を守ること」が中心でした。しかし現在は、「命や健康を守ること」へと重点が移りつつあります。私たちが提供する価値とは、時代とともに移り変わる不安や困りごとに応えながら、自らも進化し続けることだと考えています。その進化のひとつが、セキュリティにおけるセンサーの活用です。
センサーは本来、侵入者の動きを感知するためのものですが、実際には日常の人の動きもとらえています。私たちはそのデータをヒートマップ化し、家族の見守りサービスを契約者の方に共有しています。こうした情報共有は、離れて暮らす家族に対する不安を和らげ、介護離職の防止にもつながると期待しています。
さらに、デバイス自体の進化にも対応し、スマートウォッチから直接SOSを送信できるアプリも開発しました。日常と緊急時、どちらの「安全・安心」も高めていくサービスの開発は、私たちの存在価値であり役割であると考えています。

揺るがない信頼が最大のブランド資産

私たちが考えるロングライフデザインの秘訣は、「変えてはいけないものを変えないこと」です。テクノロジーや社会が変化する中で、変えるべきことは柔軟に変えていきます。しかし、私たちのサービスを根底で支えているのは、お客さまからいただいている信頼です。この信頼に関わるものは、何があっても変えてはならず、決して揺らいではならないと思っています。
たとえば、何か異常事態が発生したとき、警備員はお預かりしている鍵でお客さまが不在の家に入り、状況を把握して正常化する責任を担います。こうした業務を任されているセキュリティ会社である私たちは、一般企業よりも厳格なルールがあり、必ず証拠が残るシステムを構築しています。創業以来、ずっと守り続けてきた「安心して任せられるサービス」であるからこそ、広告やステッカーなどの効果も発揮されると考えています。

(談:セコム株式会社 松本 敏弘、深澤 達也 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221637)モバイルデバイスによる交通系ICサービス モバイルSuica

モバイルデバイスによる交通系ICサービス モバイルSuica

UIはそのまま、機能は着実に進化

モバイルSuicaは2006年1月に誕生しました。当時は、駅の窓口や自動券売機で提供していた定期券の購入やチャージのサービスをいつでもどこでも利用できるようにすることを目指し、フィーチャーフォン(携帯電話)向けのサービスとして始まりました。携帯電話のICチップにSuicaを発行し、自動改札機にタッチして乗車できるだけでなく、その場でSF(電子マネー)チャージやSuica定期券・Suicaグリーン券の購入ができるようになりました。当時としては画期的な進化だったと思います。
2009年頃からスマートフォンが普及し始め、モバイルSuicaは2011年7月にAndroidへの対応を開始しました。そして大きな転機となったのが、2016年10月のApple Payへの対応です。これによりモバイルSuicaがiPhoneで使えるようになり、利用するお客さまが一気に拡大しました。この際に、既存のSuicaカードをiPhoneに接触させるだけでモバイルに移行できる機能を具備し、スムーズな切り替えを実現可能にしました。また、アプリのUIをシンプルに見直したのもこの時期で、現在のアプリのトップ画面の原型はこのときに完成しています。
2016年以降は、アプリのUIの大きな変更はありませんが、機能面では着実に進化を続けています。たとえば、楽天ペイやau PAY、d払いなどの外部サービスとの連携によりチャージ手段を拡充し、日常生活の中で自然にもっと利用できる仕組みが整ってきました。2023年春からは中学生・高校生の定期券も購入・利用可能にしました。学生証などの通学区間の証明書をアプリで撮影してアップロードするだけで、駅に行かずに定期券を購入できるのは、モバイルSuicaならではの大きなメリットです。こうした取り組みはお客さまのストレスが軽減されるだけでなく、駅で働く社員の業務の変化にもつながっています。

