喜多俊之 対談バックナンバー

 
BACK
マリー:

逆説的な状況ではありますが、デザインはひとつの流行になっていると考えられます。なぜ逆説的か、それはデザインがメディアによって流行すればするほど、デザイナーという職能が弱くなってきているからです。すなわち、今日、あらゆる企業がデザイナーを登用していますが、それがデザインの流行現象を助長してしまい、本来のデザイン作業が空転しているような状況になる。デザイナーはきちんとデザインに取り組めるのではなく、単なるスタイリストになってしまう。
最近フランスで発生した事例で、私が懸念していることがあります。来年フランスの高速鉄道車輛であるTGVのリニューアルが予定されていますが、それを担当するのがファッションデザイナーのクリスチャン・ラクロワなのです。彼の名前を使って、それを表面的な外見の問題としてのみ扱っている。彼には鉄道車輛の椅子を開発する能力は備わっていないので、実際の作業を担当するのはエンジニアです。つまり彼は安易なスタイリスト的な役割に徹するだけになってしまうのです。
いまは多くの人がデザインを口にしますが、市場に溢れているものを見るとデザインが失敗だったもののリストは非常に多いのではないかと思います。急いでデザインされてしまったものがあまりにも多い。本当のデザインは企業とデザイナーが時間をかけて作り上げる関係、それは結婚のようなものですが、それがいまはあまりにも少ない。

喜多:

日本でのデザインの現状について、いまマリーさんが言われたフランスの状況と合わせて少し異なる点があります。ひとつは、企業にとってはプロダクトが失敗すれば経営が立ち行かなくなってしまう。だから安易にデザインをすることに対してはとても慎重です。
日本ではインハウスデザイナーが多いのですが、これまでは新製品の開発にあたって、まず世界中のデータを集めてからデザインを行なうといった手法も多く取られていました。しかしこれからは、いままで世界に無かったオリジナリティを前面に出した製品を作り出して、企業イメージを高めていかなければならないと気付き始めています。本来デザインというのは使う側からのデザインと、作る側からのデザイン、流通する側からのデザイン、この三つを満足させる必要があると思います。これらの要素をどのようにバランスを取るかが問われます。この点では残念ながら、これまで多くの仕事を通じて、特に日本の経営者たちのデザインに対する意識は決して高いとは言えないように思われます。デザイナーたちは新しいデザインを生み出すように指示されても、何がその企業にとって新しいのかに悩むことになる。そのためメディアやデータの力を借りるのですが、あまりうまくいかないことが多いです。
グッドデザイン賞が生まれるきっかけは、約50年前に日本が世界のコピー大国であったのを改めなければいけない、という所からでした。そしてこの50年でデザイナーはとてもよく勉強してきました。しかし経営者たちはあまり勉強しているとは言えません。デザインとはまるで「デザイン」というボタンを押せば何かが出てくるかのような認識があったのではないか。デザインは実際には、複雑で有機的な要素が伴うものです。日本は特に、いまはコストという面でよりコストの低い国からの急激な進出に直面しています。

マリー:

先日行なわれたフランクフルトモーターショーにも初めて中国の乗用車が出展されました。しかしそれはたいへん未熟なもので、安全審査をパスすることもできませんでした。

喜多:

家庭用品や日用品に関しては、中国でもローコストで品質の良いものを作れるようになってきていますね。

マリー:

日本は50年かけて特に音響機器と映像機器の分野で世界をリードしました。音響と映像というのはなおも21世紀をリードする要素です。歴史を振り返ると、カメラは第二次世界大戦前まではドイツの専売特許でした。自動車はフランスで発明されたといってもよい。しかし技術というものはどんどん移動していきます。現在のヨーロッパでは特定の分野以外は製造業の力が弱まっていますが、それでも富を生み出している。これはルネサンス以降、ヨーロッパの個人の自己意識、自我が確立されているためで、あらゆる創造の源としての自我を持った個の存在があるからです。日本でもこれからそれを確立していくことが必要ではないでしょうか。

喜多:

日本のこれからのキーワードとしてとても重要だと思います。いままさに日本の企業、特にメーカーがそのことで壁にぶつかっています。メーカーとしての顔、イメージ、オリジナルな製品をどのように作るかということです。

マリー::

いま私たちは脱産業社会にいます。つまり、多くの製品が身の回りに溢れている状態で、消費者としての私たちの姿勢はかなり複雑、かつ多様になっています。私たちはものに対して多くのことを求めています。日常的に用いるものはソフィスティケートされていなければならないという気持ちと、説明書を読まなくても使えるような単純なものでなければならないとも考えています。同時に親しみやすく好感が持てるようなものでもなければならない。

喜多:

ユーザーに対してメーカーが何を発信していくか、的確な判断ができずメッセージがバラバラになっている要因は、一つには企業間競争もありますが、もう一つは顧客の満足度です。製品の頻繁なモデルチェンジや製品に付いているたくさんのボタンも、どうすればユーザーに満足してもらえるのかということの現れで、メーカーがしっかりとイニシアチブを取ることが必要ですね。

