喜多俊之 対談バックナンバー

 
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喜多:

あのときいろいろご相談を受けて、そういえば有田、伊万里にはすごい時代があったなと思いました。nanakuraは7社でつくっていますよね。もともと小規模の窯元が7社集まってやっていますが、これは代々続いてきているものなのでしょうか。

福田:

それぞれの窯によって違います。私のところはまだ2代目で、歴史的にも50年もないくらいですが、7社の中には江戸時代からやっているところもあります。歴史は7社ばらばらですが、昭和40年代の経済政策に合わせてできた工業協同組合として活動しています。

喜多:

お会いする前はどういう状況でしたか。

福田:

有田焼は日本の戦後の経済成長に合わせて拡大してきたところがあります。生産量も戦後順調に伸びてきました。ものがない時代から始まって、器が必要な時代、ある程度量が満たされてくると、もう少し質のいいものが欲しいねという風に拡大してきます。そのように順調に成長してきましたが、平成に入ってから世の中の状況や価値観も少しずつ変わり始めた気がしますが、バブルが終わったあとは有田の状況がかなり変わりました。

振り返って思うと、有田という産地は日本社会の縮図のような感じがします。いいときも悪いときも日本の変化そのままです。

喜多:

バブルが崩壊したあと、もろに波を被ったわけですね。

私はそれまで地場産業のお手伝いはいろいろしていました。個人的には1968年に手漉き和紙の職人と出会って、これはいいものだから何とかしたいと思いました。それまで私たちが思っている以上に産地の衰退が激しかったので、私は当時イタリアに行くことになっていましたが、行く直前に会って話を聞きました。その職人は無形文化財の人ですが、「もう辞めようと思っているんですよ」と言われるから、「辞めないで何とかならないですか」と言いました。

たまたまその2年前、メキシコシティにあるテオティワカンのミュージアムを見ました。インディオの生活文化のミュージアムですが、入ったら、あっ、こんなところに日本があると思った。メキシコではその生活文化はもう消滅していますが、日本ではまだ脈々と続いていますから、これは続けていけるのではないかと思いました。

そのあとその職人に出会って、課題はこれを使うことではないか、使われないから辞めていく、使うところにもう一度戻したらいいのではないかと思いました。そう思いながら、イタリアに行きました。2年くらいして、たまたまイタリアの照明器具のメーカーと仕事をするときに、和紙を使ってみようと思って、和紙を使ったTAKOという照明器具を出したんです。以来、和紙との付き合いはずっと続いていましたが、それから漆、錫などといろいろやりました。

福田さんが2001年の年末においでになって、有田がどういう状況になっているかを伺いました。あのとき17世紀にすごい時代があったのだから、みんなで一度そこに戻ろうよと言いましたね。有田をお訪ねしたときに、みんなでミュージアムに行って、すごいなと思ったんです。この中に未来につながるものがあるに違いない。あれは柴田コレクションでしたか。

福田:

ええ。柴田明彦さんが有田の昔のものをいっぱい収集されていました。柴田さんは今年の5月に亡くなられて、非常に残念です。

喜多:

その中で三つ花を大きく描いたお皿を見つけたんです。三つがフワッ、フワッ、フワッと描かれていたのが印象的で、すぐにアイデアスケッチを始めました。これを料理に戻したらどうか。日本料理と西洋料理と中華料理の三つに使えるものがいいかなということと、丸いお皿だったら一つだけど、三つの花びらのお皿だったら三つものが入るだろうと自分なりに考えました。

いま飽食の時代と言われますが、これは日本だけでなく、世界中そういうところがあります。トランスポートがよくなって世界中のものが流通し始めましたから、何でも食べられる。それに慣れてきて、皆さん一つだけでは物足りない。あるなら三つのほうがいい。そういうところに結びつけて、一気にHANAシリーズをデザインしました。HANAというのは食器の形でもありますが、有田焼がテーブルの花のように世界へ広がって行くというイメージなんです。

福田:

喜多先生は国内だけでなく、世界中いろいろなところに仕事で行かれているので、そういうことに気づかれると思いますが、産地では食のトレンドはほとんどわかりません。業界内の情報しかなく、百貨店ではいまこういうものが売れそうだからつくろうかという発想で、非常に難しいところがあります。

喜多:

フランスやイタリアのシェフに仲良しがいまして、たまにアラン・パッサールのレストランによばれて、特別につくってくれます。なぜかというと、たまたま彼が日本に来たときに、僕がデザインした錫のポットを持って帰ったんです。レストランに行ったら、スープ皿が出てきて、ボーイがその錫のポットを持っている。それはお茶用につくったものだけど、そこからコンソメスープが出てくる。つくり手の思惑を超えて使ってくれているわけです。それ以来、強い味方はシェフだと思って、ときどき相談していました。彼にnanakuraの話をしたら、おもしろいから続けてみたらというアドバイスを受けました。

