| 高尾: |
遠回りになりますが、私のバックグラウンドのお話から始めさせていただきます。私の場合はイタリアでの生活がちょうど7年間ありまして、大学卒業後、日本で4年間ほどサラリーマンデザイナーをやった後、イタリアに渡ってミラノ工科大学で工業デザインを学び、ロドルフォ・ボネットデザインスタジオという事務所で4年間ほど仕事をしました。特にイタリアにこだわっていたわけではなく、ヨーロッパという、日本から離れた土地で、もう一度デザインを見直してみたいという思いが強かった。また、当時の日本ではヨーロッパのデザインの事情については、限られた情報しか手に入らなくて、雑誌を中心にカタログや、ときには海外の展示会に行ったりもしましたが、実際にどのようなプロセスでデザインが進められているかということは全く見えてこない。そういう状況だったので、とにかく向こうのデザインプロセス、どういうかたちでデザインしているのかというところに非常に強い興味があったということもあります。
日本にいるときは、自分なりにけっこうスタイリングやディテールにこだわったり、海外のいいもの、洗練されたものを見て、いい部分は取り入れるという感覚でものをつくっていました。若かったということもあって、美しければ誰にでもわかってもらえるとか、国籍が違っても求めているものは最終的には一つかなという気持ちがすごく強かった。そういうところはイタリアでも通用すると思っていました。ところが、実際にイタリアに行ってみると、思い描いていた様子とはずいぶん違っていて、ブレーンストーミングのようなコミュニケーションを非常に重視していて、クライアントが求めているものとデザイナーが提案するものとが一体になって初めてものができあがるという流れを見ることができた。当時、勤めていたデザイン事務所は世界15カ国からのメンバーが集まっていましたので、それぞれ違った文化の中で育ってきています。そういう構成で、クライアントにどうデザインを認めさせるかというところで、ものの役割から入っていって、その土地ごとの生活文化の中でデザインすることでどういう変化が起きるかということを視野に入れながらやっている。そういう一つのものに対するストーリー性をつくりあげていくプロセスに非常に感銘を受けました。
今述べてきたようなバックグラウンドがある私が、今回グッドデザイン賞の審査に関わったなかで気になった点は、ユニットごとの評価基準に統一感がないということです。当然商品によって見るべき点は違うと思いますが、それがプロダクトであったり、建築であったり、コミュニケーションのソフトであったり、それは何でもいいんですが、どういう意図でデザインされているかというバックボーン、ストーリーが伝わってくるものもあれば、実際に書類を見てから理解できるものもあります。それを審査委員側がどういう観点から捉えているのかということです。
いまをデジタル社会とすれば、それ以前の社会のものづくりの手法では、設計要件が決まっていて、コンセプトもある程度決まっていて、その中で手描きで図面をつくり、モデルをつくる。職能としては手を動かすテクニックをある程度備えていて、ある程度まとめられれば、ものを完成させられた。これが十数年前の日本で、現在、活動しているデザイナーは、そういうところで育った人が中心なわけです。ただ、デジタル社会の現在は、デザイン要件を満たす確認はモニタ上の三次元データでできてしまう。形のバランスも三次元で見られる。モデリングもあまり手を動かさなくてもできる。当然、形のバリエーションも簡単にできますから、携帯電話などはライフサイクルが非常に短い。そうしたときに何で評価するのかというところです。
また、昨今のライフサイクルの短い商品については非常に強い疑問を抱いていまして、いいものであれば、ずっとそのままのデザインでいいじゃないかという思いがある。医療機器などのロングサイクルのものは、クライアントとデザイナー、あるいは企業のトップと社内デザイナーとのいろいろな葛藤があって、その中でこういうものをつくろうというストーリーが見えてくる。そういうものは非常にわかりやすいし、息の長い商品につながると思うんです。ところが、何が目新しいのかという見方が極端に強い。特に家電製品などのジャンルでは売るためのもののあり方は、かつての企業間競争において必要だったのかもしれませんが、いま考えるべきことは、日本製品であれば、日本の人たちが使ってどういう生活の変化が生まれるのか、そのものを使うことでどういう幸せが生まれるのかという基本的なことです。家電製品はそうした基本的なことが忘れ去られているのではないかという気がします。
