中西元男 対談バックナンバー

 
 

第5回(2000.6.30)


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中西: Gマークは世の中に対して、ここまでデザインの役割があるんだ、ということをプレゼンテーションしていくという意味合いも大きい。日本のいろいろなデザイン分野やデザイン賞の中で、そういうことができるのは、やはりGマークであると思います。ですから、この新領域デザイン部門は、常にいまの先端デザインとは何かを考えるという視点で捉えたらいいのではないかと思います。
あらゆる人工物には全部デザインがある、あるいは必要です。それはデザインしたかしないかとか、あるいはデザイナーが関与しているかどうかということではない。何かものをつくり出すときに、それが少しでも美しくありたい、快適でありたい、安全でありたいということを考えれば、そこにデザインという行為が必ず発生してくる。そういう意味合いでは、ともかく人工的につくり出すすべてのものにデザインは関わっている。大局的には、そういう考え方もできるのではないかと思います。
山中: 僕は実際にクライアントのために商品デザインをするときに、たとえば4カ月でデザインしてくれと言われると、最初の2カ月はスケッチを描きません。クライアントの人たちは、契約が成立して仕事内容の説明が終わるとすると、早速「では次回のミーティングでスケッチを見せてもらえますか」と要求するけれども、こちらは、とにかく最初の2カ月間は1枚も絵を描かないから覚悟しておいてねという。
そしていろいろな写真や、言葉を並べてみたり、技術的な提案を一通り試みて可能性を確認したりしながら、どういう商品にしていくのかということを「かたち」のないまま考える。その中から、気持ちがいい言葉が見つかって、気持ちのいいシーンや存在感が見えてくる。そうなれば、デザインはもうできたようなものです。このように商品のあり方を考えていくプロセスこそが、実はデザインではないのか。結果的に、それが狭義のデザイン、「かたち」も含む商品の魅力そのものを導いていく。

しいて言うと、「気持ちがいい」ということが、実はデザインとそうでない領域を分けるキーワードかもしれない。車の最高速度を追求することは、おそらく科学であってデザインではない。人の気持ちや美意識、価値観など従来の科学-エンジニアリングではとらえにくい部分を提示して表現する能力、そこがデザインかと思います。そこを見ようとすると、最初にデザインという言葉でイメージされる色、形、素材の話からはだいぶ離れた話になってしまう。しかしながら、最終的には色、形、素材、あり方がいいというところまでいっていないと、デザインとしてよくできているとはもちろん言えない。狭義のデザインは「気持ちのいいもの」のひとつの現れ方という気がします。

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中西: 中西さんいま山中さんが言われたように、気持ちがいい、快適、安全というもののデザインは、受け手にとっていかにいいかということだろうと思います。では、兵器は形としては美しいけれども、あれはグッドデザインと呼ぶのかという話に多分なってくる。あれはグッドシェイプかグッドフォルムかもしれないけれども、グッドデザインと呼ぶかどうかといったときには一線を引く、ということだと思います。

ものをつくるときには機能も重要だし、コストパフォーマンスがあるかどうかも重要です。でも一方で、サイコロジカルなパフォーマンス(サイコパフォーマンス)あるいはエモーション(感動を与えるかどうか)というところも、デザインの中で非常に重要な部分だろうと思います。また一方では、そういうものを生み出すための仕組み、何かもとになるものがある。さきほどビジネスデザインという話がありましたが、形や表現レベルで誰もがいいデザインだと認めるものをつくるためには、いいものをつくるための政策や方針のデザイン、コンセプトのデザインがよくないと、あるいはきちんとしていないと、生まれ得ないことがはっきりしている。また、そういうことがはっきりしないと、形なら形になったものをどう評価するか、スクリーニングしていくかということもできないと思います。そういう意味で、デザインという言葉を使うときには、私は基本的には形や表現のデザインよりも前に、政策や方針のデザインを一番目に挙げます。何か依頼を受けたときには、まずそこから考える。そして、そこの部分だけを取ってそれも重要なデザインだといっても別にかまわない。

山中: デザインの領域が広がった原因の一つに、たまたまデザイナーが新しい領域の問題に対処するのに役に立ってしまったと言う事実があると思います。例えば環境問題では、デザイナーはみんな環境問題が好きだよねというレベルではなく、デザイナーが参加することで環境問題のメッセージが、生活者のもとに具体的に届いたと僕は考えています。エコロジーは、純粋にエンジニアリング上の問題になってもおかしくはなかったし、ポリティカルな問題でもあるわけだけれども、デザインの中でそれが大きくクローズアップされていくのは、デザイナーが目に見える物、触れる物にすることによって、誰にとってもサステナブル・ライフが必ずしも苦行ではないということに気づかせてくれたからです。