そうしたら、シェフたちのキャンバスをつくればいいじゃないか。丸いお皿に盛るのは、世界中が飽きているだろう。変形したお皿をつくれば料理も変わるかもしれない。よし、これでいこうと内心決意して、くの字型、細長いもの、大小いろいろ一気につくりました。細長いお皿は、取れたてのアスパラガスに自慢のソースをつけて出せば、出された人もきっと喜ぶに違いない。

福田:

アスパラガスという食材のイメージがあるわけですね。

喜多:

そうですね。あるいは取れたての魚、イワシでもキスでも、1匹だけ小さいお皿に盛ってもいい。急に楽しくなり始めて、いっぺんにやりましたよ。

福田:

そういうときの喜多先生はすごく早いですね。どんどん絵と図面が来る。あっと言う間に、20〜30枚来るから、これからどうやってつくろうかと一瞬たじろぐんです。(笑)

喜多:

日本に帰って試作を見てびっくりしました。こんなに早くこんなにすばらしいものができている。有田はすごいところだ、さすがだと思いましたよ。

福田:

おもしろい仕事をやっているときは乗ってきて、それを優先するんですね。

喜多:

半年くらいあとに、イタリアのベローナでAbitare il Tempoというライフスタイルの大きな展覧会がありましたよね。

福田:

あれは私たちにとっても非常に興味深かったですね。

喜多:

あのとき、向こうが伝統クラフトの漆と紙を展示してよと言って、コーナーをくれたんです。でもあのときは全部ARITA nanakuraに変えた。3週間前でした。けっこう綱渡りをしましたね。展示も前の晩に何とか間に合った。展示会の事務局から、そこだけ空白になるんじゃないか、大丈夫かと電話攻勢を受けていました。当時協力してくれるガラスの会社があったので、ガラスのテーブルに置いて、宙に浮かせることにこだわったんです。nanakura HANAのお皿を並べて、スポットライトを当てて、ガラスを通して床に影をつくり、映像も流す。ずいぶん話題になって、向こうのニュースでも放映されました。インタビューを受けて、いきなりメイン舞台に入りましたが、あれは楽しかったですね。

福田:

私たちから見ると、ああいう手法、やり方がすごいですね。

喜多:

手法でも何でもない。偶然です。(笑)僕は有田に400年の歴史があるということを信じていました。その400年の積み上げには、世界で一番すばらしいものがあるに違いない。だから一級品、最高級品から出発すべきだと思いました。ブースも、前がソットサスだったり、メンディーニも並んでやっていたけれども、取材を受けたのはnanakuraだけです。やはりものが大事ですから、そこへの共感がありましたね。それは400年の時間を取り込んだということだったと思います。

福田:

400年というのは、喜多先生から見るとそうなんですね。私たち有田の人間は、400年というすごい歴史を持っていて、よくも悪くもそれなりにプライドはある。でもイタリアに行ってみると、高々400年ということがわかります。上には上があって、もっと歴史が長いところもある。400年というのは、資産として大切なものだけど、もっと膨らませていきたい。400年で終わりではなく、500年、600年、1000年と続けていきたいと思います。

喜多:

いまnanakuraは真っ白ですね。七つの工房は絵柄で特色があるのに、大変失礼だと思いながら、柄は要りませんと言ってやっています。もう少しご辛抱してください。(笑)いまから入れてしまうと、皆あまりにも絵が得意だから、日常に戻ってしまいそうです。それより陶器は丸いという世界的な常識をどう超えるかが今回のテーマです。次の日本のオリジナリティを実現するには、超えないといけないところが何カ所かあります。

僕はフランスやイタリアのシェフや日本で活躍している板前と話して、ぜひ世界の食の最先端の人たちに響くことがやりたかった。彼らのセンスを生かすには、器は彼らのキャンバスであるべきだ。ということは、家庭の主婦にとっても、そうであっていいのではないか。たとえば自分の自慢料理、素材や色、形をこう盛りたい、ああ盛りたいということがあっていい。私は常々、限られた素材をどう料理して、どうプレゼンテーションして喜んでもらうかということでは、デザインと料理、デザイナーとシェフは似ているなと思っています。その意味で、とても楽しみながらこの仕事をさせてもらっています。

