喜多俊之 対談バックナンバー

 
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袴田:

株主総会を変えたいと最初に言ったのはゴーン社長です。彼が変えたいと言っているのは、株主総会のデザインをこうしたいということではなく、いままでの株主総会に対して、もっとみんながハッピーになるようなものにしたい。会場をきちんとしつらえるだけではなく、配当を約束する。あるいはそのとき車もお見せして、海外も含めて将来こんな車が出てきますから、日産に期待してください。そういうふうにしたいという、彼の思い描く株主総会像があるわけです。

森山:

IR(インベスター・リレーションシップ)という感じですね。

袴田:

そう、IRですね。私たちは対象になる方々をステークホルダーと呼んでいます。それで会場はデザインが担当することになったわけです。1300人ぐらいが入れないといけないので、体育館やホールでやっているところもありますが、ホテルのバンケットルームでやるとすればかなり限られる。だいたい結婚式場をいくつか束ねると大きい会場になるということが多いでしょう。しかしそれだと、日産がビジュアルアイデンティティとして目指している方向性と合致する空間ではなかったんです。床が派手だったり、壁は装飾過多だったので、かなりつくり込んだということはあります。

最初に目指したのは、雰囲気を変えたいというゴーンの発想です。日産は官僚的、組織の壁が厚いとされて、それが経営上のマイナス要因の一つだと言われていました。

森山:

たしかに言われていましたね。(笑)

袴田:

それで99年秋ぐらいからリバイバルプランとしていろいろなことを考え出した中で、組織の壁をなくすための手段として、クロスファンクショナルにやろう。それとものごとの進め方をシンプルにしようということがあった。いままでは株主総会というと、総務課がいて、あとは委員会でやっていますという話ですが、新しいマネジメントになって部署ではなく、誰が担当なのかということが問われるようになった。

森山:

それはプロジェクトリーダー的な考えですか。

袴田:

責任者が明確にされるのです。その中で人々の目に触れる部分、日産のブランドに触れていただく部分は一貫してデザインしましょうということが決められていたので、その空間的な部分の担当は私ということになっています。どんな領域であろうが、空間をつくるとすると私たちのところに話が来るシステムになっています。

森山:

株主総会をどうしようということではなかったわけですね。

袴田:

そうです。空間をデザインする、演出するというときには、デザインにブランドマネジメントチームがあるので、そこにまず確認をしてデザインをディレクションすることを徹底しています。

森山:

日産のデザイン本部のスタッフ数は全世界合わせて800人ぐらいと伺っていますが、袴田さんご担当のトータルコミュニケーション、VIにかかわっている人はどの程度いらっしゃいますか。

袴田:

私はいまダブルキャップになっていて、本社のブランドマネジメントオフィスも兼務していますが、純粋にデザインのスタッフでいるのは私を含めて5人です。

森山:

外部のデザイナーとも協同してプロジェクトをやっているわけですね。

袴田:

ギャラリーとモーターショーはインテリアデザイナーの文田昭仁さんにやっていただいています。いまモーターショーはまた違う方にお願いしています。

森山:

モーターショーもディスプレイデザイン協会の賞などを穫られていますね。

袴田:

過去には、日産がああいうものにエントリーしていくことすらあまりなかったですね。建物をつくる、ディスプレイをするということはなかったのですが、私としては非常におもしろかったですね。

森山:

この夏には本社ギャラリーで日産デザイン50周年の展示が行われていましたが、その中に日産のロゴマークの変遷のコーナーがありました。ゴーンさんがデザインは大事だと言ったということはもはや知らない人はいないくらいなのですが、デザインというのは、車のスタイリングだけではなく、袴田さんがご担当になっていることはもちろんそうですが、車の名前やロゴも対象としてとても重要だったように伺っています。

袴田:

2000年6月に、ブランドシンボルといっていますが、日産のバッジを変えることについて、ゴーンを長とするブランドステアリングコミッティの承認を得ました。実際に商品についたのは、2001年1月に発表したシーマが最初です。それ以降、日産が出した車は全部新しいバッジに変わっています。
このバッジは日本の車には珍しく徹底的に装着しています。車の後ろにも前にも、タイヤのホイールにも、キーにも、エンジンにもついています。軽自動車は他メーカーさんからOEM供給を受けていますが、それにも付けています。軽自動車でクロームのバッジを別物でつけるのはお金がかかりますが、徹底的にやっています。それ以前は、日本で売っている40車種の約半分はフロントにNISSANのバッジがついていませんでした。

森山:

ホンダにもそうした状態があったようですから、日本企業はロゴにあまり気を使わないところがありますね。

袴田:

NISSANのマークは、70年前に創設者の一人の鮎川義介たちが考えたもので、赤は太陽、ブルーは青空で誠実さを示し、それが貫いているので「至誠天日(しせいてんじつ)を貫く」というのが起源です。そうした創立のときの哲学はきちんと守ろうと決めたわけです。その上で、バッジをめぐる議論で最初にあったのは、徹底して大切に大きく扱おうということです。作法としては、もう一度ブランドシンボルを魅力的なものにして、きちんと付けましょうと決めました。
そのための手法は三つ考えていて、一つはいま使っているものを徹底して使えばいいという発想。二つ目はもっと魅力的なものにしようという案、三つ目は全く変えるという案です。全く変えるという案は、500案ぐらい絵を描きました。

森山:

そんなにあったのですか。

袴田:

最終的にはいまあるものを魅力的なものにする、たとえば立体的にする。NISSANの書体も太く、重工業的だったのでもっとスマートにしよう。複雑だったものをシンプルにして、統一して強いものにしていこうと決めてできたのがいまのマークです。NISSANの書体も変えましたし、立体的にしました。いまはコンピュータの時代なので、グラデーションのデータが保持されない場合は使わないと決めました。二次元化やアウトライン化は絶対だめと言っています。

森山:

プロダクトブランドについてはどうですか。

袴田:

一部の例外を除いて書体を統一しました。

森山:

書体の統一というのは、ブランドの中でということですか。

袴田:

いえ、日産全体です。俯瞰的に見ていただくと、ティアナ(TEANA)、シーマ(CIMA)、マーチ(MARCH)などの書体は基本的に同じだということがお分かりいただけます。文字数がいろいろなので幅などは変えていますが、基本は同じです。その横の車格、たとえば250JMなどの書体も一つです。

森山:

そのアルファベットは日産で開発したのですか。それとも既存の書体を使っているんですか。

袴田:

日産として出す印刷物は英語で二つ、日本語で二つしかフォントを使わないと決めました。英語は日産AGといっていますがアクシデントグロテスクとサボンしか使っていません。日本語は新ゴシックとヒラギノしか使っていません。当然いろいろなところで抵抗を受けましたが、日産でつくっているカタログ、本、プリントはすべてそれらでできています。

森山:

サボン(SABON)はドイツ高等印刷組合が企画し、ヤン・チヒョルトという著名なタイポグラファが晩年にデザインして、1960年代に市場に出た書体ですよね。抵抗というのは、いままである程度自由にやっていたのに、なぜみんな同じにするのかということでしょうね。

袴田:

クリエイティブを扱っているところ、宣伝や代理店さんは、自由がなくなるという印象を持たれたようです。たとえばブランドシンボルの背景色は6色しか認めていません。それもあまりにストリクトだと抵抗を受けました。でも、いまはそれで流通しています。
プロダクトブランドの書体は、社内でNE01といっていますが一部に例外もあります。たとえばキューブ(cube)は違います。フェアレディZ(FAIRLADY Z)は書体は同じNE01ですが、イタリックになっています。そのように共通書体からはずす場合は、デザインと企画とマーケティングの関連部署が集まって議論して決めようということになっています。
さらに書体を統一しただけでなく、つける場所も決めました。いままでいろいろな配置だったのに対して、ブランドシンボルを真ん中に大きくつける。車の名前は左側に置く。車格やエンジン容量、4WDなどの機能は右側に置く。

森山:

車格やスタイルによって、真ん中のブランドシンボルの扱いは変わらないのですか。

袴田:

それは変えています。基本的には一品一様で、それぞれのシンボルがつく部分の角度が違いますので、宝石をつくるようなすごく細かいことをやっています。たとえばフェアレディZのバッジが空を向いています。スカイラインは斜めなので、NISSANの面をひねって前からNISSANと読めるように補正しています。これは私のスタジオではなく、グラフィック&オーナメントを担当している部署がやっていますが、お客様から見て真円に見え、NISSANが読めるように、車によって変えています。

森山:

ロゴの扱いにそれくらい気を使っているのは、私の知る限り、SONYのロゴの扱いに匹敵しそうですね。

袴田:

かつてもルールはありましたが、個別最適化といいますが、それぞれの地域、それぞれのオケージョンで決めてきたので、ばらばらになっていました。善し悪しは別にして、ガイドラインを守っていれば、ある一貫性は保てたはずです。でも、NISSANというフォントが踊っているような文字で書いてあるポスターが存在したんです(笑)。そんな字で書いていいというルールはどこにもない。
だから、2000年以降にマニュアルをつくりました。その中で背景は白、黒、シルバー、グレーの濃、中、淡しか置いてはいけないと決めています。最小余白、最小サイズ等も決めてあります。あとレイアウト上のモジュールシステムもあって、短辺を7分割、長辺を11分割した領域に配置するという約束事も設けています。置き方も、プリント媒体と看板でビジビリティが違いますので、余白に対してそれぞれ7割ぐらい、9割ぐらいと指定を変えています。