もっと言うと、ある価値を提案し、プレゼンテーションする能力を、デザイナー以外の人たちが意外に持っていなかったということが正直なところではないかという気がします。デザイナーは昔から審美的なこと、きれいな形をつくり、あるいは使いやすくするというあたりが仕事だと思われていたけれども、それらの価値は物ができ上がる前には非常に説明のしにくいものです。それらは価値観としては存在しますが、商品スペックとしては数値化しにくい、やっかいなスペックです。それを世の中に訴えるためにデザイナーはキーワードを考えたり、ビジュアルに訴えたり、スケッチやモデルを使ったりして、自分が考えたことをプレゼンテーションする方法を工夫してきました。つまり価値観の提示です。

吉川弘之氏が言うように科学技術の知識それ自体は、価値感や行動指針を提示してくれないので、テクノロジーはしばしば暴走します。テクノロジーのまっただ中にいて、価値を扱うことに長けていたのがデザイナーだった。
エコロジーにしろ、ユニバーサルにしろ、インタラクションにしろ、産業に関わる近年のテーマは、工学的な問題というよりも、人間や社会、政治と直接かかわる価値観やコンセンサスの問題です。これまでの大量に効率よくものをつくることに対して、きわめて有効に働いていたテクノロジーは、社会的コンセンサスの形成が問題になってきたときに、即応的な手を打てなかった。でも、その間にも運動としては盛り上がっていくという中で、たまたまデザイナーが持っているものの考え方や価値を提示するスキルがきわめて重要だったから、デザインの活動領域があっという間に拡大したのだと僕は理解しています。
そうやってデザイナーの活躍領域が広がってきた結果、元々デザイナーじゃない人たちにも、価値を提示する方法がわかってきた。その結果今日では、そういう新しい文化的、精神的価値を商品の上で提示する人々の行為を、ことごとくデザインと呼びたい状況があるのではないかなと思います。

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中西: 本当にその通りだと思います。物的価値や技術的価値は、誰でもつくります。これに情報価値やイメージ価値を付与する、あるいはそういう観点から見ることによって完成度を高める、場合によっては逆に情報価値を出発点にものをつくり出すということは、まさにデザイナーがコ・ワークすることによって生まれてくると言えます。そういうデザイン姿勢を取り入れていく、つまりそういう経営をしていくということは、成熟化社会できわめて重要な意味を持ってきている。何でもあればいいという欠乏充足型の時代にはそれほど必要なかったかもしれないけれども、ある種の精神的充足、欲望充足というところになってくると、情報価値やイメージ価値が市場での勝負になってくるという事例がたくさん出てきていると思います。
ただし、デザインがどんどんインフラ(社会基盤)になっていくことを考えると、それがデザイナーという専門職だけの仕事だという考え方をするよりは、デザイナーではない人でもいいデザインがつくれる人はどんどんつくればいい。むしろこれからのデザインはそういう考え方を取るべきだと思います。

特にいまのように誰もがパソコンを使うようになって、いいソフトもいろいろ出てくると、あるレベルのセンスや審美眼がある人にとっては、別にデザインの専門教育を受けていなくても、グッドデザインをつくれる時代になってきている。まさに広い意味での「デザインの時代」になってきていると思います。Gマークの新領域デザインという分野は、まさにそういう時代の風や知・美の受け皿として用意されている。そこでは、専門職のデザイナーがたとえ関与していなくても、デザインしたと意識されたものがどんどん応募されてくることによって議論が起こり、これがなぜデザインなのか考えること自体が、非常に重要なのだと思います。新領域というわかりやすいキーワードを設けたのは、そういうことです。
エコロジーやユニバーサルというと、テーマに合わせるという受注産業的発想が出てきてしまう。そうではなく、むしろ自分がプレゼンテーションしていく、これが自分にとってデザインだ、これをデザインと認めてほしいという発想でとらえられるという意味合いで、新領域デザインという言葉はおもしろいと思っています。応募いただく方にはそういう幅広い受け取り方をして頂きたいと思っています。

山中: 山中 俊治さん AIBOというロボットの開発に携わったエンジニアたちと議論していたときのことです。何もガワをつけていない初期のロボットのビデオを見せてくれながら、「まだこの段階ではデザインをしてないんですけどね」と言うので、思わず「そんなことないよ。もうデザインしたじゃない(笑)」と横やりを入れてしまいました。すでにそのむき出しのロボットには、人工知能が発する予想のつかない動きの魅力、独特のかわいらしさは十分見ることができた。だから「偶然じゃなく、意識してこの魅力を創造したのでしょう。だったら、あなたはもうデザイナーだよ。そこから先、ガワを付けて、ガワの形を考える人だけがデザイナーではないよ」という話をしました。その部分が、AIBOの「デザイン」について、いちばん伝えたいことなんです。
僕の中では、その辺のことは理解してもらえて当然のことのような気がしていたけれども、実際AIBOが昨年大賞を取ったことが発表されると、結局「かたち」がいいのか悪いのかという話へ行ってしまう。こちらとしてはデザインと呼びたいものをデザインと呼ばせてほしい、そしてプロのデザイナーでなくても、あなたはデザイナーですよとほめてあげたい。ひょっとすると、審査委員の独りよがりかもしれません。しかし、これもデザインではないのかという投げかけがコンセンサスを得られ、社会的に認知されるかどうかで、デザインの領域が定まってくる。そんな途中過程なのだろうと思っています。
中西: AIBOを見ていて私が思うのは、やはりまず政策や方針のデザインがあって、ソニーという会社の固有の経営資源があるからこそ生まれてきている、ということです。そういう知的、技術的資産と社風をどう活かすかというところで、商品開発が行われたり、新事業がつくられていく。その場合には、形をつくる人は、ある種のスタイリストという言葉を使っていいのかどうかわからないけれども、そういうものだろうと思います。そこのところの根本発想がなかなかブレイクスルーできない企業が多い。
日本のデザイン教育はどうも美術教育の延長上にあるため、どうしても作品をかたちづくるという視座から抜け切れないところがある。でも一方で、デザインはアートのように自分のつくりたいものをつくるのではなく、受け手がいて、その人にとって適切なものをどうつくるかという使命がある。ソットサスは「デザインとは人に花を贈るようなものだ」と言っていますが、相手のことを考え抜いて生み出すのがデザインだという思想は、非常にすばらしい。デザインとはなんぞやといった場合の一つの明快な回答だろうと思います。