その中で、柄はちょっと待とう。いまいろいろな形をつくっていますが、いままで世界になかったものをつくりたい。有田はスタンプミルという新しいテクノロジーを持っていらっしゃいます。あれは一般的かもしれませんが、400年積み上げたテクノロジーといまの皆さん方の知恵で、世界一をつくらないといけない。世界一にしなかったら、もう席が空いていないので、そこは慎重にやらないといけないと思っています。

nanakuraの七つの窯の人たちはそれぞれ、柄をつけさせたら、これはうちにはかなわないだろうという自慢がありますよね。何年か経ったら、nanakuraのそれぞれの窯元からそれぞれの絵柄を出したいんです。そうしたら七つのシリーズになる。それで世界で展覧会をしたら楽しいと思います。

福田:

楽しいと思いますが、すごく汗をかきそうですね。

喜多:

大いに悩んでもらって、世界発信です。有田にももっと世界へ発信しよう、世界の焼き物文化の役に立とうという機関があったら、国際的な地位はもっと高まりますよ。世界で有田ほど焼き物に特化した町はありません。有田の人はあまり感じていないのですが、いろいろ見ても有田ほどのところはありません。

福田:

回っていないからわからないんです。

喜多:

本来有田から世界的なものが出てくる必然性があったのかもしれません。いまnanakuraの窯元の人たちは、主にどんなことをしているんですか。

福田:

HANAシリーズがメインになってきています。通常の食器は国内でも両極化していると思います。輸入物を中心とした低価格の流れと、国内でつくられた本当にいいもので生活を楽しむ流れと、はっきり分かれてきている感じがします。

喜多:

nanakuraにぜひ成功していただきたいのは、nanakuraが成功したら、日本各地の代々続いている地場産業に風穴があくのではないかと思います。というのは、国内もそうですが、いまは世界がマーケットになっているという事実がありますので、そこに向けて発信できればと思います。

日本には長く鎖国した時代があって、そこで醸成されたすばらしい文化があります。いま中国を始め世界中を巻き込んだ価格競争の中で、日本は追われる立場ですから、日本がこれから脱皮するには、歴史の中の遺産、宝物を自分たちで発見して、それを活用していくしかない。今回はその一つの試みととらえていいと思っています。

福田:

有田の中でも、最近の輸入ものに押された低価格化の流れと、400年の歴史と伝統を意識しすぎて、それをそのままつくるという流れがあったと思います。今回のHANAシリーズは、伝統をベースにしながら、新たなものをつくっていこうというプロジェクトで、これからの有田の方向性を示す一つの大きな流れとして期待しています。

喜多:

この流れが吹き始めたら、すごく大きな束になってくると思います。そこに七つの窯元が積み上げてきた絵付けの技術を付加して、国内を含めたインターナショナルなマーケットにつなげていけば、まさに産地の再生、経済の再生になる。経済が再生しないと明日はないんです。「いいものづくり」と言うけれども、いいものをつくって自分たちがよかったねで終わったら、明日はもう来ない。

福田:

続けていくというのは非常に重要ですね。

喜多:

それには共感してくれる人がいて、使っていただかないといけない。ほとんどが家庭食器ですから、家庭食器なりレストラン等のコントラクトのマーケットがあった上の話です。17世紀もそうで、ミュージアムのコレクション用に買ってくれたわけではなく、ファンがそれを使って、宝物のように大事にしてくれた。そういうところへ戻さないといけない。一生懸命いいものをつくったらそれでいいと言う人もいますが、それだけではいけません。文化的にすばらしい、オリジナリティの高いものをつくることは言うまでもないですが、マーケティングも必要です。マーケティングのない商品に未来はない。

福田:

続いていかないということですね。

喜多:

有田を17世紀に戻し、それを超えるくらいの産地にする糸口を見つけていかないといけません。日本にはレベルの高い料理の文化があります。自然にめぐまれて、豊かな食材からつくりだすクリエイティブな料理が私たちの歴史にあるわけですから、これを基に食器をどうするかと考えたら、ものすごい未来が待っていると思います。今日、明日だけではないと思い込んでしまったほうがいい。そうしたらすばらしい未来がやってきそうな気がします。

実は、来年の2月にオランダのアムステルダムでnanakuraの展示をやろうということになりつつあるんですよ。

福田:

それは楽しみですね。以前に私たちも夢みたいな話はしていたんです。江戸時代に有田の器が海外に行ったときは、アジアから中近東を通ってヨーロッパまで回っています。昔セラミックロードと言われていましたが、船が行っていた各地にいまの有田焼を持ち込んで、展覧会をして見てもらえたら楽しいねという話は、10年くらい前から産地の仲間としていました。それに近い状態で、たとえばアムステルダムのギャラリーで新しい有田焼が展示できるのは、夢が半分かなうような感じで、非常に楽しみにしています。

喜多:

有田焼は400年前に出島から東インド会社を通してオランダへ出ていったでしょう。当時中国は明の時代で、戦争のために中国から輸入していた器が途絶えた。そこで代わりはないかと探しにきて、土もあるからというので伊万里、有田になったわけでしょう。そこで、いきなりバブルみたいなものが来た。柴田コレクションを見ていると、当時の有田、伊万里の人たちの暮らしぶりがものすごく豊かだったのがわかります。商人やそれをつくる人たちは忙しかったけれども、豊かに暮らしていたのではないか。というのは、輸出していないと思われる器で、創造性の豊かなものがいっぱい出てきた。

僕は子供のころから出島は不思議な場所だなと思って心ひかれていました。オランダに行ったとき、出島の見取り図を見せてもらったら、けっこう小さいところですが、隅で羊や牛を飼っていて、野菜畑があった。商社の人たちはご夫婦連れで来ていたんです。あれだけ長い航海に奥さんも一緒に来ていたのはすごいなと思いました。帰国のときは、皆さんご夫婦の似顔絵を描かせて、掛け軸にして持って帰ったんです。それを何本もコレクションしている人と出会って見せてもらいましたが、出島がそこにあると思えるくらいリアリティがある。きちんとは描いていないのですが、町の絵師が当時の人をササッとそのままに、ほぼ等身大に近いくらいに大ぶりの掛け軸に描いています。リボンが曲がっていたり、ぶかぶかの傘を持っていたり、寄り添ってニコッと笑っていたり、それぞれの特色が見事な筆使いで描かれていたことが印象にありました。

出島の見取り図からすると、400年前はそんなに堅苦しいものではなく、すごくエネルギーがあった。向こうでは有田焼のブームでしたから、彼らはせっせと本国に送っていたのでしょう。任期が終わると次の人が来てということで、けっこうおもしろい時代だったのだなと思いました。

来年のnanakuraの展示は、そうした歴史のアイデンティティの延長として考えたらおもしろいのではないでしょうか。

福田:

400年続いてきたのにはそれなりの理由があって、それはその時代その時代にやりたい放題の新しいことをやっているからではないかと思います。いま喜多先生と一緒におもしろい仕事をさせてもらっていますが、いろいろな時代にこういうものをつくろう、これをあそこに持ち込んで使ってもらおう、ということがかなり盛んに行われたのではないかと想像しています。それが結果的に有田が続いてきた理由で、ものづくりの楽しさや使ってもらう喜びが盛り上がっている時代でないと、いいものは続かないと思います。

喜多:

いまアジアも欧米も日本料理のブームです。お寿司や天ぷらだけでなく、和え物まで人気です。次にやってくるのはもっと本格的な日本料理、たとえば懐石料理も世界へ普及していくと思います。そのときの器は、いま市場にある器ではなく、新しい有田の器だといいなと思います。先行きはすごく明るい気がします。

福田:

私がイタリアに行ったとき、当時日本の雑誌や新聞には、ヨーロッパで日本ブームという情報が出ていましたが、実際にイタリアのお店などに並んでいるものを見て、本当の日本ではないなと思いました。布団や日本の和食器風のものが並んでいましたが、本当の日本は紹介されていないと感じました。

喜多:

日本ブームというよりアジアブームです。タイやインドネシア、中国も含めたブームで、その中で日本的なものがずいぶん入り込んでいる。布団や料理の並べ方は日本風ですが、お皿はチェンマイ製だったりする。アルマーニがいまインテリアショップをつくっていて、彼らは和風と言いますが、アジア風ですよ。

福田:

アジア風なものを取り入れたいということですね。

喜多:

これからも完璧に日本だけということはないと思います。私たちはアジアにいるわけだから、アジアの中に日本という島があって、タイがありインドネシアがある。私たちはアジアなんだと再認識したほうがいい。意識の中で島から出る必要があるかもしれません。

これから中国が大変な勢いで台頭してきますが、私たちは中国対日本という考えではなく、どうしたら新しいアジアがつくれるかと考えるべきだと思います。その中で有田がどういう役割をするのかであって、あまり日本とくくりすぎないほうがいい。もうそういう時代ではありません。 ただ幸いなことに、いまのところすごくクオリティの高いものが日本には多い。これを私たちが大切に育てていって、世界の中で「日本製はすばらしいね」となるように努力するしかない。日本の文化を新しいアジア文化として生き長らえさせていく中で、各産地が考えることは非常にたくさんあります。これからもお互いにがんばっていきましょう。今日はどうもありがとうございました。

(2004年6月24日 東京・赤坂アーク森ビルにて収録)

●福田 雅夫
有田焼工業協同組合 理事

●喜多 俊之
株式会社アィディケィデザイン研究所 代表取締役
2004年度グッドデザイン賞審査委員長

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