喜多俊之 対談バックナンバー

 
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モリソン:

本当の意味でのデザインは決して変わってはいないと思います。ただ、デザインという言葉に含まれる内容がずいぶん変わってきています。

喜多:

人々が「デザイン」という言葉から想起する内容が変化してきているということでしょうか。

モリソン:

15年前は、デザインをめぐる世界は限られた、少数の人たちのクラブ的な世界でした。いまではデザインを消費する人たちの層はものすごく拡大しました。ミラノから日本に来て、日本からミラノにデザインのテレビ取材が来るというように、デザインをめぐって人やモノや情報がこれまでになく往来するようになりました。

喜多:

アジアのいくつかの国々は、デザインを国家プロジェクトに位置づけています。それはヨーロッパも同じで、イギリスも力を入れていますよね。フランスやドイツもそうです。東京のイギリス大使館やフランス領事館は特にデザインに対して熱心です。

モリソン:

それにはやや不思議な気もします。それというのは、イギリスでデザインの仕事をしようと思っても、全然仕事の場がない。だから、これまでは必然的に外に目を向けざるをえなかったのです。国内に働く場がないのに、海外に向かって熱心にデザイン、デザインと言っているのが理解しにくいところもあります。

 
喜多:

いま、ヨーロッパではデザイナーの活動のフィールドに国境がなくなってきたように思います。ジャスパーさんもその一人かと思いますが、それはデザイナーにとってはいいことですよね。

モリソン:

とてもいいことです。私がイタリアやドイツの企業と仕事を始めたころはちょうどファクスが普及してきていたので、自分のスタジオにいながら、海外の人たちと仕事ができました。そのころから国の枠にとらわれずにデザインを行なっていくことは当たり前のことと考えていました。

喜多:

いまやインターネットでもっと自由にコミュニケーションができますから、仕事をする場所を選ばないところがありますね。ジャスパーさんはこれまで日本の企業との関わりもありますが、ヨーロッパでは日本のプロダクトデザインはどういうイメージを持たれていますか。

モリソン:

ヨーロッパでの評判はとてもいいと思います。昔は日本製品は安いものの象徴のようでしたが、私が14歳のときに日本製のカメラが本格的に売られるようになりました。それから急速に日本のプロダクトに対するイメージが変わって、私も19歳で初めてホンダのオートバイを買いました。いま日本製品は、ヨーロッパの日常の風景になくてはならないものになっています。私はソニーのトリニトロンも、25年間ずっと同じものを使い続けています。

喜多:

ジャスパーさんは日本の企業との仕事もされ、イタリアの企業ともプロジェクトを進めていらっしゃる。以前はデザインの内容や作業の進め方などにもある種の「国境」がありました。いまはそれをあまり感じないと思いますが、いかがですか。

モリソン:

国境のようなものを感じるとすれば、たとえばイタリアの企業の仕事をするときは、ハイテクではなくミッドテクノロジーの照明器具などが多いという特徴を感じるときがあります。それは喜多さんもよくご存じだと思います。

喜多:

イタリアのようなミッドテクノロジー、日本などのハイテクノロジー、ジャスパーさんはどちらにも関心を持って仕事をしていると思うのですが。日本のデザインで特に関心がある分野は何ですか。

モリソン:

日本ではいままでにエレクトロニクスの分野もティーポットなどのデザインもやりました。どこのデザインというよりは、その仕事がおもしろいもので、一緒に仕事をする人たちがいい人たちであれば、私はいつでも関心を持って仕事をすることができます。

 
喜多:

ヨーロッパの国々がデザインにとても関心を持っているなか、これからヨーロッパのデザインはどういう方向に進んでいくと思いますか。

モリソン:

ふたつの方向に進むと考えられます。最近は、マスコミもデザインに高い関心を寄せています。でも、これは決して良いことばかりではありません。デザインの持つ意味をねじ曲げてしまう、悪い影響もあると思います。たとえばメディアがすぐ飛びつくようなもの、人目を引くようなフォルムが雑誌やテレビをにぎわせています。それはたしかにクリエイティブな表現として目を引きます。でも、本来大事なはずの機能性よりも、そうしたものこそがデザインだという間違ったイメージを与えていると思います。