日本のこれからの生活文化をつくる、あるいは日本で開発されたものが他の世界の文化に影響を与えるという面にデザイナーは目をもっと向けるべきです。昔はテクノロジー優先の商品開発がなされていましたので、技術的な革新性、たとえばものが小さくなる、新しい機能が生まれるということから、数値で革新性をアピールできた時代であったと思うんです。ところが、いまは中国メーカーも技術力を向上させてきていますから、数値で表されるような革新性だけでは競争できない時代がきています。その中で、日本のデザインはどうやって生き残っていくかということを考えていくべきだろうと思います。
一方で、歴史の長い日本のグッドデザイン賞の審査基準を、企業の経営者にもう少し認識してもらいたい。日本の場合は、デザインというのはスタイリングしてくれたらいいよという経営者がまだまだ多いと思うんです。それに対して、そうではないということを端的に示すのがこの審査基準だと思うんです。デザインの職能のユニークさは、スタイリングだけではなく、これからの社会に何が必要かということを語れるということにあります。当然企業内のデザイナーの人でも、フリーランスのデザイナーの人でも、そういうパワーを持っているとは思いますが、受け入れる側のシステムがまだまだ旧態依然としているというのが実感です。
そういうものづくりの原点、デザインの原点、これはインダストリーだけではなくグラフィックでも情報でもそうですが、そういうところに再認識をうながしたいと思っているところです。 |
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| 川崎: |
日本というのは、スペック性能を生産技術で成し遂げることにかけては非常に長けた民族だと思うんです。たとえば腕時計で、水晶発振子を使って正確な時刻を表示するという技術を開発したときに、日本は一躍、腕時計業界を席巻した。ところが、そのスペック性能は10年間ぐらいしかもたなかった。一方でラウムという非常によくできた車があって、1997年にグッドデザイン賞のユニバーサルデザイン賞を取って以来、感心するほど進化を積み重ねてきています。中心価格は140万ぐらい、高いもので160万ぐらいです。これは何万点も部品から構成されているわけですが、その価格はフランク・ミューラーの腕時計1個と変わらない。ではフランク・ミューラーのスペック性能やデザインが優れているのかといえばそうではない。そういう意味で日本は世界に対して、ラウムのようなものこそグッドデザインだと主張していくことが必要だと思うんですよ。
さきほど高尾さんは、イタリアではデザインを頼んでくる人とデザイナーが単なるテクニックの話に終始せず、お互いのコンセンサスが得られないといいデザインは生まれてこないないとおっしゃっていましたが、日本の場合はそうではないことが非常に多い。特にインハウスデザイナーの場合、いまは極端に量販店の力が強かったり、デザイナーが企業の中で発言しても、経営者からはいわゆる付加価値論でしかデザインを求められなかったり、儲けるための意匠は飾られた商品形態という扱いを受けるようなケースがあまりにも多いのではないかと考えています。これにはきっちりとデザインは決着をせまらなければなりません。
そういう中で世代交代することで、僕らがプロモーションしようとしていたこと、「これがグッドデザインですよ」と言っていたことを、あなた方の世代が、これがグッドデザインだとユーザーに向けて言ってほしいし、特に経営者に向かって言ってほしい。現在のGマークの審査基準は、先輩たちが築き上げてきたものを僕たちの世代がもう一回練り直して決めているけど、これは、時代とともに変えていかなければいけない。高尾さんたちの世代に期待したいのは、問題をはらみながら、われわれがやった解決策とは違う方向の解決をつくってもらいたいなということで、これが世代交代をしていくうえで一番重要な点だと思います。
また、僕たちのような長く審査をやってきた人間がその考え方にどっぷりと浸ってしまうことは、それだけでデザインの停滞になりかねません。若手の人たちに、こんなものはGマークじゃないよという議論を巻き起こしていただくことも必要だと思います。審査を通して気付かれた問題点も、たぶんあるのではないかと思うのですが。 |
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| 高尾: |
気になる点はたしかにありました。たとえば輸入車を例に挙げると、欧州車であればヨーロッパにバックボーンや流れの源があって、現地では若い女性の方でも乗り回せるような価格帯だったりするわけです。それが日本市場に入ってくるときに非常に高い値段がつけられていたりする。それを審査の上でどのように判断するのかという話です。デザインされた目的は、現地の20〜30代をターゲットにしている。これを身体感覚的なレベルで理解できているわけでない、日本で生活している人が評価するにあたっては、相当慎重になる必要があると感じます。ですから先ほどの延長線上ですが、ものがつくられてきた背景を慎重に見ましょうよというスタンスを確立したいなという思いがあります。 |