森山:

このマニュアルは袴田さんがデザインなさったんですか。

袴田:

はい。内容はPAOSの中西さんにいろいろ教えていただきながらやりました。その中で、NISSANのフォントの色は大激論があって、青か赤かで役員会でも真っ二つでした。トヨタさん、本田さんが赤だったので赤にできるかという話、日産は横浜発祥で、海のイメージでブルーではないか、マリノスはどうするのかなど議論がありました。ただ、これは中村(史郎デザイン本部長)が発言したのですが、VIの一つの要素である色で赤を選んだからといって、日産全体のブランドアイデンティティがほかの会社に寄っていくということがあるとすれば、それはブランドアイデンティティそのものの問題ではないか。色はワン・オブ・ゼムでしょうと。結局赤にしましたが、最後にゴーンが「私は社長として赤にする」と言ってくれたので決まったようなところがあります。
日産のブランドはこうするんだという社内的な共通認識があります。Bold and Thoughtful、誠実に考え抜き、大胆に行動するという意味ですが、そこで赤のほうがボールドではないかという判断と、赤は日本のヘリテージを持っているのではないかということもあって、赤になったのだと理解しています。

森山:

自動車は数多くのメーカーがグッドデザイン賞にエントリーして下さいますが、それら各社にはビッグサイトのステージでプレゼンテーションをしていただきます。その中で最近は、各社共通に「和」を強く打ち出す傾向が見られました。関係者によると、それは日産の影響だと。日本のメーカーの多くは外資系企業が関わっていて、特にトップマネジメントが海外の方だと、世界にいろいろな自動車メーカーがある中で日本はどうなのだというときに、和、日本の造形の特質を打ち出すということが必然的に起こる。そうした動きをみて他のメーカーもそうなっているという読み方をしている人が何人かいました。

袴田:

日産がリードしたかどうかはわかりませんが、中村が日産に来てから世界中に800人いるデザイナーに対して、日産はこういう作法でデザインしていく、こういう戦略を考えているというものを共通で持つために、またそれをツールとしても使おうと考えて、デザインボキャブラリーと言っているものを発信しました。その中で、ひとつのよりどころとして日産のDNAと日本のDNAを両方大事にしていこう、ということがあります。またルノーとのアライアンスにおける差異化戦略の要素もあります。

森山:

今回は初めてデザイン・イニシアチブにも出展をいただくことになっていますが、ご担当としてのプランなども教えて下さい。(日産自動車のブース詳細はこちら

袴田:

デザイン・イニシアチブについては、メーカーの展示はあるプロダクトをフィーチャーしてということが多いので、日産デザインの特徴でもある非自動車部門、VIマネジメントでやっていることを特集しようという発想で当初は絵を描きました。私たちは時計もデザインしています、建物もデザインしています、トイレの看板までやっています。最近手がけた一番大きいプロジェクトでは車の輸送船を塗り替えたのですが、そうしたことを総合的にお見せしたらどうかなと考えていたんです。

森山:

船というのは、自動車を運ぶ船のことですか。

袴田:

そうです。日産専用船という会社があるのですが、頼まれもしないのに、そこに売り込みに行きました。「日産の船がニュースによく出てくるじゃないですか。デザインを変えませんか」。こちらから売り込みに行ってデザインを変えていただいたケースはけっこう多いですよ。たとえば、日産のフォークリフトはいまシルバーメタリックのボディです。フォークリフトは黄色や緑、赤が主流で、日産はオレンジでした。そこで、いま日産デザインが持っているイメージに誘引するのはどうですかと言って、われわれで絵を描いて持っていきました。フォークリフトはワンコートでクリアコートはかけられないので、シルバーメタリックでつくるのは難しいのですが、おかげさまでよく売れています。シルバーに赤い線が入って、NISSANと書いてあるものが入ると工場のイメージが変わると思います。
工場といえば作業服のデザインもしたんです。お客さんの目に触れるところ、CS(カスタマー・サティスファクション)を目指してやっている部分に対し、ES(エンプロイー・サティスファクション)で事業所の看板を変える、内装をきれいにするというのは、どうしても後回しになりますが、それができるようになって始めたのが一昨年前ぐらいからです。作業服もVIが決まったのでその反映はやろうとすぐ決まりました。でも、われわれが思ったのは、機能性を上げないといけないだろう。変わったことによって使う人がメリットを享受しないと、ただの押し売りになってしまう。そこでパンツを3Dにして、膝が曲がりやすいようにしたり、ヘルメットは徹底的に軽くしたり、安全靴もベルクロ式のメッシュにしたものを提案しました。全国で200人ぐらいに着ていただいてトライアルして、外部のデザイナーの方と協同でデザインを決めていきました。
いまは、それが一段落してスポーツクラブをやっています。今年野球部、陸上、卓球と全部変えました。

森山:

それも頼まれもしないのに、袴田さんから引き受けたとか?