喜多:

デザインは日常のライフスタイルにまず焦点を定める必要があるはずです。メーカーは製品を真面目につくり続けなければいけませんから、そのバランスはとても大切なのではないかと思います。

話は変わりますが、私たちが最初に出会ったのは、イタリアのマジスという企業が縁でした。私が一つのプロジェクトにかかわっていて、ジャスパーさんも別のプロジェクトにかかわっていた。マジスのオーナーのベラッツァさんは、ジャスパーさんはよく冗談でクレイジーと言うけれども、とてもおもしろい経営者です。私たちのような外部の立場のデザイナーが企業と共同で仕事を進める場合、ヨーロッパではプロジェクトについてオーナーと直接話をすることが多いのですが、企業とデザイナーの関係についてはどのように考えていますか。

モリソン:

デザインで成功している会社とは、デザインに対するすべての責任を持っているオーナーや役員レベルの人たちと直接かかわりながら仕事ができます。

喜多:

日本でも仕事をされたので感じられたと思いますが、日本の場合、外部のデザイナーはプロジェクトの担当者と話をすることになっているのが一般的です。ほんらい、デザイナーは企業にとってたいへん重要な役割を担当するのですから、その企業の経営者のフィロソフィーが伝わってこなければなりません。

モリソン:

ヨーロッパの場合は企業の規模が小さいから、比較的そういった関係が成り立ちやすいのではないでしょうか。日本は大手の企業との仕事が多いですから、オーナーが直接関与するというのは難しいと思います。

喜多:

企業の規模によらず、企業としての考え方がデザイナーにうまく伝われば、比較的早く商品開発ができるけれども、それがなかなか伝わってこないというもどかしいところがあります。いまはいろいろな業界で競争状態になっていますから、その中でデザインの役割がとても重要になってきています。もはや会社が小さいから、大きいからと言っていられない可能性があります。

モリソン:

私もそう思いますね。おそらく日本だけではなく世界のどこであっても、デザインをどれだけ重要なものと考えて事業を進められるかが問われているのでしょう。

喜多:

日本はさらに、企業内に多くのデザイナーがいます。企業内のデザイナーと私たちのようなフリーのデザイナーの立場との違いについてはどう思われますか。

モリソン:

インハウスのデザイナーは大変だと思います。同じ領域の仕事を行うケースが多いわけですから、特定の分野の仕事は得意になるでしょうが、それと同時にクリエイティブのレベルを高めていくのが大変なのではないでしょうか。一方、外部のデザイナーは次から次へといろいろなプロジェクトを手がけていきますから、常にクリエイティブな意味で自分をリフレッシュしていくことができます。インハウスデザイナーは、会社に対して、カメラばかりではなく、テレビとかいろいろな仕事をやらせてほしいと強く主張すべきだと思います。それによって自分の創造力を磨けるようにしてほしいですね。

喜多:

フリーランスデザイナーは、いわば突然あるテーマにかかわるようになる立場ですが、インハウスデザイナーは常にその企業に属しているため、生産の方法など、ものづくりの深い部分にまでかかわることができる。そうした点はうらやましいと思います。でも、私たちデザイナーはクリエイションをすることが何より大切です。

最近、日本で二つのおもしろい展覧会が開かれました。どちらも京都での開催でしたが、一つはルイジ・コラーニ、もう一つはディーター・ラムスの展覧会です。

モリソン:

全く対照的なテーマですね。二人はいわば対極にあるデザイナーですが、それぞれとてもいいものをつくっています。

喜多:

一言で言うのは難しいでしょうが、ジャスパーさんはこのお二人をどう思われますか。

モリソン:

どちらかといえば、ディーター・ラムスのほうが具体的な功績を残しているように思います。

喜多:

ディーター・ラムスの仕事からはロジカルなデザインという印象を受けますね。ディーター・ラムスと日本の昔からのシンプルなデザインには共通した要素が感じられます。たとえば伝統的な障子、あるいは包丁などは、大変シンプルで、これ以上、足すことも引くこともできない。それとディーター・ラムスのデザインの考え方は何となく似ているような気がします。それは別に彼が意識したことではなく、偶然に同じスタンスを示しているだけかもしれませんが。

モリソン:

