喜多俊之 対談バックナンバー

 
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喜多:

それは楽しい時代だったでしょうね。それよりあとになりますが、S800がありましたね。イタリアの友達がコモ湖で乗り回して、みんなに自慢していました。

岩倉:

僕が初めてかかわった車です。まだ一つの車のプロジェクトを持つ前のことですが、できあがった車をモディファイする、われわれはMMC(マイナーモデルチェンジ)といいますが、S600をS800にする作業を、入ったばかりの私などが任されました。

喜多:

あれはバランスのいい、格好いい車でした。きっといまの感覚でも格好いいと思われる車だと思います。あの当時の日本の経営者とデザイナーはいい関係にあったのではないでしょうか。経営者の夢とデザイナーの夢、それを待ち受けているユーザーの夢が、ぴったりと重なったようなときだった気がします。
当時は、産業界のあらゆる部門でデザインがブームになりましたね。ちょうどその頃に私も学校を卒業して企業へ就職しましたが、そのときは開発スタッフとして入りました。印象的だったのは、腫れ物に触るようにデザイナーを大事にしてくれたんです。何かよくわからないけれどもデザインはすごいものだ、デザインを取り入れることで会社の未来があるという風潮があったのでしょうね。ほかの人たちに悪いんじゃないかというぐらい、いい待遇をしていただいたのを覚えています。そういうことで、いろんなジャンルで日本のデザインのうねりが始まっていったのかなと当時は思いました。そしていまここへ来て、日本のデザインは大人になったというか、いろいろ体験してきましたから、今年のGマークの審査会場、そして一般公開の日などの様子からも本当にそう思います。

岩倉:

一般の方々の関心も高まっているし、経営者の皆さんにも新しい意味でデザインの重要性を感じていただいているのではないでしょうか。

喜多:

1960年代のデザインブームとまた別のデザインブームがやってきそうな雰囲気があります。一時デザインは当たり前のことになって、行政も十数年前に少し力を緩めました。しかしここへ来て世界的にデザインが見直され、アジアの国々などは国家プロジェクトとしてデザインの振興に組んでいます。そこで日本ももう一度、そうだ、デザインなんだという感じでしょうか。

岩倉:

私が見るところではバブル経済が崩壊した90年代初頭から10年ぐらいの間を頑張り抜いた会社を眺めてみると、70年代の後半ぐらいから組織レベルでデザインに取り組んできた、たとえばソニーやホンダ、キヤノンやシャープといった会社が、バブル崩壊後の苦しい時期にデザイン力で乗り切っていった。身近な例でいうと、日産あるいは松下電器が、低迷した状態から90年代後半に、企業の建て直しの道具としてデザインを使ってかなり効果を上げたということを、世の中は見ています。それとアジアが日本を見て、やはりデザインだと。松下さんがかつてアメリカを見てデザインだと言ったように、アジアが国家レベルでデザインを眺めるようになり、それでまた日本企業がやはりデザインなんだと再認識しているのではないかと思います。

喜多:

そうですね。イギリスは、サッチャーさんの時代にデザインを国家プロジェクトにした。フランス、イタリアは1950年代、60年代と大きなデザインブームがありましたし、それはいまも続いています。しかしここへ来て、イタリアのデザイン界で、イギリス人やフランス人の若いデザイナーが活躍し始めています。それは、イギリスが国家プロジェクトとしてデザインを位置付けた賜物ではないかといわれています。反面、イタリアは次の担い手が少ないのではないかということで、次世代を危惧しています。
いま岩倉さんは大学で教鞭を執っていらっしゃいますが、日本の若者たちはいかがですか。

岩倉:

世間では日本の若者は軟(やわ)で、モノをつくることに意欲的でないと言われていますが、なんの、なんの、なかなかのものです。意欲はあるし、知識もわれわれの時代よりもはるかにある。だから、知識を知恵に変えるやり方を教えてあげる、持っているものを引っ張り出してあげる人がいると、ぐっと伸びてくるだろうなという、すごい潜在力を感じます。蓋を開けてあげればいいんだという感じです。その意味で、いま非常にやりがいのあることをもう一度やらせてもらっている感じです。