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| 川崎: |
今年のグッドデザイン賞の応募の時期に、日本発で海外向けとしてだけ販売しているものを応募できないのだろうかという話も出てきました。僕は審査委員長の私論として、それはOKだという話をしたんです。それは今の話とは逆になるけど、日本人が海外の人たちの生活を想像しながらその文化は知らないかもしれないけれども、日本の技術、日本のスペックを使って、こういうモノがあなた方にはグッドデザインではないかという思いでつくっている。それを審査委員たちが、もしグッドデザインであると納得できるのであれば、海外で使われている日本製品に対して日本から「これはグッドデザインですよ」という言い方をしていきたい。そう思ったんです。具体的な例のひとつは携帯電話です。国内販売されているものよりも、海外向けのもののほうがすばらしく良かったりしますね。だから「日本でつくって日本で販売しているもの」に限らないで、応募してもらう。それを僕たちが審査して、グッドデザインだと思えるのであれば受賞として、それを一般に広めていくことで、「海外で販売されているもののほうがすばらしいじゃないか」という認識を一般ユーザーたちに持っていただく。その認識が「なぜ海外で販売されているものの方が良いのか。問題はどこにあるのか」という意識に変化していけば、携帯電話のデザインのレベルは必ず上がっていくはずです。
ある言い方をすると、デザインは世界の共通言語であると言えます。もちろん歴史や民族性の違いのような基本的なことは押さえていかなければいけないけれども、インターナショナルあるいはグローバルに考えると、デザインの質は、どこの国に持っていっても本来変わってはいけない、共通言語的に優れていなければいけないものだと思います。それを見つけださなければいけないと思うんです。Gマークの審査基準の中に「日本的アイデンティティの形成を導いている」という項目があって、かつてそれはずいぶんと議論の対象になった経験がありますが、良いデザインを見つけだすときには、必ずしも、日本の独自的なアイデンティティ、それにこだわることはないというのが僕の意見なんです。むしろ「日本のアイデンティティ」が「人間のアイデンティティ」にとってどれぐらい特殊性があるのかという差を冷静に見ていかないと、日本のアイデンティティ自体が実は狂っているということだって大いにありうる。
端的に言うと、たとえば日本は安全を空気のように考えられる国だという通念も壊れ始めている。グローバルな世界の中で日本という国は、ある種特殊な考え方を持っているということが浮かび上がってきているわけです。そういう特殊性を背負っているということを意識しないでデザインしているとすれば、それはまずい。そういうものを背負っているからこそ、逆に言うと舶来主義のような発想をしてしまう。それだけは避けて通らなければいけない。
高尾さんは、イタリアで教育も受けられたわけですし、イタリアの事務所も経験されて、それが源で欧州やアメリカも見ておられるわけでしょう。そうすると大阪から見えてくる世界観、大阪から見えてくるグッドデザインの世界、それから大阪独自の世界観みたいなもの、それらを併せ持っておられると思いますが、それはご自身の中でどのように消化されているんですか。 |
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| 高尾: |
イタリアに自分の会社をつくったのが1988年で、向こうには5人のスタッフがいます。そこでインターンシップをやりだして十年以上になります。イタリアの事務所のときでも、オランダ、フランス、ベルギー、アメリカから受け入れていました。日本の事務所はATCを利用しているのですが、あそこはワンフロアに四十数社のデザイン事務所が入っていて、展示スペースもあるということでデザインのエキシビションがよく開催されますので、学生が大勢来るんです。ヨーロッパのデザイン大学は5年制で5年目は自由にデザイン事務所やメーカーに入ったりして、それから卒業というスタイルを採っていますので、1年間フリーですから、たとえば3カ月、ワンプロジェクト共同でワークショップをするという活動をしたりしています。日本の学生はそいういう点でちょっとかわいそうですが、夏休みしかフリーの期間がないので、夏休みだけインターンシップを受け入れています。そういう部分では大阪にいながら、イタリア人の学生ももちろん受け入れますし、要望があれば日本人の学生をイタリアの事務所に派遣するということもしています。あとはネットワークとして、うちの会社から派生した別のデザイン会社がいまアムステルダムとアントワープの2カ所ありますので、そこにも派遣することがあります。また、学生さんだけではなく、企業のデザイナーの方と共同プロジェクトもやっています。大阪という土地でインターナショナルであり、フレキシブルに刺激し合うということを心掛けています。