いえ、日本の文化に興味を持っているどころか、ほとんどとりつかれているくらいで、決して偶然ではないと思います。レコードプレイヤーのコントロールスイッチやボタンをどこに配置するかまで徹底的に突きつめたのは、ディーター・ラムスが初めてだと思います。

喜多:

一方のルイジ・コラーニについて、私は以前にある雑誌からインタビューを受ける機会があって、彼は未来への「預言者」なのではないかと答えたことがあります。

モリソン:

かなりユニークですものね。いまデザインの仕事をしている人たちに聞いたら、この二人に対する見方や考え方は半々で分かれるのではないでしょうか。

喜多:

そうですね。しかし日本では二人ともそれぞれに支持されています。日本人は古来から自分の人生は自然と一緒にあるという考え方を持っていました。日本の神様はもともと自然です。たとえば大きな石や木が神様だったり、滝や太陽が神様だったりします。いまはカルチャーがミックスしたから、それがはっきりしませんが、何百年か前を振り返ったら、日本の伝統的なデザインは自然と一緒にあったという感じがします。

モリソン:

本当のところ、ヨーロッパではデザインをめぐるディベートは程度の浅いものでしかありません。日本のようにデザインを人と自然とのかかわりというように哲学的にとらえる視点はあまりありませんから、自然と人、そしてデザインとの関係をあらためて考えさせられることで、ふだんはあまり意識しない自分の考え方にも目が向けられる思いがします。
ただ、イギリス人であれ、日本人であれ、何らかの意志をもってデザインをクリエイトしていくときには、デザイナーとしての態度には基本的な差異はないと思うし、いいデザインは共通して人に響いていると思います。

喜多:

まったく同感です。

モリソン:

日本人にはデザインをするときに哲学的な支えがあることを感じます。私がいつも日本に来るのが楽しみなのは、日本からそうした面が学べるからなのです。

喜多:

そのような日本が、いま世界でどこよりも早く、ハイテクノロジーのシャワーを浴びています。ハイテクノロジーに日本固有のセンスや文化を融合させることで、経済発展をしていかなければならないという立場になっています。もちろんこれは日本だけでなく、すべての国がそうした運命を辿ることになると思います。
ジャスパーさんはこれからの日本のデザインに対してどのような期待をされますか。

モリソン:

2年ぐらい前から、日本の若いデザイナーの仕事を見てきていますが、西洋とは全く違ったものをつくっていることがすばらしいと思っています。西洋の場合、「形がきれい」という程度の理解でデザインの仕事をしているデザイナーが多いのですが、日本では哲学的な理解から始めて、そのオブジェクトの意味するところは何か、それが存在する理由は何かというところから考えているから、深みのあるいい仕事ができるのではないかと期待しています。
どうしても私は、現在のヨーロッパはデザインに対する考え方が浅く、デザインが個人的なエゴを満たすためのコードにすぎなくなっている気がしてなりません。規模の大きなデザインの展覧会があれば、浅はかなものばかりが出品されて、若い人がそれを見ていいと思って、そのまねをする。何のためにモノをつくるのか、デザインをするのかという本来の目的を見失って、自分さえよければいいといった傾向が目につくからこそ、日本の深く考えてデザインをするという姿勢を私たちは学んでいきたいと思います。

喜多:

私はデザインというのはバランスのことだと考えています。複雑化が進んでいる現在はバランスに注目する必要があり、それも色や形のバランスというよりも、私たちのライフスタイル、生活や産業から求められる要素のバランスですね。地球環境、エコロジー、エネルギー問題など、デザインとはそういった数え切れないエレメントにバランスをもたらすものではないでしょうか。

モリソン:

私が今回の審査が楽しみなのもまさにその点にあります。ただ目を引いて有名になればいいという目的のためにつくられたデザインとは違う、本当に人々にとって役に立つデザインを、今回のグッドデザイン賞を通じて見つけることができたらいいと思います。

(2005年9月21日 東京・全日空ホテルにて収録)

●ジャスパー・モリソン(Jasper Morrison)
インダストリアルデザイナー

●喜多 俊之
株式会社アイ・ディ・ケイ・デザイン研究所 代表取締役
2005年度グッドデザイン賞審査委員長

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