喜多俊之 対談バックナンバー

 
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韓:

私はイタリア留学から帰国し、故倉俣史朗さんの事務所に2年ほど居ました。その後独立していままでずっと、ある特定の分野で、というよりはそれを超えて仕事に取り組んできました。その中でも「シークエンスデザイン」は、デザインのアプローチとしてまったく新しい、というよりも別のものなので、それ自体一連のものとして解説が必要かもしれません。
「シークエンス」は続いて起こること、連続という意味で、表現としては建築や都市計画の動線に関連しても使いますが、この場合は進行方向に向かって伸びている空間、トンネルや壁に囲われた道路など細長い空間を対象にしています。乗り物がその中をずっと走っていくことで次々と展開していく走行空間が設定できますが、それをデザインする、という意味で「シークエンスデザイン」と呼んでいます。
私がこれに初めて取り組んだきっかけであり大きなテーマとして、ハイウェイのトンネルをデザインするということがありました。
トンネルをデザインするといっても、一体何をデザインするのだろうかと皆さん思われるかもしれません。確かに、まず造形的にデザインをするのは非常に困難な状況があります。出入口付近はまだ可能性があると思いますが、内部はどうしても交通量や排気ガスの量はどのぐらいといったことから、いかに合理的にトンネルの構造物をつくるかということが、まず優先されます。インテリアのように居住性がいいかどうかといったことは、ほとんど考えられていませんでした。
ところが、モータリゼーションもこれだけ成熟して、交通機関あるいは流通関係のお仕事をなさっている方は、日常的に自動車道、ハイウェイなどの上にいる滞在時間が長い。あるいはマイカーで通勤、通学されている方も多くいらっしゃいます。そういうことを考えると、道路やトンネルの空間も居住空間、ヒューマンオリエンテッドな人が生きられる空間としてデザインすべきではないかというところからまず発想しました。現状は言ってみれば物理学の実験装置のような空間ですが、それに起承転結のストーリー性を重ねて時間軸のデザインというコンセプトを立てました。テーマパークのトンネルなら別ですが、一般の道路トンネルでは一から自由なデザインはなかなかできないので、トンネル内の壁面や照明が主な対象になります。具体的には壁面上のパターンが時間軸で徐々に変化していき、入口から出口までひとつながりの展開として体験されます。
昨年11月に開通した岐阜の高山清見道路の小鳥トンネルで初めてそれが実施され、開通後にドライバーへのアンケート調査も広く行われたのですが、8割以上の方々から、通常のトンネルに比べて通過時に圧迫感や単調さを感じずに快適に走れたという反応をいただいています。

喜多:

「シークエンスデザイン」の効果が早くも理解されているわけですね。確かに最近は車の性能もよくなったし、居心地もよくなって、車で過ごす時間も多くなりました。特に長距離トラックの運転手さんたちにとっては、それが生活空間ですね。そこの移りゆくシーンはドライバーにとっても大事な環境です。
地層のようなデザインがされた場所はどこでしたか。

韓:

東京湾アクアラインです。

喜多:

私は写真で拝見して、とても感銘を受けました。

韓:

アクアラインは東京湾を横断する道路で、10kmの海底トンネルと5kmの橋からなっています。私がデザインした擁壁は、10kmの海底トンネルの川崎側の入口です。高架道路でずっと近づいて来てグランドレベルに、いよいよ海底トンネルに入るという地点から坑口まで、4%ぐらいのゆるやかなスロープ勾配でトンネルに入っていく道路の両側の擁壁です。

喜多:

海底へ入っていくようなイメージですね。

韓:

そうです。ところが、土木構造物、コンクリート打ち放しで一番合理的にできるかたちというのは、もっともつくりやすい水平垂直に近い形になるのが通常で、人間にとってどうかという意味のない角度だったりするのです。ただ、それでは醍醐味がない。東京湾横断道路のような巨大な社会基盤事業はそんなにあるものではなく、将来へ向けての公共的財産を形成する世紀の大プロジェクトですから、都市を通過して来て、自然の懐である海の中に割って入るような、非常に壮大なシーンを感じられるように、だんだん地層が深くなっていくという仕掛けを施したのです。層が増えていくことと、地面から下がっていくことを走りながら体感することで、だんだんに海底へと入っていく。


photo : 畠山直哉

喜多:

とてもきれいな色だったと思いますが、あれは土の色、自然の色ですか。

韓:

あれはカラーコンクリートで、コンクリートに顔料を数パーセント混ぜ込んでいます。

喜多:

では半永久的なものですね。

韓:

そうです。汚れたら表面を削ればきれいな色が出てきます。

喜多:

トンネルの入口がそれで、出口も同じようにデザインされているのですか。

韓:

実は東京湾上の出入口にも提案した別の計画がありました。ところが長いトンネルなものですから、入口側と出口側でそれぞれの事業担当が別で、残念ながら実現しませんでした。
私が手がけたものではないのですが、そのときの計画案に非常に近い内容を持っているトンネルが羽田にあります。日光が直接ドライバーの目に入ってくるので、それをどうしたらいいかというテーマも同じで、当時の私の提案と共通する案が実現されているのを見て、大変うれしかったです。

喜多:

それは韓さんの手がけたことも一つの事例となって関心が高まったと言えるのでしょうね。

韓:

時代が変わったのだと思います。

喜多:

やはり誰かがどこかで切り拓いていかないと、すべてがコンクリートだけの幾何学的な冷たい機能だけのもので終わる可能性がありましたからね。

韓:

それについて言えば、先ほどの「シークエンスデザイン」実現ということでは、申し上げた小鳥トンネルが世界で初めての例になりましたが、実はそのオリジナルの発想は東京湾アクアラインの海底トンネルの提案にさかのぼるのです。「シークエンスデザイン」はその後も何度か試行錯誤を経ましたが、実現までには12年かかりました。

喜多:

そんなにかかっているんですか。

韓:

時代が変わらないと、なかなかそれを受け止めてもらえない状況はあります。

喜多:

大きな想いがなければ、5年、10年と持続させるというのは大変なことですよね。

韓:

何度もくじけそうになりました。

喜多:

本当にご苦労様でした。(笑)でも、これはある部分は時間が解決します。東京湾の道路も、入口はこうで、出口はこうでという狙いは、もう少し先になれば、皆さんにわかってもらえるのかもわかりませんね。そのときになって「やっておけばよかった」ということになるかもしれない。

韓:

そうですね。羽田でトンネルの問題に正面から取り組まれたプロジェクトが実現して、皆さんがなるほどと理解することもあって、一歩一歩開けていくのでしょうね。

 
喜多:

日本は第2次世界大戦で多くの大都市が焼け野原になりました。それから復興されていくときに、グランドデザインはどちらかというと省略してしまった。区画整理、環境整備を手がける前に、どんどん建物が建ち始めた。いわゆる後追いで、もうどうしようもなくなってから環境のグランドデザインが必要ではないかということに気づいた。そういう展開のまちづくりというのも世界的に珍しいのではないかと思います。いまそのツケが、あちこちでずいぶん出始めていると思います。韓さんもたとえば外国の友人などから「日本はどうしたのか」と聞かれることはありませんか。

韓:

欧米の良識あるまちづくり、しっかりした都市計画のあるところに生まれ育った人たちからすると、逆におもしろいと言われますね。ワンダーワールドというか別の世界という意味で。

喜多:

確かに、それがおもしろいという外国人も多いですよね。

韓:

清濁合わせ飲むというか、本当に町並みも何もあったものじゃないのですが。

喜多:

「これだけ自由でいいの?こんなに自由にさせてもらえるの?」と海外の建築家がよく言います。

韓:

ディズニーランドだと言います。

喜多:

町中で、和風ののれんがかかって、中へ入れば完璧にすてきな和の空間、その隣ではボンゴの曲が流れて、中へ入るとメキシコの雰囲気の酒場だったりする。まさにワンダーワールドかもしれません。
しかし、長い目、長い時間で考えると、壊してつくる、つくってまた壊すということの意味が問われますよね。ヨーロッパの場合、イタリアの例ですが、戦後すぐに古い由緒のある建物は壊さないでおこうという時期があり、特に1950年代以降、アイデンティティをもっと大切にするための計画の中で、古い住居を修復して次の世代に残していこうということになりました。ただし外観中心で、中は近代建築であったりする場合が多いです。ミラノの中心、ドゥオモからすぐの所にPiazza Cordusioがありますね。そこに郵便局があって、30年ぐらい前に建て替えられました。百二、三十年ぐらい前のビルをある日いきなり鉄骨で覆い始めました。何だろうと思ったら、ここは封鎖して近代的なビルに変えるという。普通ならそのまま取り壊してしまうのに7、8階の石造りのファサードをいったんやぐらで固めてしまった。何週間かあとに覗いてみると、建物の中は何もない、がらんどうです。そばへ行くと、谷底のように下を掘っている。5階か6階分ぐらいでしょうか。20mぐらい下まで谷底みたいに掘って、そこに超近代的なビルを建てていました。2年ぐらいしてやぐらを外したときには、外観は元のままに戻っていましたが、中は超近代的です。中に入ると外からは全く違いました。でも、面影として、中のホールなどは新築という感じがしなかった。実に上手に修復して、時代に合わせることができていた。それは見事だったと覚えています。
ヨーロッパの町は、だいたいそういうことをしていますね。日本の場合は焼け野原になって、本当に裸の何もないところから自由自在にやり直すというのが発端ですから、その面ではアイデンティティということもむずかしいのでしょう。

韓:

おっしゃるように、イタリアなどにかなわないと思うのは、アイデンティティというのはある意味で自分の小さいときからの生活環境の記憶のようなものですね。あとから知識として入れたものではなく、本当に水のように、それで育ったというようなものです。でも、日本の若い人たちはそれがなかなか持ちにくいですね。いま見えているものがすべて、いまあるものこそがすべて。あるいはそれが当たり前のように、昔からあるかのように受け取ってしまうので非常にぺらぺらになってしまう。

喜多:

知らないうちにですね。

韓:

まったく知らないうちにですね。イタリア人などはたとえばそこらの八百屋のお兄ちゃんであっても、創造性に対しては非常に深い尊敬と畏怖の念を持っています。

喜多:

これは感心させられますね。

韓:

日本にはそれがないですね。イタリアでは芸術的な仕事をしている人は非常に尊敬されるし、大事にされる。だから、食べていけるかどうかは別ですが、詩人や発明家なども普通にいました。日本で「私は詩人です」と言ったらけげんな顔をされて、「たいへんですねえ。」という感じでしょう。イタリアだったら、Barで「彼は詩人だ」となれば、誰かが1杯くらいはおごってくれる心意気がありますね。

喜多:

文化というものに対して、とても憧憬の念、尊敬の念が強いですね。

韓:

大事にしています。それは大学で教えてもらったということではない。

喜多:

やはり暮らしからなのでしょうか。それこそ自分が毎日何気なく通っている道から、何かがしみ込んでくるという感じです。
ミラノの町の中心に私が大好きな道があります。石畳で、四角い大きな石ではなく小石をきれいに並べて固めてある道で、ちょっと曲がりくねっている。ある日向こうの家に帰るとき、その道を通ったら、前から老人が歩いてきた。小さなブルーの花を持っている。そばに来てみると、ソットサスなんです。あとで聞いたら、ソットサスもその道が大好きだという。(笑)好きな道というのがいいでしょう。

韓:

すごくわかります。

喜多:

好きな理由は、石畳の石ころもそうですが、突き当たりに道路が交差していて、そこの光がきれいなんです。向かいの大きな石造りの建物の柱に光が当たって、横を見るとたぶん150年か200年は経っている。その雰囲気が何とも言えないのです。石だから、木だからということもありますが、私たちの暮らしの中で、何もかも新しくピカピカというのは、それはそれですばらしいことですが、時間がたっているものとの出会いはすばらしいと思わされます。
韓さんがトンネルの入口を何億年前からの積み重なりの地層にしたという発想は、そういったことにもかかわりがありそうでとてもすてきだなと思いました。未来というのは、長い何百年、何千年の過去を背伸びして見られるからこそ、未来も見えてくるようなところがありますね。