喜多:

すばらしいことですね。日本の若者はこれだけ情報社会でものに囲まれて、もう一つは日本という自然に恵まれた場所に住んでいるわけですから、すごいものを無意識のうちに蓄えています。私もここ3年ぐらい大学で教えていますが、今年の4月からデザイン学科長を務めることになりました。私はヨーロッパで展覧会や見本市にいろいろと関わっていますが、去年イタリアのサローネ・デル・モビレというインテリアの大きな見本市が、一つのパビリオンを学生たちのために開放しました。応募して、いいとなれば場所をくれて、そこで学生や若いデザイナーたちがプレゼンテーションをできます。昨年はたまたま世界から10の大学の招待があり、そこにいま私が教えている大学が入りました。こういうことがあるよというと、イラク戦争の真っ只中で、みんなが海外へ行くのを取り消している最中なのに、50人ぐらい応募があったのです。席は30席しかありませんでしたが、何とか三十数名が作品を抱えて行って、自分たちで展示しました。そのときにすごいパワーを感じた。行くときと帰るときで、別人のようになっていたのが印象的です。いまおっしゃったように、ぽんと蓋が開けばすごいパワーを発揮するなと思いました。

岩倉:

教えるというのはおこがましくて、むしろ私は「共育」、つまり、共に育つという言い方を最近よく使わせてもらっています。年の功で、どうしたら知恵が生まれるかというところは、悪戦苦闘のものづくり人生を経験していますので、ぽっと押し上げてあげる、ちょっとお手伝いして蓋を開けてあげるタイミングは分かっているつもりです。
デザイン・イニシアチブ展への参加も3年目になりましたが、最初にやりませんかと言われたときは、プロの世界の中で、しかもみんなが休みたい、遊びたい夏休みの時期にどうかなと思ったんです。ブースは貸してくれるものの、学校からお金をもらえるわけでもない。先生は手弁当で、学生は旅行に行くのもやめて、みんなで夜も寝ないでやっている。
でも、その経験がすごくいいわけです。産学協同プロジェクトでやった成果や課題制作の結果などを、大勢のプロや一般の人たちに見てもらえるし、またここへ来ることによって、自分がこれから何をやる人間なのかを自分で探せる。ブースが一つあるだけで、コミュニケーションの場ができるし、プロになっている先輩とも会える。その意味で格好の場所になって、3年間その勢いで続けてこられて、今年は他にも何校か出てきていただいています。

喜多:

日本のデザイン、特にプロダクトデザインは、先進諸国のデータを集めて組み換えて商品開発するという事例も長く続きました。その前は全くのコピー、コピーで世界から非難を浴びて、Gマークはそれをずいぶん改めましたし、経済産業、あるいは暮らしぶりの復興にずいぶん役に立ってきたと思います。
ここへ来て、日本がオリジナル製品をつくる国に変身しました。よそにないものをつくらないことには、マーケットの席も空いていませんが、デザインの内容が変わりましたね。その中で、若い学生たちのパワーは頼もしく思います。
私はこの5、6年ぐらい、毎年夏休みに、ヴィトラデザインミュージアムとポンピドゥーセンターが一緒にやっているワークショップに講師として行っています。そこには世界各国から生徒が来ます。今年、私が教えている学校からも学生が5人ほど来ました。それだけまとまって日本人が来たのは珍しいのですが、英語がそれほどできるわけでもないし、どうかなと思ったのですが、なかなかがんばりました。国際レベル以上の力を持っている。何をしたらいいのかといったことはこれからですが、パワーがあることははっきり示しました。 この間、日本でフォーラムをやったときに中国の政府関係の方がお見えになりました。中国は500のインダストリアルデザインの大学を立ち上げるという話で、もうすでに出来上がり始めています。もうしばらくすると、中国からものすごく大勢のインダストリアルデザイナー、プロダクトデザイナーが出てくるわけです。
そのときに、日本がどういう役割をするのか。経済で国と国との競争もありますし、日本は中国から見ると少し先輩国ですから、教育の現場がもう一回問われ直すかも知れないと思います。台湾、韓国の大学の質がずいぶん高いということを見てきて、日本はこれからアジアの中で、世界の中でどういう方向を目指すのかというところにやってきたかなと思います。