袴田:

いえ、ユニフォームは頼まれてやっています。(笑)しかし頼まれていないことであっても、全体的に変えていきたいと思っています。

森山:

色や形が理由なく決まっているというケースは日本ではいっぱいありますものね。

袴田:

以前の日産では、すべての案件に対してデザインのディレクションを受けるようになっていませんでした。そのときの総務の担当がグリーンが安全だからいいじゃないかと言うとグリーンなんです。日産とグリーンはどういう関係なんですかと言われても、誰も答えられない。

森山:

でも日産などは何兆円企業ですから、いまになってみれば袴田さんのような役割の人がいるのは当たり前だという気もしますが、必ずしもそうでなかった。日本はものづくりが大好きですが、後先のことはあまり考えないところがありますね。

袴田:

日本全体が戦後、高度成長だけを目指して、自分たちの見てくれは関係ない、安くていいものをつくればいいというところが多分にあった。そのようになかなか変わっていかないことに対して、リバイバルプランでマネジメントが変わったのは、日産の場合は少しいい方向に働いたのかと思います。しかも日本人ではない視点が入ってきました。プレスコンファレンスやモーターショー、ギャラリーをきれいにするのは、彼らにとっては当然のことなんです。

森山:

“踊る日産”みたいな妙なロゴがあるというのは、彼らにとっては信じがたいことでしょうね。

袴田:

デザインがカバーする領域が広がったのは大きいです。先ほどわれわれは頼まれもしないのにと言いましたが、いままでは広報だったら広報、宣伝だったら宣伝、その部署で完結していましたが、そこにわれわれデザイナーが入っていくわけですから、それなりの軋轢やコンフリクトは当然あります。そこでは成功体験を積み重ねるしか解決法がないですね。

森山:

いくら言葉でクロスファンクショナルと言ってもね。

袴田:

総論は賛成で、各論はコンフリクトになってしまう。そういうこともだんだん理解度が深まって安定してくると期待していますが、新しい課題はどんどん出てきます。われわれがこれから手がけていくことは、日産が持っている新しいブランドプランをお見せする部分と、いまやっていることの深度を深めていくことです。ただ表層的にきれいになりました、変わったでしょうというだけでは絶対にだめで、お客さんに提供できるものの本当のよさ、深度を上げていくことがテーマです。

森山:

では、デザイン・イニシアチブではいわば2年前に新領域デザイン賞を受賞した内容の進化形が示されることになりますか。

袴田:

ところが中村に提案をしたら、「そういったことはすでにいろいろなメディアで取り上げられているではないか」と。(笑)それで今回は、日産デザイン50周年をテーマにすることにしました。先日の企画展でのコンテンツを映像で見せることを考えていて、ブースの外から見ていただいても、中に入っていただいてもおもしろいものにするつもりです。

森山:

そうした計画も専門性が高い内容ですよね。

袴田:

私は車のデザインばかり20年以上やってきましたから、実際には今までお話してきたことでは素人に近い。でも、中村は自動車のデザイナーはそういうことができるんだという信念を持っているんです。自動車は自動車だけで隔離された部分がありますから、「自動車のデザイン」というべきところがあるじゃないですか。でも彼は、ファッションだろうが、空間だろうが、私たちはモーターショーの演出までやっていますが、われわれにはそれができるんだと言い切っています。私は最初に彼にアサインされたときには、できませんと言っていたんです。

森山:

メディアではそういうふうに伝えられていますね。それと、袴田さんは自動車業界で最初の“スタイリスト”だとも。

袴田:

できないと思いましたから、できませんと言いましたが、彼はできると言うんです。私が新しいことにトライできるのもそこが一番大きいですね。

森山:

ビッグサイトでは、さらに前に進んで行く日産デザインの姿勢が窺える内容が期待できそうですね。今日はどうもありがとうございました。

(2004年8月13日 神奈川県厚木市の日産自動車テクニカルセンターにて収録)

●袴田 浩司
日産自動車(株) デザイン本部
グローバル・デザイン・マネジメント部 デザイン戦略/コミュニケーショングループ 主管
(兼)マーケティング&セールスブランドマネージメントオフィス 主管

●森山 明子
武蔵野美術大学 教授
2004年度グッドデザイン賞 審査副委員長

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