世界観というところで話がすごく飛ぶんですが、日本の料理界は非常に多食文化で、東京では世界中の料理が味わえるわけです。大きなホテルに行けば、そこだけでイタリア料理でも中華料理でも味わえる。そこにいるシェフはある意味でデザイナーであると言えて、国籍を完全に越えて、でも東京のそこでしか楽しめない彼独自のチャイニーズの味をつくっている。その味というのは、企業に例えればブランドイメージであったり、デザインスタイルであったり、そういうところに結びつくかなと思うんです。日本人は多国籍の料理に親しんでいて、おそらくどこの国の人々よりもいろいろな味を知っている。同様にデザインも世界中のものを見てきているんじゃないかと思うわけです。たしかに中国はいま急成長していて、ITで情報はつかまえられるとしても、多様なモノに溢れ、いろいろな輸入品があったり、いろいろな様式の文化が混じり合った中で育ってきている日本人とは実体験の量が大きく違う。日本は衣・食・住の住の生活インフラ部分でいくと、「住」は単に住宅だけではなく環境という捉え方がある。「食」はデザイン的、つまりテクノロジーであったり、素材であったり、制約の中でどうおいしくつくるかという捉え方がある。「衣」の部分も、イタリアではモーダといいますが、これも単に服そのものだけではなく、世の中の流れや技術があったり、流行があったり、そういうところからモーダが生まれるわけです。こういう捉え方をすると、ある意味で日本人は経験豊富、誰にも増していろいろなものを見てきているはずです。そういうメリットを、デザイナーたちが生かしきれていないのではないか。本当はもっとできるのではないのという思いがあります。料理の世界になりましたが、そういう国としての特殊性からくるアドバンテージをいかに生かすかというところです。 |
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| 川崎: |
料理の世界でできて、デザインの世界でそれができないのはなぜだとお考えですか。 |
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| 高尾: |
ひとつには、企業経営者のデザインに対する意識の問題ではないでしょうか。ですから、デザインに対する評価基準というところから改革を起こして、最終的には企業の経営者に、デザイナーは単に材料を仕入れてきて料理を出しているのではないということを認識してもらう方向に持っていきたいと考えている訳です。漠然とした話になってしまいますが、イタリア料理店を経営しているオーナーシェフは、限られたスペースと素材で、料理だけでなく、それを出す器のデザインに気を使ったり、テーブルや椅子、環境に気配りしなくてはいけない。では、デザイナーはそういう類の気配りができているのかというと、インハウスでもフリーランスでも、そういう気配りがまだ出来ていない。料理をつくることだけに精一杯で、調理環境はこうあるべきだというところに行きつけていない。
高級な店であろうとなかろうと料理の素材というのは、野菜から何から同じものを使っていますが、味はどんどん革新していくじゃないですか。そういうものは数値化できないし値段も同じだけど、クオリティというか、人の食感に対して感じてもらえるところは常にどんどん革新していっているわけです。最近、私は両極の革新性ということをうたっています。数字で定義づけられる革新性があると同時に、感性に訴えかけるもの、そのデザインの品質をどうするかというという革新性がある。それは美しいと感じたり、楽しい道具になると感じたり、いろいろな感じ方があると思うんです。それぞれどこに何を感じるかということは、単に形ではなく、インタフェースであったり、もしかするとグラフィックであったりする。そういう革新ができて初めて、日本の料理界と同じレベルの環境に置かれるようになるのかなと思うんです。 |
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| 川崎: |