岩倉:

われわれがデザインに触れたのは、50年ぐらい前の松下幸之助さんの「これからはデザインや」の話から始まっていると思います。最初は欧米のものまねだったものが、追いつけ追い越せで、産業の技術革新と一緒に成長してきたわけです。それがバブルの崩壊で経済が破綻して、日本人はここで一度立ち止まり、本当の豊かさとは何なのかと問い直した。この10年は、非常に価値のあるものだったと思っています。
デザインが、人の生活を豊かにする「モノ」や「コト」をつくっていくものだとすると、豊かさの定義はいままでは物質的なもので、われわれの世代はそうしたものをつくってきた。そこで本当に生活を豊かにするものは何なのだ、心の豊かさを問えるものをつくらないとだめなんだと、日本人全体がもう一度見直したのがこの10年だったと思います。

喜多:

その意味では、バブル崩壊後の比較的静かなこの10年は貴重でしたね。

岩倉:

その中で90年代は、ナレッジマネジメント、あるいはブランドなどと言われて、デザインが少し横に置かれたような感じがありましたが、ここへ来てデザインの持っているすばらしさ、価値を生活の中へ身近に取り入れていこう。いままでは大きなものをつくって、これみよがしにしていたところがあるけれども、それだけではないという風潮になってきました。
私は、それが日本らしさにつながるのではないかと思っています。私たちの世代は明治のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられて、日本が長い間培ってきた、それこそ身のこなしやたたずまい、美意識を生活の中で覚えてきた世代です。それがある時期、アメリカナイズした物質的な世界で、我を忘れてしまった。ここへ来てその反省からもう一度日本を見直そうとしている。
いま学生たちと話していると、「先生、日本の勉強をしたいんです」とよく言われます。「いるだけで勉強になるじゃないか」と答えますが、家庭へ帰っても日本らしさが身につけられない。彼らがそういうことに憧れているのはいいことだと思います。

喜多:

日本がこれから日本オリジナルをつくり続けるときに、いろいろそぎ落として残ってくるのはアイデンティティの部分しかありません。でも、それは伝承されてくるものでしたから、いま言われたようにアメリカの側を向きすぎて途切れたことはありましたね。では、そういったものをどうしたら修復できるのか。これは日本人全員の問題かも知れないですが、一つの国、民族としての存続がかかっているところではないか。私はずいぶん危機感を持っています。 いまも言われていますが、かつて伝統工芸は衰退すると言われていました。その理由は加工賃が高いから、仕事が難しいから、若者が次の世代にいないからといろいろありますが、そうではない。伝統的なものの衰退は、つまり私たちの生活、暮らしの衰退です。暮らしの衰退が、日本の分厚い文化を衰退させているのだということに気がついて、これはアイデンティティそのものだから、次の未来はこれを掘り起こさないといけないと思ったことがあります。若者たちも、きっとそういうことを感覚として思っているのではないかと思います。

岩倉:

若者たちは、物質的なものだけでは満たされないと直感的に感じている。いま日本中、どの県でもどの町でもお祭りが生まれてきていますが、そこに参加しているのは若い世代です。お祭りというのは基本的にはコミュニケーションで、総合力でつくりあげるものですから、あの兆しは非常にいいなと思いますね。

喜多:

日本料理の大御所の人たちに会ったときに、「喜多さん、日本料理が衰退しているんですよ」とおっしゃるんです。だけど一方では若者たちが、日本旅館へ行って、お風呂へ入って、浴衣に着替えて、和食が出てきてということはとても幸せだと思っているでしょう。イタリア料理もフランス料理も卒業した上でね。ノスタルジックな過去ではなく、未来のための過去の使い方がわかり始めたのではないでしょうか。

岩倉:

そう見ていくと、日本は千数百年前、八百万の神の時代から、道教が入り、儒教が入り、仏教が入って、その仏教が空海の真言宗になり、続いて日本なりの日蓮や親鸞の新しい仏教が生まれて、それらは文化と関係しながら伝承されてきた。最後にキリスト教が入ってきますが、われわれ日本人は西洋人のような精神的「よりどころ」がないのではないかと思います。だから、自分自身で、あるいは町なら町で「よりどころ」をつくらなければならない。よく「世間様」と言いますね。世間様はどこにも見えないけれども、日本人はつくってしまう。その世間様によって一つのムーブメントができてくる、文化が生まれてくるという上手な伝統を持っている。
そうした文化の積み重ねがあって、いわばちょっとノミで掘るといろいろな色、レイヤーが重なっている。漆の加工のように掘るといろいろなものが出てくるおもしろさがあるのだろうと思います。いままでは鉄板で蓋をされていたのが、すっとはずされて、掘れるようになってきているので、若者たちは直感的にそういうことのよさを感じているのではないかと思います。

喜多:

私たちは四季折々、自然の大変豊かなところに住んでいます。日本のように自然が豊かなところは世界でもそう多くない。過去の日本の人たちは暮らしの中で、秋は秋、冬は冬、四季折々に料理から衣食住すべて、それを素直に受け止めて豊かなものをつくってきた。そうした歴史を持っていて、自分もそこに過ごしている。つまり、世界の中で、当然豊かでいいものをつくらなければいけない役割を担ってしまっているのではないかと思います。そこで、私たちが世界の中でこれからやらなければいけないことは、ただ勉強だけして何か何かということだけではなく、自分たちが授けられた恩恵に目を向けることによっても、何か未来が開けてくる感じがします。

岩倉:

今回のグッドデザイン・プレゼンテーションのステージ発表で、青葉益輝さんが、若い人たちよりもっと下の小学校や中学校の人たちに情操教育をやりたいとおっしゃっていました。大賛成です。われわれ大学レベルでは、そこまでいくのは難しいのですが、予備校や高校ではプロダクトデザインが何なのかよくわからない、絵が好きで描いているけれども、どこへ行っていいかわからないでいる人たちが大勢います。私たちが何人かの先生と出向いて行って、「モノをつくるというのはこういうことなんだ。苦しくて辛いけれども、楽しいんだよ」というと、やりたいという人が大勢います。
われわれが子供の頃は、自分の遊び道具は全部自分たちでつくって、そのおもしろさも難しさも小さいなりに感じて、それでもやりたいなと思った時期があったのではないかと思います。そういうことがスパッとなくなっていて、教育の中でも絵を描く時間は少なくしようという状態にあるのは非常に心配なことです。いま私たちも大学の校友会として、ボランティアの出前教育を始めました。優秀なプロフェッショナルの人たちが小学校へ行って、小学生と一緒に壁に絵を描いたりする。そうすると子どもたちは生き生きしてうれしそうにやります。そういうことがほんとうは好きなんですよ。

喜多:

子どもたちはみんな好きですよね。

岩倉:

親子で美しいものは何だろうという会話、あるいはものづくりを楽しむ、遊ぶというチャンスも少ないですね。

喜多:

きれいって何、いいって何、悪いって何ということから意識的に始めないと、何が美しいのかという根本のところもぼやけてきている可能性があります。これだけ情報がありますから、何が美しく何が醜いかがわからなくなる可能性がありますよね。

岩倉:

だから、手遅れにならないうちに、そこを早くやりたい。

喜多:

すばらしいと思います。デザイナーというのは、あらゆることにアンテナを張らないとできない仕事ですからね。極端なことを言ったら、万物のことを深くまで知らなくてもいいから、ある程度知ったうえで、あるメーカーがこんなものがやりたいと言ったときに、使う人の立場、つくる人の立場、流通の人の立場、あるいはエコロジーのことなども全部インプットして、それをこうだと押さえて、はいと出せないと、いいデザインは出てこないところがあります。

岩倉:

私はホンダで、最後は常務の立場で商品担当をしていました。一緒に関わっていた人たちは工場の責任者、研究所の責任者、営業の責任者、品質の責任者、あるいは人事やお金を扱う役員で、いろいろな要素を全部束ねないと商品はできないのです。商品というと開発部あるいは研究所の仕事と思われがちですが、これらを全部束ねないと出来上がらない。なぜ僕がそういう役割になったのかといまでも考えるときがありますが、結局デザイナーはそういう人たちをつなげる能力を持っているのではないか。インターディシプリナリーというのか、いろいろな要素のものをつなげていく。

喜多:

いいところでつなげていくということですね。

岩倉:

デザイナーもだんだん立場が上がっていくと、全部を総合してプロデュースしていくという立場になります。いま日本のデザインは、天才的な人が何人か現れて世界的にトップレベルにいますが、決してそうでない人でも、集まると総合力を発揮する、チームプレーができ大きな力を出せる、という能力をそろそろつけていかないといけない。

喜多:

オーケストラというのは、バイオリンやピアノがいて、タクトを振るコンダクターがいる。ものづくりも似ていますね。いま日本で足りないと思うのはコンダクターです。岩倉さんはまさにコンダクターをやっていらっしゃいましたね。

岩倉:

私はたまたま鞭で打たれて鍛えられて、そこまでいかせてもらいましたが、いまでも何人か、そういう役目をやられている方はいらっしゃるでしょう。しかし、もっともっと企業レベルでそういう人が役割を持って力が発揮できるように、一つには経営者を啓発していかなければなりません。もう一つは、ちょっとした教育でデザイナー自身の能力をもっともっと高めれば、総合力を発揮できる人が生まれると思います。

喜多:

特に次の世代の人たち、可能性を持った人たちがいっぱい出始めていますから、いい指揮者がいて、その人たちも自分が何に向いているのか自己判断する必要があります。その意味でも、いま教育の現場はずいぶん注目されるところであり、さらに家庭生活はその土壌になります。

岩倉:

美しい生活となると、いままでのようにリッチなだけではなく、日々の暮らしの中で美意識を高めていくことが大事ですね。

喜多:

日々の暮らしが土壌で、次があってその次があってということだと思います。特にデザインについては、教育の現場が重要ですし、その土壌になる暮らしが大事ですね。ですから、デザイナーになろうという人たちは日々の暮らしに目を向けてほしいですね。

岩倉:

私も学校で声高にそれを言っています。学校に来てデザインを学ぶことも大事だけれども、生活の中でそういうものをつくりあげる、あるいは磨いていく。それも家族、あるいは仲間と一緒になってやっていく。

喜多:

立ち居振る舞いから含めてですね。日本製品は、風格がないとこれから生きていけないのではないですか。ただ奇をてらったものではなく、風格のあるデザインをしようと思うと、それをデザイナーが理解していかないといけない。

岩倉:

風格というのは、「らしさ」を磨き上げていくことでできるものだろうと思います。

喜多:

そういうことからすると、私たち日本が恵まれているのは、すばらしい文化を持っていることですね。

岩倉:

もう一度、自信を持ち直す必要があるだろうと思います。

(2004年8月27日 東京ビッグサイトにて収録)

●岩倉 信弥
多摩美術大学 生産デザイン学科 教授

●喜多 俊之
株式会社アイディケイデザイン研究所 代表取締役
2004年度グッドデザイン賞 審査委員長

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