| 桂: |
実は私はこのモエレ沼公園に関して、ずいぶん初期の段階から所管させていただいてきました。私が市長になる前、助役だった頃からのつきあいになります。そうした経緯があるものですから、これは札幌の誇るべき財産であると常に言ってきました。
そもそも札幌は扇状地でして、南のほうが高く北のほうが低いという地形です。南西部には山があるのですが、北のほうは平地になっています。また、山岳部には緑があるのですが、それ以外にはあまり緑らしきものがない。こういう特徴がありましたので、1975年ごろだったと思いますが、既存の緑を生かしながら札幌の市街地を巨大な緑のベルトで囲むという「環状グリーンベルト構想」というものを打ち立てました。市街地の外周100kmほどを公園や緑地などの拠点でつないでいくというイメージで、市で新規の事業を起こすときはそれを意識しながら進めていこうということを話し合っていました。
札幌は海に面していないため、不燃物あるいは可燃ゴミの焼却後の残滓の処理をどうしても内陸部の埋め立てに頼らざるをえないという、ゴミ処理の問題を抱えていました。そのため各所で埋め立て地を整備してきたわけですが、その一環として、モエレ沼をいっそのこと埋立地にして、盛り土し造成して、その上に建築物というのは難しいだろうから公園にしようという構想を立てていました。この構想とモエレ沼をグリーンベルトの一拠点とすることが結びつき、公園の基本的な構想がかたちづくられていきました。
このように、モエレ沼の基本的な構想は、私ども役所内部の人間がこうあったらいいということで考えていたものです。埋め立て自体は1979年に開始されましたし、1982年からは盛土、植栽といった公園の基盤となる部分の造成を開始していました。
そうした中、本当にちょっとしたきっかけなのですが、1988年1月にたまたま私の知人が、ニューヨークでイサム・ノグチさんに会いました。ノグチさんのお弟子さんで、道内でも活躍している彫刻家・安田侃さんなどが、ぜひ札幌に来てほしいと言っていたこともあり、ノグチさんが近々札幌に来られるかもしれないので、せっかくだから札幌市で何かお願いしてみたらどうかという話があったんです。そういう連絡がニューヨークから入りまして、それはぜひノグチさんとつながりを持とうということになりました。
そうして三案をノグチさんに相談してみました。一つは「札幌芸術の森」の一画に彫刻作品を展示する野外美術館を設けていますが、ここに特別な区画を用意して、ノグチさんに創ってもらおうという案。実はそれがメインでした。もう一つは、デザインの高等専門学校の校舎を計画していましたから、その設計をお願いできないものかという案。もう一つは、米国のマイアミでノグチさんがベイフロントパークという公園を手掛けているということを聞いていましたので、モエレ沼公園も構想を立てたばかりだから、何かいい知恵を貸してくれるかもしれないという案。実は後者の2案はある意味で予備的な扱いでした。
そしてノグチさんが実際に札幌に来られて、あちこちを見ていただいたのですが、札幌芸術の森については自分が入る余地はないと断られた。校舎については、いろいろ相談に乗ってあげてもいいよということでしたが、それよりもこの公園がいいとおっしゃった。しかしこちらとしては、ちょっと困ったなという印象だったんです。すでに構想は完成していましたし、それをある意味で芸術家の趣味でどんどん変えられたりしたら、これまた金もかかるし、と心配していたんです。
しかし、話しているうちに、私たちの基本的な考え方も含め理解いただくことができた。そのときにわれわれが考えていたのは、モエレ沼がある札幌北部は平地で山がありませんでしたので、ここに地図に載るような山をつくろうと。国土地理院の地図には、高さが50mなければ表されないそうですので、そういう山をつくろうと考えていました。また、芝生はたくさん植えよう。それから桜の木を集団的に植えよう、スポーツ広場もつくろうという発想だったんです。しかし、ノグチさんからは、そんなものがポツポツとあるだけで、公園だというのはおかしいのではないかという指摘もいただきました。そこで、基本的な考えはとにかく生かしてください、その上で全体をお願いしますという依頼に、「ぜひやりたい」というお返事をいただきました。