Gマークの審査をしているとデザイナー側の力不足を感じることもあります。もうちょっとやればいいのに、なぜ説得できなかったのだろう。これは完全に営業に負けている、完全に技術の言いなりになっている、それが見えてしまうことがある。きっと審査委員はみんなそれを判断評価していると思うんですよ。だからこそ、評価として、グッドデザイン賞という制度で、同じ職能としてデザイナーを励ましてあげたい。頑張ってもらいたい。僕は外側からは川崎は厳しいからすごく落とすというふうに見られるけれど、そうじゃなくて僕は、審査委員長として応募者側に立って、審査委員たちが落とそうとしているものに対して、通すように、通すようにという働きかけをやっているわけです。というのは、応募されている方たちはGマークだと思って応募してきてくれているのだから賞をあげたい。営業に負けるな、技術の言いなりになるな、というエールを送らないといけない。これは審査委員の一つの義務でもあると思うんです。そういう意味では、フリーの立場から言うと、インハウスはもっとこうしなきゃいけないということをきっとお持ちだと思いますが、どういうふうに感じられていますか。 |
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| 高尾: |
デザインスタジオを15年やってきましたが、最初のときは成果としても認められないという部分が当然ありました。それがちょうど10年経って、私も40を超えたあたりから、異なる企業への多様なデザインプロジェクトの提案方法が身についてきて、そうなってくると今度はいろいろなメーカーのデザイン責任者から悩みを聞かされるようになります。悩みの相談室みたいなもので、どうしたらデザイナーのポジションがよくなるか、環境をどうすればいいか。プロジェクトだけではなく、デザインプロセスの改善であったり、環境の改善であったり、そういうアドバイスはかなりやれているかなと思いますね。
たとえば、ある企業でリストラがあって、いきなり世代交替をした。人は減ったのに商品開発点数は全く減っていないから大変だ。残業代も出ないし、ボーナスも減額カット、なぜそこまでやらないといけないかという話です。ですからリストラや、海外のデザイン事務所とのコラボレーションが、社内デザイナーのモラル低下につながったり、やる気を失わせたりする。昔はそういう声が聞こえてこなかったのですが、いまはそういう話が増えてきたように思います。 |
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| 川崎: |
僕もそれは非常に困ったことだなと思っていますが、日本はリストラ=首切りと言ってしまった。本当はリストラクチュア・エンジニアリングなんですが、エンジニアリングがどこかへ消えてしまって、リストラがイコール人を切ることだけになってしまった。だから僕はよく「リス」と「トラ」の世界になったと言っています(笑)。トラだけが生き残って、リスはみんな捨てられてしまった。それが日本のリストラで、リストラクチュアエンジニアリングになっていない。僕も企業のアドバイザーとして、同じようなことを相談されます。デザイナーの数はすごく減らされたけれども、通常のデザインワークは何ら変わっていない。それで少ない人数で効果を上げろと言われる。 |
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| 高尾: |
そうなんです。これでは「無理をしろ」という話です。私は企業に対して、こういう無駄はやめましょう、そんなに時間をかけないでデザインプロセスの効率やデザイン環境改善をすれば、この人数でもうまくいきますよという提案はしているんです。そうすることでもっと各デザイナー一人一人がもっとアイデアを考える時間が生まれますよと言っていますが、なかなかそれが叶わないというのが実状です。 |
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| 川崎: |
そういう意味では、いまインハウスデザイナーにとっては過酷な時代ですね。フリーランスの事務所も、仕事が殺到しているところと、仕事が全然こないところが非常にリアルに出てきているという印象を受けます。いま次の世代の人たちにデザインをバトンタッチしていくうえで、僕らの世代が何をやるべきかと考えると、経営者たちにどうやってデザインの本質を知らしめるかということ、そして若い次の世代のデザイナーたちが、インハウスのデザイナーと手を結ぶやり方を考えないといけない。僕は今年でGマークの現場から離れて、今度はもうちょっと違う立場でGマーク制度を見守っていきたいと思っていますが、次の世代の一員として、どんなふうにGマークを変えていきたいと思われていますか。 |
