喜多俊之 対談バックナンバー

 
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喜多:

あの仕事が来たとき、メーカーのために頑張ろうと思うのと同時に、これは日本の産業のために頑張らなければいけないと思いました。新しいテクノロジーで世界に強く打ち出すというのは、日本にとっては次の産業の大きなチャンスでしょう。それになり得るという気がしたんです。これをチャンスにするためには、ヒット商品にしなければいけない。企業にとっては売れることは重要で、そうでないと明日がやって来ない。売れることで明日がある。明日が来たら、またその次の明日がある。そういうすごく単純なことを考えたこともあります。
また、デザインはある意味で、マーケティングの固まりとも言えますが、そこはあまり意識せずにやっています。というのは、そこにどっぷり浸かり過ぎると回りが見えなくなるから。それと、常に客観的にやろうと努力しています。いつも初めてのつもりということを忘れないようにしています。新しいテーマが来たら、前のことは忘れて、初めてのつもりでやる。そういうような感じで、5年半ぐらいになりますが、マラソンのようにずっと走ってきましたね。

森山:

出版物でいえば、売れなくてもすごく意味のある単行本はある。けれど雑誌は売れないと存在できない。AQUOSには雑誌と似たような面があって、最初の1個がデザインされて終わりではなく、AQUOSブランドで何十種類も展開していって、企業の屋台骨になり、日本の液晶を使った製品として世界に出ていくべく運命づけられていたから、売れるというのは絶対条件だったとも言えます。

喜多:

液晶テレビという、それまでの世界のマーケットには存在しなかったもので、競合がないだけに、グローバル製品としての可能性がとても高かった。それだけに、この部分を強く意識していましたね。また、発売後は、そのマーケットで売れ続けることの大事さを実感しました。日本発、次のオリジナル製品という実績をつくって、マラソンのように走り続けなければいけないということで、企業も私たちも、いろいろ苦労はありますが、いまのところ無事走り続けています。毎回毎回、次のモデルをどうするかという挑戦です。本当は形はいじらずに、中のメカだけを替えてほしいのですが、市場がそれを許してくれません。モデルチェンジをするだけがいいということではないというのが私の意見なのですが、どういうわけかモデルチェンジは日本の商習慣になっているようです。私はそこには立ち入れませんので、そのうち「モデルチェンジをしないでメカだけ替えようね」と言ってもらえるのをじっと待っているんです(笑)。

森山:

私も待っている一人ですよ(笑)。ところで、AQUOSには、漆のフレームのモデルがありますよね。あれはどういうねらいだったんですか。

喜多:

伝統工芸はいまだに衰退しています。その理由として挙げられるのが、仕事が大変、若い人がいない、素材が手に入りにくいといったことですが、これは理由の全てではありません。日本人のライフスタイルが変わったことと、生活の道具なのに、残念ながらそれを活かせる生活シーンがなくなったことにも起因していると言える。

日本の伝統産業のものづくりのアイデンティティ、心、魂、気持ちを入れてつくるというスタンス。そのすばらしい火は何とか燃え続けてほしいということが私の願いです。たまたま個人的な展覧会をイタリアでやる機会がありましたので、漆の液晶テレビを提案したいなと思って試作をお願いしたら、会社側がこれを是非商品にしたいと。そうしたところからスタートしましたね。私は漆の技術を新しい産業につなぐ機会を探していたので、良い機会だと思って実験的に取り組みました。

森山:

私は、ブラウン管テレビと漆の組み合わせには、違和感を感じると思うんです。しかし、液晶テレビと漆という組み合わせには、ほのかなうれしさを感じた。すてきだと思いましたよ。

喜多:

ありがとうございます。電気製品の場合、ディバイスの制約は形に大きな影響を及ぼすでしょう。例えば、ブラウン管テレビが四角い箱になってしまうのはしょうがない。しかし、このディバイスが液晶になった途端に、テレビはインテリアエレメントになり得る可能性が大きくなった。インテリアエレメントとして捉えることができるところで、もしかしたら提案できるかなという感触があったことは確かです。漆と木と革と三種類を展示したところ、特に漆が注目を集めて、不思議とイギリスで売れてるんです。

テクノロジーの進化には波があって、例えば真空管からトランジスタになる、今度はブラウン管から液晶になる、そういうチャンスは常にあるわけです。トランジスタが現れたときは、オリジナルとしてソニーが世界に打って出た。今はたまたまAQUOSで、そのようなバトンを渡されたつもりで走っています。

森山:

1999年度からの3年間、川崎和男さんがグッドデザイン賞の審査委員長を務められまして、置き手紙のようなものを残していった。それは『私の選んだ一品』の中でも触れられていますが、Gマークの審査委員長を終えるにあたって「いのち、きもち、かたちなんだと言って、僕は役目を終わります」というメッセージです。デザインは近代のものだから、それ以前から連綿と続いてきた「いのち」と「きもち」はちょっと置いておいたときもありましたね。そういうことにデザインがかかわるのはとてもいいメッセージではないかなと思います。どうですか、「いのち」と「きもち」と「かたち」。

喜多:

「きもち」という言葉にすごく惹かれますね。伝統工芸の人たちのものづくりのプロセスの手元を見ていると、本当に「気」を込めてものをつくっているのが分かるんです。外国でその映像を流したら、「これは何をしてるの?」と聞かれたので、とっさに「気持ちを入れている。魂を入れている」と言ったことがある。とっさに出た何気ない言葉だったのですが、後で振り返って考えてみると「魂を入れる。まさにその通りなんだ」と思った。

いま日本のものづくりは過渡期にあるでしょう。ものをつくるというのは、手づくりだったり、機械やハイテクを使ってするわけですが、その中で、次はきっと心を入れるというと大袈裟だけど、きもち、心を近代のものに持たせることは、これからますます重要になってくるように思います。最近、WAKAMARUというロボットをデザインしましたが、一番難しかったのは目です。目のために、殆どの時間を費やしたといってもいいくらい。目以外はささっと出来たのに、目だけができない。時間が経っても褪せない目、信頼できる目、それはきもちに何かのかたちで関わってくるでしょう。

森山:

やはり、目は心の窓のようですね。(笑) 前に喜多さんにインタビューさせていただいたときに、すごく印象的なお話を伺ったのを覚えています。それは喜多さんが小さかった頃、家の庭ではアヒルやら何やら二十種類ほどの動物を飼っていたということ。その時代は鉄腕アトムの時代でもあったこと。現在の喜多さんはテレビや家具といった工業製品を手掛けられる一方で、伝統工芸、産地とのかかわりも30年以上になるでしょう。それは大阪の錫でも高山の家具でも輪島をはじめとする漆でも、明治以前から続いているようなものが多い。

その大雑把に二つが、喜多さんのデザインとしてあるけれども、量産型の工業製品には何となく鉄腕アトムみたいな未来のイメージがあって、どちらにも関係しているのは、生き物の動きのようなものがすごく表れている気がするんです。イタリアの雑誌編集者も、喜多さんがデザインされた椅子やテーブルを見ていると、手を叩けば走ってきてくれるようなところがあると言っている。それは喜多さんという個人にずっと貯えられていた、人工物だけれども動いてくれてきもちもあるアトムと庭にいっぱいいた生き物、どちらのカテゴリーのデザインにも、すごくいいかたちで生きているところがある。前から、そこが一番すてきなことのよう思っています。

喜多:

そうしたことは自分自身ではなかなかわかりませんけれどね。ありがとうございます。クラフトマンたちのものづくりというのは、素材を手にして、さあ、何をつくろうかなとつくっていきますよね。しかし、インダストリーの場合はそうはいかない。限られた素材で、限られた価格で、限られた流通で、お客さんは不特定多数です。それはそれで、データを集めるネットワークがあって、今迄は世界中からデータを集めてエイヤとつくれば、日本製品はヒットすることができた。それをそっくり人件費が安いアジアの国々が始めたから、いまや太刀打ち出来なくなりつつある。では、どうするかといった時に、本当の意味のオリジナリティをつくらなければいけないという課題が見えてきます。何をオリジナルとするかとなると、企業のアイデンティティはとか、ブランド価値やら何やかやと始まるわけです。

このことで、私が常々いちクリエーターとして心掛けているのは、クライアントからデザインを依頼された時、その企業から生えてくるものは何かということを見極めることです。オーナーの方とお話しして、その企業全体を拝見して、ここから何が「生えて」くるのだろうかと考える。そういうかたちでやれば、世界で一つしかないその企業から生えてくる何かがオリジナルになるのではないかと思っています。そこでの総合プロデューサーは経営者だと考えます。デザイナーが走り回るのも経営者のプロデュースによるから、経営者にはデザインの知識を持ってもらう必要がある。スケッチを描く必要はもちろんありませんが、オリジナル商品をつくるという根っこの部分は経営者が担わなければならない。それはデータとしては表に表れない部分です。そのあたりはどうですか。

森山:

奇しくも喜多さんが生えてくるものと言われた。生えてくるものの典型は植物であって、そこには必然性があり、摂理に則っていて、デザインを無理矢理つくりだすということではない。「生える」という要素がどこかにないと本物でないと感じていらっしゃるような気がします。私は、生えてくるというのは、とても大事なことだと思いますし、デザインというのは近代の用語でしょうから、それがもっと深層の根につながっていくのが本当のオリジナリティだろうという気がします。

喜多:

ところで最近、デザインという言葉の内容がもの凄い勢いで変わってきていると思います。色や形、スタイル、機能という範囲のデザイン、そしていまエコロジー、高齢化、コンピュータやインターネットの発達。デザイナーはこのような要素をフィルターに通さなければいけないので、昔とは比較にならない情報量を扱わなくてはならない。だからデザイナーは大変だし、同時に経営者もユーザーも大変だろうと思います。

森山:

そのことはGマークという舞台にも表れています。一つは新日鐵の廃プラスチック再資源化プロジェクト。2002年度に金賞を受賞しました。これは、家庭から出る廃プラスチックを集めて、世界最大の装置産業といわれる製鉄所のコークス炉に入れると、1500度の高熱で、プラスチックがもともとの原油に戻るというものです。もちろん熱に変わって電力になったり、気体に変わったりもする。

審査の時、応募情報を見ていても最初は全貌がつかめなかった。そこで応募者に説明していただいたり、審査委員も実地の見学にいったりすることで、これはリサイクルという範疇にあるものではないということがわかった。リサイクルといわれると、元よりも劣化していて、クオリティはちょっと我慢する感じがあるけれども、これはバージンマテリアルに変わる。画期的なことじゃないですか。その仕組みをGマークに応募してきてくださったわけです。

もう一つ、携帯電話では深澤直人さんがデザインしたINFOBARは、一見スタイリッシュ、スタイル勝負に見えるけれども、ものすごく使い勝手もよくて機能もいい。そもそもauにデザイナーは一人もいなかったんです。そこにデザインディレクターが一人入って、外部のデザイナーを起用して成功を収めた。もちろんINFOBARは「auデザインプロジェクト」のシンボリックなもので、もっといろいろなラインナップがありますけれどね。これがきっかけになって新規登録台数でドコモを抜いた。車でも家電でも企業内にはデザイナーがたくさんいます。この今までのやり方、「デザイナーはたくさんいて、そこでほとんどやります。外にもたまには頼むけれども」ではなく、企業のトップはもちろん大事で、その次に企業の中にきちんとデザインディレクターがいれば、外部のデザイナーとネットワークを組んで、業界の順番を変えるようなデザインも生まれたりするわけです。そういう動きも一方で起きている。

