喜多俊之 対談バックナンバー

Two Top Talk

 

連載第6回「可能性を学び、共に育むデザイン教育へ」

今回は、多摩美術大学教授の岩倉信弥氏をお迎えして、今日のデザイン教育にみられる新たなテーマや可能性について、喜多俊之さんと語っていただきました。(編集部)

岩倉 信弥

多摩美術大学 生産デザイン学科
教授

喜多 俊之

株式会社アイディケイデザイン研究所 代表取締役
2004年度グッドデザイン賞 審査委員長


喜多:

岩倉さんはもともとはホンダで自動車開発の最前線で活動されていました。ホンダはオリジナルをたいへんに重視したユニークな会社と認識していますが、まず、当時の自動車のデザイン開発の様子についておうかがいしたいと思います。

岩倉:

私がホンダに入社したのは40年前、東京オリンピックが開催された1964年でした。配属された研究所のデザイン室にはF-1マシンが置いてあって、見たこともない車だったので、たいへんな衝撃を受けたことを覚えていますね。ホンダが初めて世に出したスポーツカーS600もこの年の発売です。すでにデザイン室にはF-1マシンがあったことから、毎日毎日がレース、挑戦という感じでしたね。もちろん本田宗一郎さんの陣頭指揮でいろいろなことが動いていたので、常に夢の実現に向けた挑戦の連続、入ったときから無我夢中で… 気がついたらものができていたという感じでした。 学生時代の私の恩師である服部先生は、JETRO(日本輸出振興会)で松下幸之助さんが音頭を取ってデザイン振興をやっていたころの留学生で、栄久庵憲司先生とも一緒だったと聞いています。その先生に「アメリカってすごいぞ、楽しいぞ。あの国はデザインでいろいろなことができたんだ」と教えられて… ホンダに入っても、本田さんは世界へ出て行くんだと言う。その意味で、夢を実現するための行動がデザインだということを、身をもって実践してきたような気がしています。ですから、あっという間の三十数年間でした。

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