マリー:

デザイナーは創造的であっても、実際的な感覚を伴うことが少ないのではないでしょうか。特にデザイナーにはエンジニアのように「遊んで」しまう癖があります。デザイナーは市場のこと以上に、ものが人間に対して一つのサービスを提供するという概念を常に持っていなければなりません。開発の最初のアイデアから最後の段階まで、大切なのは、キーワードにすればサービスを提供すること、もう一つはシンプリシティ(単純さ)の提供です。

 
喜多:

最近私は、300年前とか500年前の人々の暮らしぶりを本で辿ったり、そのファンタジーに触れることが好きです。ある地方の農家で、かつてそこの人たちが暮らしていた様子が絵になっていました。それを見ると、みんなとても自然に暮らしていて、楽しそうな顔をしている。一方で、「未来」ということを考えると、数年前までは想いもしなかったことが実現されているような未来に、私たちは知らない間に足を踏み入れてしまっている。

マリー:

工業先進国においてはある種のノスタルジアが出現しています。過去を再構築するという意味でのノスタルジアですね。最近私は、約60名の80歳以上の方にいろいろな質問をしました。すると一つ明確な結論が出たのです。つまり、お金にそれほど恵まれていたというわけではない人たちが、過去に比べて現在の方がはるかに幸せであると言うのです。私たちは過去を美化したい傾向がありますが、私自身はそれに対して懐疑的な気持ちを持っています。自然は今も過去も人間にとって恐ろしい力を持っていた面もある。それでも過去を良く思うというノスタルジアがあれば、それは現在への恐怖感の現れなのです。

喜多:

60億人以上が住む地球上において、その自然とのバランスを考えると、もう私たちはテクノロジーがなければ生き永らえない。後ろへ還ることはできないのです。しかもここに留まることもできません。少しでもいいから前に進むのがいまの私たちの宿命となった。明日、自分たちの足を置く場所を作ってから足を踏み出す。その次の日はまた次の足を置く場所を作らなければならない。それが現在の私たちの姿で、そのことを止めたら終わりという。
だから私たちには「知恵」が求められています。その中でデザインというのは、新しい「知恵」として役に立とうとしているからこそ脚光を浴び始めているのではないでしょうか。デザインという言葉の中にはテクノロジーもあればファンクションもあれば、センス、マーケティング、エコロジー…といろいろな要素が詰まっています。その交差点にあるのがデザインです。

マリー:

いろいろな要素の交差点として考えてみれば、技術、美的側面やエコロジーといったことに加えて、ものを作るということにどのような意義があるのかを考えることも大事な要素です。私たちが何かを買い求めたときに、それはしっかりとした重みを伴ったオブジェ(もの)なのであり、社会に確実な影響を持っているのです。

喜多:

それだけに、私たちは日常の暮らしを原点にデザインを考えなければなりません。

マリー:

そうです、デザイナーの仕事の対象はオブジェではなく人間なのです。

喜多:

日本のグッドデザイン賞は約50年間続いてきましたが、これからも日本はものを作って世界中に輸出していかなければなりません。その時に、それを受け取った世界の人々が心豊かになれるということがとても大切です。その意味では50年におよぶグッドデザイン賞の歴史が持つ意味は大きいのですが、今はさらにデザインの次のジェネレーション、次のデザインの意義に向けて、新しい時代を作り始めなければいけない。今回マリーさんが参加して下さった意義はとても大きいのです。なぜなら私たちだけではなかなかそれが作りにくいから、ともに作っていくということが大事なのですね。人類全てに対するメッセージを企業もデザイナーも含めて、皆で発信していかなければならない。グッドデザイン賞もこれからは世界中の人々の心豊かな暮らしのためのものであるために、考えたいと思っています。

マリー:

日本はいままでいろいろな優れたものを生み出しています。一方で、これからのデザインは非物質化の方向を取らざるを得ないでしょう。椅子を例にすれば、たくさん所有している椅子にさらに新しい椅子を加える必要はありません、私たちは新しく椅子を持ちたいという気持ちよりも、椅子についての夢、椅子を持ったときに何らかの感情を呼び覚まされるということこそが大事ではないでしょうか。

喜多:

夢や希望は一見使われすぎているような言葉ですが、とても大切なことだと思います。ぜひデザインによってそれが伝わる新しい時代を一緒に築いていきましょう。 今日はどうもありがとうございました。

(2005年9月22日 泉ガーデンホールにて収録)

●マリー=ロール・ジュッセ(Marie−Laure Jousset)
ポンピドゥセンター デザイン部門チーフディレクター

●喜多 俊之
株式会社アイ・ディ・ケイ・デザイン研究所 代表取締役
2005年度グッドデザイン賞審査委員長

BACK
喜多俊之 対談バックナンバーリストへ戻る