ただ当初、ノグチさんは札幌市は本当に自分に任せてくれるのかという不安が強かったんですね。話しが決まってからも「大丈夫か、大丈夫か」と何度も確認されていました。 |
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| 川崎: |
自分もデザイナーとして行政相手に仕事をすることがあるので良くわかるのですが、イサム・ノグチさんも行政相手に仕事をしてこられて、いろいろとあったと思うんです。どこまで行政を信用できるかというような想いが多分にあったと思います。 |
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| 桂: |
そういう時は私がだいたい応対して「大丈夫です」と言うのですが、なかなか信用してもらえないということはありましたね。実は当時の市長が助役の私に、「おまえに全部任せるから」と言ってくださっていたので、私が大丈夫と言えば、実際のところは本当に大丈夫だったのですけれども。
振り返ってみて非常によかったと思うのは、ノグチさんの言うことを直接聞いて、いろいろと調整をしてくれた職員たちが、本当によくやってくれたということですね。普通だったら、途中で手を上げたかもしれません。しかし、本当に辛抱強く対応してくれました。モエレ沼公園に関してもそうですし、たとえば、札幌市の中心街を東西に走る大通りには、これに平行してつくられた大通公園がありまして、ここにノグチさんの作品、黒御影石の滑り台「ブラック・スライド・マントラ」を創っていただいたときもそうでした。
たまたまその少し前につくった、ちょっとした山を築いて、法面をコンクリートで固めたところがあって、ここは子どもたちが滑り台に使われていました。ノグチさんにここをご覧いただいたら、「こういうことをやっているのはいいよ」と褒めてくださった。それで気分をよくして、何か創っていただけないでしょうかと言ったら、創ってもいいよと快く引き受けていただけたわけです。ただし困ったのは、「この場所だ」と決めていただいたのが道路の上なんですよ。大通公園を横切る道路上に置きたいという。
私も、大通公園が1丁ごとに分断されているのはつまらないなと思っていたものですから、絶対になんとかしますからと約束しました。これは道路管理の面では問題はないのですが、交通管制をやる所管のところから、猛烈な反対があったんです。そういうことで実現には時間がかかりそうでしたので、条件が揃ったら必ず移動させますからということで、先に移動できる仕掛けで彫刻を創っておいてもらって、設置場所の環境が整ったら移動させるということになった。結局、移動はノグチさんの亡くなった後になってしまいましたが、緊急の際には救急車が通れる道にすることで解決しました。
そんな思い出もありますが、ノグチさんはこちらの言うこともきちんと聞いてくれたし、ものすごい執念を持って取り組んでいただいた。モエレ沼に話しを戻しますと、われわれの当初の構想だけで進めていたら、それこそ特徴の少ない公園になってしまったと思いますね。ピラミッド型をした山のプレイ・マウンテンも、こういうものがあるのかと私は本当に感激しました。ただ、ノグチさんはもちろんすばらしいけれども、彼と一緒になって仕事をしたアーキテクトファイブの方々や石彫家の和泉正敏さんをはじめ、多くの人々の組み合わせが本当にいいということがわかりました。
というのは、フロリダのマイアミビーチにあるノグチさんの作品を見に行ったときのことです。ブラック・スライド・マントラの元になった「スライド・マントラ」という作品があったのですが、これはブラック・スライド・マントラよりはちょっと小ぶりで、素材も白の大理石を使っていました。私にとって馴染み深い作品ですので良く眺めてみると、大通公園のブラック・スライド・マントラとは出来が全然違う。違うというのは、石と石の組み合わせの形は同じですが、向こうは隙間が大きかったりずいぶん大味な仕上げなんですね。札幌のものは対照的に緻密な仕上げで、本当に微動だにしないという印象です。ですからもちろん基本プランは重要ですが、その作品をきちんとつくるという過程が一緒にならないと、立派なものにはならないのだと強く思い知らされました。
