デザインの領域が広がった原因の一つに、たまたまデザイナーが新しい領域の問題に対処するのに役に立ってしまったと言う事実があると思います。例えば環境問題では、デザイナーはみんな環境問題が好きだよねというレベルではなく、デザイナーが参加することで環境問題のメッセージが、生活者のもとに具体的に届いたと僕は考えています。エコロジーは、純粋にエンジニアリング上の問題になってもおかしくはなかったし、ポリティカルな問題でもあるわけだけれども、デザインの中でそれが大きくクローズアップされていくのは、デザイナーが目に見える物、触れる物にすることによって、誰にとってもサステナブル・ライフが必ずしも苦行ではないということに気づかせてくれたからです。
もっと言うと、ある価値を提案し、プレゼンテーションする能力を、デザイナー以外の人たちが意外に持っていなかったということが正直なところではないかという気がします。デザイナーは昔から審美的なこと、きれいな形をつくり、あるいは使いやすくするというあたりが仕事だと思われていたけれども、それらの価値は物ができ上がる前には非常に説明のしにくいものです。それらは価値観としては存在しますが、商品スペックとしては数値化しにくい、やっかいなスペックです。それを世の中に訴えるためにデザイナーはキーワードを考えたり、ビジュアルに訴えたり、スケッチやモデルを使ったりして、自分が考えたことをプレゼンテーションする方法を工夫してきました。つまり価値観の提示です。
吉川弘之氏が言うように科学技術の知識それ自体は、価値感や行動指針を提示してくれないので、テクノロジーはしばしば暴走します。テクノロジーのまっただ中にいて、価値を扱うことに長けていたのがデザイナーだった。
エコロジーにしろ、ユニバーサルにしろ、インタラクションにしろ、産業に関わる近年のテーマは、工学的な問題というよりも、人間や社会、政治と直接かかわる価値観やコンセンサスの問題です。これまでの大量に効率よくものをつくることに対して、きわめて有効に働いていたテクノロジーは、社会的コンセンサスの形成が問題になってきたときに、即応的な手を打てなかった。でも、その間にも運動としては盛り上がっていくという中で、たまたまデザイナーが持っているものの考え方や価値を提示するスキルがきわめて重要だったから、デザインの活動領域があっという間に拡大したのだと僕は理解しています。
そうやってデザイナーの活躍領域が広がってきた結果、元々デザイナーじゃない人たちにも、価値を提示する方法がわかってきた。その結果今日では、そういう新しい文化的、精神的価値を商品の上で提示する人々の行為を、ことごとくデザインと呼びたい状況があるのではないかなと思います。