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| 高尾: |
Gマークに対する価値観が、企業と若いデザイナーとでバラバラのように感じます。それはやはり共通認識的に、素直にシンプルにグッドデザインはいいねというところに、50周年になる前に持っていけるといいのではないかと思います。そのためには、いま川崎さんがおっしゃったようなことを、デザイナーだけでなく、企業のトップの方がもう少し理解してくれるようになれば変わっていくと思うんです。 |
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| 川崎: |
いまやっとそういう傾向が少し出てきたんです。僕はここのところテレビにけっこう出るように心掛けています。グッドデザイン賞の審査委員長というだけでは、なかなか企業のトップの方とはお会いできないのですが、テレビ番組に出ていると「あいつか、それなら会ってみようか」という話が企業のトップから現れてきています。やはりテレビの影響は大きいなと実感していて、もうちょっとテレビに出てくれるデザイナーが増えてくれるといいなと思います。いまそれを一番強く感じますね。 |
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| 高尾: |
そうですね。もっとメディアを活用すべきだと思います。ヨーロッパのデザイナーたちはもっとスマートじゃないですか。年代に関係なく、インダストリアルデザイナーという職能の認知度や価値観はハイレヴェルといえます。デザイン展でも、専門の方ではなく一般の方が大勢きている。特にミラノのトリエンナーレは多くの一般市民の方が参加していますしね。そういう面ではまだ日本とのギャップを感じます。せっかくいい展覧会をやっているのに、なかなか人が集まらないというのは残念です。 |
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| 川崎: |
グッドデザイン賞でも企業の企画展示「デザイン・イニシアティブ」というような仕掛けを試みてきていますので、それをぜひ継承していただくと同時に拡大をお願いしたいと思っています。
そういえば、高尾さんの事務所が入っておられるATCはもっと注目されていいと、私は思っているんですよ。ATCは非常にユニークな場所で、もっと宣伝すればいいと思うんです。いま名古屋の国際デザインセンターにあるデザインのラボラトリーは10個しか部屋がなくて、部屋代が高いしメリットも少ない。それに比べると、ATCには40社ぐらいデザイン会社が入っているでしょう。インフラが充実していますし、そこでデザインの展覧会をやったり、みんなが講演会をやったり、人を呼んできて話を聞いたり、そういう相互交流も非常に活発なところなんですよね。 |
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| 高尾: |
私の場合はヨーロッパを飛び回っていますし、海外からお客さんもよく来られます。たとえばイタリア時代の同僚で、いまカリフォルニアで事務所をやっている友人も何人かいて、彼らが日本に来たときは、「アメリカからメジャーなデザイン事務所の人が来たから、みんな集まれ」と言って、英語ですがプレゼンテーションをしてもらう。あとはみんなで和気藹々とフリーディスカッションをしたりどこかへ出かけたりする。また私が向こうで得た情報は、最近はデジカメがありますから、それをプロジェクションしながら、こんなだったよというような話を気軽にできる。そういう交流はけっこうありますね。 |
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| 川崎: |
そこでインターンシップを受け入れているということは、実践の教育の現場にもなっているということですね。そういう点は非常にすばらしいと思います。デザインにインキュベーターのスペースとしては、日本で最も整備されていると評価しています。高尾さんは、その世話役的な存在ですよね。 |
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| 高尾: |
夏は、私のところ以外もインターンシップを入れていますから、10人ぐらいが、各事務所に入り込んでいます。学生たちも成果を見てほしいということで、みんながプレゼンテーションをして評価をしあいます。ただどちらかというと、習った情報だけで処理したり、たしかにコンピュータを使いこなしていたりするから作品らしく見えるんですが、本人自身が映っていない。いろいろ発想して形にしているけど、なぜそういう形にしたかというところが説明しきれていない。手描きからどんどんきれいに変わっていくのはわかるけれども、どういう思いかという部分が希薄なので、それを段階的に説明するようにという指導の仕方をするんです。描き方やベーシックなことは学校で学んでいるから、もっと個性、人間っぽさを出していこうよというようなところを教育しています。 |