人々の行動に変化をもたらす革新的なツール

交通系ICカードといえばSuicaを思い浮かべる人は少なくないと思います。現在のモバイルSuicaの発行枚数は、2025年9月末時点で3,800万枚に達し、Suica全体の発行枚数の約3分の1となっています。
その始まりは、2001年に誕生したカード型のSuicaです。きっぷの購入が不要となり、乗車スタイルをはじめ、人々の行動に変化をもたらすきっかけとなりました。2013年にはPASMO(首都圏の私鉄・地下鉄など)やICOCA(JR西日本)、TOICA(JR東海)などを含む全国10種類の交通系ICカードにて相互利用が可能になりました。
現在、電子マネーとして買い物での決済をはじめ、オフィスでの入退館証やコインロッカーの解錠など、多用途に利用されています。駅ビルや駅ナカで貯まるJRE POINTをモバイルSuicaのSFにチャージできたり、Suicaグリーン券に交換できたりといった仕組みも整え、日常生活の中で自然に利用していただけるようになっています。モバイルSuicaにおいては、カード型のSuicaの利便性はそのままに、前述した通学定期券の購入機能やカード券面の着せ替え機能などの機能を追加。最近ではウィジェット機能を導入、サービスを開始し、モバイルSuicaアプリを開かなくてもSF残高を確認できたり、よりスムーズにSFチャージができるようになりました。

移動のためのツールから生活を支えるデバイスへ

鉄道を中心としたモビリティ事業と生活ソリューション事業の会社である私たちとお客さまとの接点のひとつであるSuicaは、駅といったリアルな場から、スマートフォンを中心としたデジタルな場へと移りつつあります。そうした中で、モバイルSuicaはお客さまと直接つながる、きわめて大切なツールです。
2024年6月に発表した中長期ビジネス成長戦略「Beyond the Border」にて、今後10年でSuicaの機能をさらにグレードアップさせていき、「移動のデバイス」から「生活のデバイス」へと進化させていきます。たとえば、現在のSuica の上限額(2万円)を超える買い物にも利用できるコード決済機能、家族、友達同士でバリューを送ったりする電子マネーを送る&受け取る機能の実現、さらに駅の自動改札にてタッチを必要としないウォークスルー改札の実現なども目指しています。「移動のためのツール」から「生活を支えるデバイス」へと進化し続けていくために、これからも利用されるお客さまの声を大切に伺いながら、より便利で身近に感じていただけるサービスへと育てていきたいと考えています。

安心して利用できるわかりやすいサービスであり続ける

モバイルSuicaがロングライフデザインとして長く愛されてきた秘訣は、安心してご利用していただけるように、常にお客さまの視点に立ってわかりやすさを大切にしてきたことだと思います。特に、2016年にiPhoneで利用可能となったタイミングでアプリのUIを刷新し、SuicaのSF残高表示やチャージボタンの配置などを見直しました。現在も、誰もが直感的に操作できるシンプルでわかりやすいデザインを採用しています。また、ユーザーの会員登録にはJR東日本の共通会員基盤であるJRE IDをモバイルSuicaでも採用し、JRE IDでモバイルSuicaに登録したユーザーは、えきねっとなどの当社のほかのサービスも会員情報を引き継いで使用することができるようになりました。このようにUIだけでなく、お客さまの体験・UXの部分でも改善を図ってきました。
誕生以来変わらない要素を守りながら、お客さまのニーズに合わせて機能を拡充し続けていくことが、結果として長く続くサービスになるのだと思います。

(談:東日本旅客鉄道株式会社 古城 英彦 まとめ:西山 薫)


イメージ(25L221638)屋上緑化工法 アクアソイル工法

屋上緑化工法 アクアソイル工法

ブームに流されず一貫して屋上緑化事業に取り組む

アクアソイル工法は、イケガミが開発した人工土壌(アクアソイル)と透水通気シート、耐圧透水通気板を組み合わせた、屋上緑化や造園のための独自工法です。特徴は、軽量でありながら保水性と排水性のバランスに優れ、経年劣化しにくいこと。さらに、植物の細かい根っこが生えてしっかり支えるので、構造物を傷めにくいという利点もあります。細かい根っこがたくさん生えるのは、土の中の水分と酸素のバランスが良い証拠でもあります。
屋上緑化にはこれまで3度のブームがありました。最初は「東京のビルの屋上を全部緑化すると、電力削減効果がある」と注目された時期。次は当時の都知事が屋上緑化によるCO2削減を目的に助成金を設けた時期。そして最後は、洞爺湖サミットを契機に生物多様性への関心が高まり、壁面緑化が話題となった時期です。こうした流行の波が繰り返される中でも、私たちは一貫して独自工法で屋上緑化事業に取り組んできました。