喜多さんがおっしゃるデザインの定義づけ、情報環境の変化に少し加えると、そういうこともある気がします。

喜多:

デザインという言葉もさることながら、グッドデザインという言葉にも変化が見られるように思う。そういう時代がやって来ている中で、日本はデザインの最先端に立たされた。日本はものづくり立国ですが、世界に先輩たちがいっぱいいる間は、先輩たちのものを集めてきて、先輩たちは何をしたのかなと参考にしてやれたけれども、それが一瞬のうちに消えて、自分が先輩の立場にいた。

森山:

グッドという言葉からは、1980年代中盤、バブル経済が始まった頃を思い出します。当時、グッドなどと言ったらみんなからばかにされましたよ。グッドという言葉には、私が好きというだけではなく、ある種のパブリックな価値が含まれていますが、グッドかバッドという尺度はごみ箱に捨てて、好きか嫌いかという時代だった。つまりこの時代は、パブリックな価値がまったく意味をなさなかったんです。ところが、バブルの崩壊、東西冷戦の終結を経て、私がよく覚えているのは、東京では1992年に東武百貨店の山中さんがグッドデパートメントと言いだした。この頃からパブリックな価値が見直されはじめたような気がします。

喜多:

デザインという言葉がまだ新しかった時代、グッドデザインは個人に対して、例えば使い易いやかんなのか、持ち易いコップなのか、洗い易いお皿なのか、あるいは炊飯器のスイッチは分かり易いのかというレベルで意味を持っていた。しかし現在では、それがもっと広くなってきてパブリックな価値が求められるようになってきたということですね。その意味でもう一回、新しいコンセプトの言葉としてデザインを理解していくことが、これから日本が生き残るための道だと感じているんですよ。諸々が非常に複雑になってきたら新しい言葉が欲しい。たまたまデザインという言葉が、それにぴったりなのではないかと思います。

最近もう一つ思っていることは、テレビ番組で経済関係の専門家が集まって日本の経済をどうするかと討論しているのを眺めていると、最後は「やはりハイテクの開発ですね」ということに落ち着く。私はそれは違うと思う。ハイテクだけでなく、ハイセンスも必要で、この両立が不可欠です。日本は今迄ハイテクでお金儲けをしてきたから、それでよいと思っている面がありますが、いよいよデザインの出番ではないかと思うようになってきました。ハイセンスとハイテクの両立によって、日本は再び発展するのではないかと考えます。

森山:

ハイセンス、クリエイティビティーこそ、きもちと深く関係しますね。つくり手のきもちもあれば、受け手のきもちもある。

喜多:

昔の日本はすごくハイセンスですよ。いい職人はすごくハイセンスでしょう。つまり、そもそも日本はデザイン立国だったと思う。

森山:

安土桃山以降、明治以前ね(笑)。

喜多:

伝統産業の分野では、今だに世界のトップクラスにあると思う。しかしいつの頃からか、もつれた糸のようになってしまった。しかし、またハイセンスを取り戻していかないと、世界市場の中で日本製品が座れる席がなかなか空かなくなっているわけです。性能が良い、値段が安いだけではなく、それにハイセンスがミックスしている。機能的でハイセンス、値段もそれに見合うものとなると、まだ席は空いている。そうでなかったら、日本に明日は訪れないように思います。

森山:

一昨年来、ジャパン・テキスタイル・コンテストの審査のために愛知県一宮市に行ってます。イタリアのコモはすばらしいテキスタイルの産地ですが、伝統もあって新しいものをつくれる技術の集積、産地の集積があるのは、テキスタイルではコモと一宮だろうという位置づけもあるらしい。コンテストの受賞作をパリで開催される素材見本市、エキスポフィルに出展すると、ヨーロッパの老舗ブランドがそれを見てオーダーが入る。そのコンテストからもう何十品目と製品化されています。日本は、大企業による新素材的なテキスタイルに強みがあったけれども、いまになってその揺り戻しというか、産地を訪ねる動きが起こっていると報告を受けています。一宮では行政主導のコンテストとは別に、民間ベースの匠ネットワークも立ち上がっています。だから可能性はあるんです。