韓:

未来というものは最初からあるわけではなく、現在の積み重ねですからね。私も新宿生まれの新宿育ちですが、生まれた場所の淀橋、角筈(編集部注:現在の西新宿)の原風景がいまはかき消されてなくなっています。

喜多:

下町みたいな場所がありましたね。

韓:

いま副都心と言われているところの風景はごっそり入れ替わりましたから、頭の中にしか風景が残っていない。おっしゃるように、路地の突き当たりの光の当たり具合といったことで、非常に深いものを感じたり、想像力の糧にしたりする部分がデザイナーや芸術にかかわる人だけでなくあると思います。そういう部分が経済性や別な論理で消されてしまうと、非常に殺伐としたものになる。個人の引き出しの中にしまっておくものがなくなるわけですから。

喜多:

私が1960年代の後半にどうしてイタリアに行こうと思ったかというと、たまたま通りかかったミラノで、この空間は何だろうと思ったんです。当時、ローマからデンマークまでのデザインツアーのようなものがありました。そこに参加してイタリアのミラノを通ったとき、すごい町があると思った。町の真ん中に大きな公園があって、そこに二抱えか三抱えの森がある。いわゆるパルコですが、公園があって、人々がそこでゆったりと過ごしているのを見ました。
そのそばに北駅がありますね。ノルドの近くの古い町並みの店に入ると、いきなり500年前から続いているような店があったりする。その隣のBarへ入ると、近所の人たちがワイワイとすごく楽しそうにしている。この風景はいったい何なのだろう、と思いました。ここで3カ月ぐらい暮らしたらどうなんだろうと思って行ったんです。
私は大阪育ちですが、大阪は焼け野原から立ち上がってきた町でしょう。子供のころから、焼け野原から徐々に町並みができてくるのを何となく見てきたわけです。その原風景というか、たとえば大阪駅の向かいあたりには一大バラック街がありました。いまは阪神デパートなどがあり高速道路が走っているところです。
1970年代に、それを壊し始めて、ビルが建ち始めました。高層ビルが建ち始めて、その下にトタン屋根の密集したところがあって、その細い路地にはみかん箱などに土を入れて朝顔やら花が植えてある。そこにおばあちゃんたちが出てきて立ち話をしていて、そばに猫が座っている。それを見たときに、ここに何か大事なものがある、この風景は残しておきたいと思ってたくさんスライドを撮りました。これら全部が近代建築になったときに、もしかしたら大切なものを失う可能性があるのではないかと思って、昔の文化住宅とか暮らしの現場をたくさん撮り続けたんです。
暮らしの中で、手の届く、声の届くコミュニケーションという部分は大事ではないのか。それを全部近代化するだけで本当にいいのか。近代化したときに、そこからくみ取っていくものも必要ではないか。当時、すでに私はデザイナーになろうと思っていましたが、その風景は暮らしととても深い関係があると思っていました。

 
韓:

私もデザインを始めて二十数年になり、最近思うところがあります。いまの話と重なりますが、焼け野原ではないけれども、新宿でも下町のような風景だったものが、都庁が建って町の名前も西とか北という全然味わいのないものに画一化されてしまった。
その過去の喪失感の体験が、実はいま新宿駅南口の駅前で進めている「新宿サザンビートプロジェクト」にもつながっています。国道20号線、甲州街道を拡幅するための工事中の仮囲いでの取り組みですが、新宿を再認識しようという意図から、1960年代、70年代、80年代、90年代、いまの2000年代という展開で、言葉とビジュアルで新宿の街の変遷を表現しています。
いまのピカピカの南口には、高島屋があって、ハンズがあって、ドコモビルが建っていて、角度によってはニューヨークにも見えるかなという感じで、なかなかおしゃれでそれこそ女の子も気軽に来られるようになったのですが、そういう部分だけだと人間の心の置きどころがない。たとえば最近土木の世界、環境の世界でよく言われるビオトープというものがありますよね。自然保護と言ったときにはいくつかレベルがあります。世界遺産的な大自然は、そのまま手つかずで保護しなければいけない。でも、完全に都市になってしまったところでも何とか自然を保ち続けたい、何とかそれを取り入れたい。そこで屋上緑化あるいは学校の中の池をビオトープにしてトンボが戻ってくるようにするということが、都会の中のあちこちの小規模な場で始まっています。それがつながって、たとえばホタルを育てて放してみようという話になって、都会でホタルを見る会ができたり、という流れがあります。そのことは都市生活の現場でも同じだと思うのです。私が新宿駅の南口で手がけたことは、都市生活者、都市の人間の生態系を再生するための装置、仕掛けです。それというのは、駅前は皆さん時間に追われて忙しく行き交っている。きっと人それぞれがまったく異なるところに所属していて別のものを見ているから、袖すりあう人、隣を歩いている人とは何の関係もない。縦割り、いくつものピラミッドからできていて、それらがただ関連なくそこにある。