水と空気で植物は育つ、直感を信じて確立した独自工法

アクアソイル工法は、当社にとって創業以来48年間、会社を支えてきた基幹技術であり、唯一無二の存在です。この技術があったからこそ、今日まで事業を継続してこられました。
この工法を開発したのは、イケガミを創業した私の父です。集団就職で上京し、東京の灰色の街並みに衝撃を受けたといいます。幼い頃から植物に親しんでいた父は、屋上を緑化すれば故郷のような環境ができると考えたのです。父は、日本橋にある百貨店で屋上緑化の機会を得て、選んだ素材が真珠岩を焼成したパーライトでした。
従来は土と混ぜて軽量化する素材でしたが、父はあえて100%使うことを提案しました。「あんなもので植物が育つはずがない」と専門家から批判を受けたそうですが、水草栽培の知識や自身の経験に基づき、水と空気があれば植物は育つと直感したそうです。これがアクアソイル工法へとつながりました。
アクアソイル工法は1963年から1965年頃に誕生し、1980年頃にほぼ確立されました。その後、マイナーチェンジは行われましたが、基本的な構造は変わっていません。おもに屋上や草屋根などの人工地盤として使用されていますが、通常の外構(地面)でも効果を発揮しています。現在では植栽基盤材の提供にとどまらず、設計部を立ち上げ、都市環境をより良くするための植栽の在り方を探る活動へと広がっています。

限られた条件の中で地面に近い環境を再現する

地面は、雨が降れば地下に水が染み込み、やがて川や海へ流れ、蒸発して再び空へ戻るという循環がありました。しかし都市開発によってそのサイクルは分断。ビルが建ち並ぶ中で、ともすれば表面的に緑で飾る緑化で満足しているのが現状かもしれません。
そんな中、私たちが目指しているのは、屋上という制約の中で、自然のような地盤の機能を人工地盤で維持していくこと。地上の造園とは違い、屋上には荷重や防水などの制約があります。その限られた条件下で、どれだけ地面に近い環境を再現できるかがアクアソイル工法の役割です。軽量で耐水性に優れ、斜面や屋根でも崩れにくく、植物の活着率(植物が根付く確率)も高い。その強みが生かされ、福岡の天神にある複合施設「アクロス福岡」では竣工後の初期で枯れる植物はごくわずかでした。また、勾配のある住宅の屋根そのものを緑化する草屋根緑化工法も、アクアソイル工法を応用して開発しました。

開発者の教えを徹底して貫き、成功事例が信頼に

アクアソイル工法が信頼を得てきたのは、開発者が決めた「これ以外のことは、絶対にやってはいけない」という原則を厳守し、簡単に仕様変更をしなかったからだと考えています。たとえば、アクアソイルにはほとんど肥料分が含まれておらず、有機物も混ぜません。肥料を入れれば木が大きくなりすぎ、重量が増す。有機物を入れると残留成分が根詰まりの原因にもなる。だからこそ、禁じてきたのです。
重視したのは経年変化でした。建物は簡単に改修できないため、「50年使う建物なら植栽も50年持たせる」という設計思想で、仕様変更も安易には行わず、問題が起きても元に戻せるようにしました。資金力が乏しく、他社のように新製品は出せませんでしたが、着実に育った木々や成功事例が信頼となり、事業を広げていきました。
最初は「貧弱だ」と見られた植栽も、やがて森のように育ったように、事業としても時間をかけて評価されていったのです。長期的な視点で設計された開発者の教えを貫いたからこそ、成果につながっていると確信しています。

(談:株式会社イケガミ 池上 靖幸 まとめ:西山 薫)

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