喜多:

日本のテキスタイルは、歴史がすごいですからね。産地といえば、私は有田でも活動しています。私が紙や漆をやっているのを有田焼の若い経営者の人たちが知っていて、相談にいらっしゃった。悩みがあるというので話しを聞いてみると、コスト競争をやろうとしているわけです。歴史を振り返ってみると、有田は17世紀に欧州への輸出で栄えた時代がありました。コスト競争は外国に任せて、みんなでそこへ戻ろうよというのが私の意見でした。有田焼は柄をつけるのが特徴ですが、まずは真っ白でやりましょう。しかし、品質や発想は17世紀の遺伝子をもらおう。当時の日用品には素晴らしいものがいっぱいあるので、そこからインスピレーションを貰って、お皿やポットなど家庭用品40種類くらいの新しいシリーズを作った(nanakura HANA シリーズ)。 ドイツやイタリアにちょっと紹介したらすごく良い反応があって、今はイギリスやアメリカに輸出が始まっています。

そうしたことを地場産業としてやっていますが、そこで感じるのは、地場産業は本当にもの凄いということなんです。殆どの日本の地場産業は、世界でもトップクラスにいると断言できます。しかし当地の人たちは、それを一番忘れ易いんですね。そこで、どのボタンを押したら良いのかは、誰か第三者が関わる必要があると思う。

森山:

ちょっと外の目でね。

喜多:

伝統産業には大きな可能性があるでしょう。一方、先端産業でも日本は何が出てくるかわからないような面を持っていると私は思いますので、とても面白い国なんですよね。グッドデザイン賞も50年近く続いていて、いよいよ日本がデザイン発信国になりつつあるし、これからそうならなければやっていけない。そういう意味で、日本のグッドデザイン賞の意義も大きくなっていると思います。

森山:

そうですね。最近の私の大のお気に入りは、『同時代を生きて』。鶴見俊輔さんとドナルド・キーンさんと瀬戸内寂聴さんという、大正11年(1921年)生まれの人たちの初めての鼎談で、絶対お勧めなんです。ものすごくおもしろい。この中で、3人でおもしろいことを言っています。黒船が日本に来たのは1853年。私が共同監修した『カラー版日本デザイン史』の始まりもこの年なのですが、1904年、日露戦争の開戦で、近代日本の青春時代が終わって、つまらない国になりだしたという(笑)。1904年というのはジャスト100年前です。それからちょうど100年ということで、これまでのサイクルが、また新しいサイクルに移っていくのではないかという期待感を持っています。

喜多:

私も長くいろいろな国の企業や社会と関わってものづくりをやってきましたが、日本は歴史や文化という優れた資産を持っているのにも関わらず、持っていないと勘違いしていると思う。今そういうものをどんどん引き出して使えば、さっきのテキスタイルや有田焼ではないけれども、世界の一級品になっていくんです。もしかしたら、そういうマジックボックスがポコッと開くかもしれない。開くと楽しいですよね。たまたまグッドデザイン賞の審査委員長をやらせていただくことになった。不安がある一方で、節目の時に仰せつかった感じで、実はわくわく楽しみにしています。

本日はお忙しいところをありがとうございました。

(2004年5月14日、大阪市のホテル阪急インターナショナルにて収録)

●喜多 俊之
株式会社アィディケィデザイン研究所 代表取締役
2004年度グッドデザイン賞審査委員長

●森山 明子
武蔵野美術大学 教授
2004年度グッドデザイン賞審査副委員長

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