いま、デザイン8団体の会員が減っています。それは、いわゆる作品・作家型のデザインが限界に達したということではないかと思います。システムやネットワーク、あるいはコンサルテーションというところでのデザインが、非常に重要な位置を占め始めている。そこへの移行期のような気がします。作品主義的にすばらしいものはこれからも残ると思うけれども、そういうことではないボリュームゾーンをデザイン領域として重視していこうという時代がやってきている。

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山中: 作品性の高いデザインについては、別な動きもあります。ネット上で作品を発表し、時には商品の生産、販売までしてしまうデザイナー達です。「量産」は彼らにとって絶対命題ではありません。こうした従来のインダストリーの枠に収まらない作家活動的な部分が、もう少しGマークに入ってくるといいなと思います。もっとも、「G」のシールを貼るという行為が旧インダストリーの発想なのでなじまないかもしれませんがね(笑)。ともかく旧来型の作品性の高いデザインと入れ代わりつつあることも確かです。たとえばエレファントデザインみたいなやり方ですね。
中西: いままでのデザインは過去のデータなり何なりから生まれてくるという意味で、受注産業型だったと思います。それは方法論でいうと帰納法や演繹法に則って出てくる成果としてのデザインであった。それに対してエレファントデザインの空想家電は方法論として仮説法ですね。そういうところがデザインの新しい領域・方法論として出てきていることは、非常にわかるような気がします。使い手側が自分で参加する、自分の意見を活かす、自分もつくることに責任を持つというデザインが増えてくる一つの兆しだと思います。

いろいろな方法は考えられると思うけれども、非常に情報価値オリエンテッドなデザイン開発手法であることは間違いない。そういう意味では、インターネットを活用することによって、ものの考え方や主義主張に賛同して集まるという、非常にインティメイト(意識共感)なアイデンティティを共有することによって、そこに一つの世界がつくられたり、あるいはそれが固有の価値を持つデザインとしてリアライズされるケースがこれからは増えてくると思います。

山中: 昔のデザイナーの名作というと美術館入りのイメージですが、いまの新しい動きの中では、むしろ美容院に近い。つまり、それぞれの人間に対してサービスしていくという姿勢だから、少量でありながら大衆化している。美容師の作り上げる個々のヘアスタイルはもちろん作品ではあるけれども、美術館入りするものではなくて、その人によって町中に展示される作品です。同様にネットをベースにした新しいデザインサービスの中では、作品のあり方が、従来のアノニマスな量産品とも美術館入りの名作ともまるで違うものになっているのです。そういうデザインを今後Gマークがどんなかたちで評価しうるのか。これも検討すべきところです。
中西: 新領域デザインというのは、将来へ向かっての新領域でもいいし、あるいはいままでのデザインという分野を超えて、横に広がっての新領域でもいい。あるいは過去にさかのぼって、既存のものに新しい息吹を与えるということでの新領域であってもいい。そういう意味では、あまり自己規制をしてしまわないで、どんどんGマークへ提案と挑戦して頂きたいと思います。
デザインには量は質みたいな性格もあって、数増えることによって、ある程度質が上がります。数が多くなれば結果的に押し上げられて、頂上の価値や位置づけは高くなる。この裾野を広げるという動きがGマーク存立の一つの運動として広がっていくといくとき、非常に重要な定義づけの変革になると思うのです。 今日はどうもありがとうございました。良い審査にしたいですね。
(2000年6月19日 東京・浜松町のJIDPO会議室にて収録)
  ●山中 俊治
リーディング・エッジ・デザイン主宰
1982年東京大学工学部卒業。日産自動車を経て、1987年からフリーの工業デザイナーとして活動。
1994年、リーディング・エッジ・デザイン設立。
2000年度グッドデザイン賞審査委員。

●中西 元男
PAOS代表、2000年度グッドデザイン賞審査委員長

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