喜多:

寄せ集めているだけのような。

韓:

そういう感じです。喜多さんがおっしゃったイタリアや大阪の路地裏みたいなところにあったコミュニティ的なものには、いまはなかなか出会えない。新宿サザンビートプロジェクトでは、専用のホームページ(www.shinjuku-ss.jp)を立ち上げて、懐かしい時代の言葉やビジュアルに反応した人たちに向けて、「あなたの新宿青春ワードを聞かせてください」という呼びかけをしました。そうしたら百以上もの言葉が集まりました。各世代のさまざまな人々が正直に本音で、すごく深いところまで自分の青春の思い出を語ってくれました。何か小さい都会のビオトープができたような気がしましたね。


photo : momoko japan

喜多:

それはすばらしい。心豊かな暮らしを思い起こすときに、時間系で、たったの5年、10年ではなく100 年、500年、1000年という視点はとても大事だと思います。
私はライフワークで地場産業とかかわってきていて、紙を活かすということなどはもう30年以上続けています。そこで職人たちやそこの自然と出会う。その人たちはそこで1000年も前から紙をつくっている人たちの後継者ですから、その人たちと話していることは、ある瞬間瞬間では500年前、800年前の人と話しているのと変わらないところがあります。自然はそれ自体は1000年前、2000年前のままです。それゆえ時間との出会いであり、まさに人との会話で、タイムスリップして、そのときの価値観、その人たちの価値観と出会うことができる。たとえば漆を塗るプロセスを見たときに、それはある特定の誰かが考えてさっとつくったものではなく、その場所の自然と時間によってできたものなんです。
いまの職人がつくっているけれども、その人はいままで何十世代、800年、700年の代々の人たちのいいものをすくい取って、そうでないものはきっと置いてきたと思います。すくったいいものをその人が全部引き受けている。そういう目で文化、職人たちを見始めると、全然別の世界が開けてきて、すばらしいものに出会えたと思わされたことがあります。
韓さんも私も、近代産業の文脈の中で仕事をしていて、今日、明日の時間との闘いをしていますが、何か思いをめぐらせるときには、どこかからそれを引っ張りだしてこなければいけない。それは文化的なもの、私たちが日常、どこかで見て感動したことなどですが、感動するということの多くの中には時間の系が込められていると思いませんか。漆の器を見たときに、昔の人たちが何を求めてきたのか考えると、きれいって何、美しいって何、夢って何ということだという気がします。

韓:

すごく深いところだと思います。きれいって何、美しいって何というのは、教科書的にこの形が美しいかどうかということではないですね。

喜多:

手触り、あるいは人と話しているときの会話の間、そういったことではないのかと思います。特に長い文化を持ち、文化が育まれてきた中で、ただ新しい、新しいというだけでは、何が新しいことなのかもわからなくなると思います。
そういう意味で、これからの近代社会の中で多くの人が幸せだと感じる、心豊かになれるということと、いま韓さんが取り組んでいらっしゃることとのかかわりを強く感じます。つい忘れて見落としてしまうところをすくい取っていくことの大切さですね。

韓:

なぜ私がいま関わっている公共の分野で仕事を続けているかというと、バブル時代に対する反動と言える部分があります。とにかくお金を使って非常に新奇性のあるものをどんどん突き詰めていく一つの時代があった。それはそれで過渡期として意味があったとは思います。けれど、現代のようにデザイン力、クリエイティビティが経済主導で商業的なことに消費されるだけではなく、バックグラウンド、表面に現れにくい氷山の下のほう、そちらをもう少し深めていく、厚くしていくことへのデザインのかかわりが、これからは求められると思っています。
非常にセンスがよく、クリエイティビティのある若者たちが大手の広告代理店に行って、有能なディレクターになって何をするかというと、たとえば大企業のビールのコマーシャルを作って売上げにものすごく貢献したりします。それは一つの側面だし、そのおかげで私たちは毎日のように次々と情報と新製品を享受しているわけです。もちろんそこが一番お金が動く花形でもあるのですが、クリエイティビティをそこにばかり消費してしまっていいのか、少しもったいないように感じられます。

喜多:

新しいテクノロジー、文明が発達する中で、私たち人間が持っている本来の部分から少しずつ変わりつつある面もあるのではないか。それをときとして修正していかなければいけない。というのは、そうでないと次の世代の人たちに伝達ができないと思うからです。過去の人たちは、衣食住すべての面で私たちを大切に育ててくれたと思います。それに対して、いまは未来の人が本当に幸せになっていけるかと心配する面もあります。いまは遊ぶときもコンピュータ、勉強もコンピュータ、人とあまり話をしない子どもたちがいっぱいいるとよく聞きます。文明が人間の根本的なところを変えつつあるということは、いろいろなところで見聞きすることがあります。そういうときに、韓さんが取り組んでいらっしゃるお仕事でもそうだと思いますが、僕も一部でとても心配しているのは、文明の発達と私たちの自然のサイクルとの不協和なんです。私たちは自然と人間のバランスを取りながら生活してきたと思うのですが、ここへ来てそれがある部分で崩れているようにも感じます。

韓:

よく子どもたちが精神的に不安定になっているという話を聞きますね。それは親や社会が「選ぶ」能力を身に付ける場を用意してあげていないからではないでしょうか。メディアが異常に発達したIT社会になって、無自覚に垂れ流しされる社会の中にそのままにしておくと非常にアンバランスな環境にしか触れない子が出てきます。親が気をつけて、山や川につれて行ったり、こんなこと、あんなこともある、嘘と本当、とできるだけさまざまなこと、ものを見せていればいいと思います。でも、それが用意されていない、選択できない状況に置かれてしまうと、彼らはそれが世界だと思って、その中のものさしでしか測れなくなってしまう。そうすると子どもたちだって生身の人間ですから苦しいと思います。

喜多:

加工食品が氾濫して、それしか見たことのない子どもたちはオリジナルを見たことがない。これはジャガイモを切ったもので、そのジャガイモを置いておくと芽が出てきて、葉っぱが出てくるということは夢にも思わない。

韓:

全部工場でつくっているかのように思っているというのはよく聞きますね。

喜多:

そういうことと、私たちが共通に取り組んでいるデザインとのかかわりも考えたいですね。いまはデザインというカタカナ4文字の中に、ついこの間までと違って、膨大なことが入ってきています。いわゆる機能性、安全性、経済性、エコロジー、ファイナンシャル、いろいろな要素がたくさん交差しています。私はよくデザインとはそれらのバランスだと言いますが、そういったバランスの重要性が見落とされている分野は私たちの暮らしの中にまだまだ多く、それだけデザインが必要な領域が多いとも言えます。これから韓さんのような視点でデザインに取り組まれることはさらに大切になってくると思います。
今日はどうもありがとうございました。

(2005年7月15日 東京ミッドタウンギャラリーで収録)

●韓 亜由美
株式会社ステュディオ ハン デザイン 代表取締役
2005年度グッドデザイン賞審査委員

●喜多 俊之
株式会社アイ・ディ・ケイ・デザイン研究所 代表取締役
2005年度グッドデザイン賞審査委員長

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