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| 川崎: |
いま日本の大学生たちはかわいそうだなと思うんです。4年制といっても実質、企業実習のことを考えると3年間が勝負です。このやり方は本当に変えてほしいと思っています。せめて4年の卒業制作が終わって、あるいはその卒業制作も見ていただいた後にと思うのですが、青田刈りの青田刈りというか、苗木の状態で判断されてしまう。それが残念です。僕はIDをめざす学生たちは、なんとか修士課程まで修了してほしいと思っていますが、修士課程といっても1年目で就職なので、それでも5年間です。いまの学生たちは、僕らの時代に比べるとやらなければいけないことが山ほどありますから、もちろんコンピュータも使わなければいけないけれども、そこからできあがってくるものに自分が入るというところまでいくのは、ある程度経験を積まないと非常に難しいじゃないですか。それを考えると、最低限5年間で修士課程まで置いておきたいというのが本音です。博士課程まで含めると9年ぐらいです。これだけの期間があれば企業に入っていっぱしに使えるようにできる。そのときにはデザインディレクターとして使えるぐらいのかたちを取らないと、デザインは非常に複雑になってきているし、難しくなってきている。企業のトップたちがデザイナーを単なる絵描き屋さんとしてしか見ていないところを突破するためにも、それぐらいの教育を入れないといけないなというのが実感です。 |
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| 高尾: |
私がデザインの道に進んだ経緯とずいぶん変わってきているなと思います。僕は入試云々は関係なく、気がついたらデザインしていたという感じなんです。小学生の頃はカタログマニアで、車から、家電から、カタログを全部集めてきては、架空ブランドやメーカーを空想して、いろいろな絵を描いていました。でもそのときはデザイナーという職能があるのはまだ知らなかったんです。やがて車のメーカーへ行ったら車のデザイン、電器メーカーに行ったら電器製品のデザインをやっているんだなという認識だったんですが、ある時期、ジウジアーロの特集の本を見て1人でいろいろなものをデザインできることを知って、自分にぴったりだと思った。そういう流れで小学校、中学校、高校と来て、その中でためたものを具現化したいという思いがありました。そうしてデザイナーになってしまったわけですが、職業としてデザイナーになったからには、日本の文化をつくっていくんだという意識は必要だと思うんです。与えられたものを消化するサラリーマン感覚ではデザイナーは育たない。ものをつくることへのこだわりをデザインで表現して新しい文化へぬりかえるというのは、デザイナーにしかできないところだと思うんですよ。 |
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| 川崎: |
同感です。審査委員やデザイン界の世代交代を考える中、非常に心強いお話をいただきました。
本日はお忙しいところをありがとうございました。 |
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(2003年6月16日 名古屋市立大学芸術工学部にて収録) |
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●高尾 茂行
株式会社デプロ・インターナショナル・アソシエイツ
代表取締役 インダストリアルデザイナー
2003年度グッドデザイン賞審査委員
●川崎 和男
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 教授
大阪大学大学院 阪大フロンティア研究機構 特任教授
2003年度グッドデザイン賞審査委員長 |
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株式会社デプロ・インターナショナル・アソシエイツのHP:
http://www.depro.tv/
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
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