ノグチさんが常々言っておられたのは、とにかく自分の彫刻は見るだけではなく、みんなに触れてもらわなくては困るということです。夏になると、モエレ沼公園には家族連れが大勢いらっしゃいます。そういう光景を見ていると、本当に意図どおりだなと実感します。札幌の子どもたちがここへ来て自由に遊び回るうちに、すばらしい彫刻家の思いや自然に触れていく。ほかの地域にはない感性が自然と身についていく。それは本当にいいなと思っていて、私はこれは絶対に世界一だと自負しているんです。それがグッドデザイン大賞をいただいたので、こんなに嬉しいことはありません。 |
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| 川崎: |
よく地方では活性化という言葉が使われますね。この活性という言葉は、もともとは化学用語で、加熱をする、濃度を高める、触媒を入れる、この三つの要因によって活性化という現象が起こるわけです。僕はデザイナーとして、活性化というコンセプトを説明するときに使うのですが、熱というのは情熱です。ただ日本人は情熱というとバーッと燃えるだけ燃える熱さを想像してしまいます。が、そうではなくて、自分を冷やしていく。その冷静さから情熱を保持し続ける、情熱を語るという部分があると思うんです。もう一つの濃度を上げるというのは、人間としての知性や感性をぐっと煮詰めていくという考え方があると思います。触媒というのは、それらに対して加速がかかるように、誰かが仕掛ける役割を果たすというものです。
そういう意味で、札幌市はイサム・ノグチさんをある種の触媒とされたわけですが、僕はグッドデザイン大賞選出の際のプレゼンテーションでは、イサム・ノグチさん中心主義的な話をあまり出さないでほしいとお願いしていました。その理由は、イサム・ノグチさんがディレクターであるとしても、それを支えた集団が情熱を持ち、知性や感性を煮詰めるということがないと、なかなか、いくら偉大なディレクターでも叶わないことが多いはずだろうと思ったからなんです。これに携わった市の職員の方々、それを支えられた建築家集団の方々の勢いが、非常にうまくマッチングしたからこそ素晴らしいものになった。熱を高め、濃度を高めたからこそ触媒であるイサム・ノグチさんの才能が効果を果たした。そういう部分を見せてもらいたいと思ったからです。
実は、これからまだ完成させなければいけないことがいっぱい残っているそうですね。壮大にこれを育てあげていくという段階ですよね。つまり、これは自分が為政者であったときに何か記念品を残そうというものとはまるで違うかたちですね。また、いま予算が厳しい中で、市長さんとしては、これを運営して、維持しながら、そして育てていかなくてはならない。一方で、これはイサム・ノグチの遺作にもなってしまっているわけですね。そういう非常に劇的なことを含めてできあがりつつあるものを、市長さんの立場としては、今後どのようにしていこうとされているのか。こういうある種芸術であり、ある種文化でありというところに行政がお金を投ずる効果という意味合いも含め、市長さんはどういうことを念頭において意思決定をされるのでしょうか。 |
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| 桂: |
難しいご質問ですが、実は私は2003年4月に市長の任期が切れます。それで私は市長の仕事は終わりですから、これが完成しないうちに私は辞めることになります。地方公共団体の首長というのは、私は寿命といっていますが、4年ごとの任期が与えられているわけですから、その間にやれることをやればいいし、できないものはできなくても仕方がない。自分が目指した方向に物事が進んでいくような仕掛けを4年の間につくればいいのであって、そのバトンタッチを繰り返すのが首長の宿命といえます。ですから自分の寿命が過ぎてしまったあとで、あれこれ言うのは本来おかしい。だからこそ、自分と一緒にやってくれた職員や、自分が4年の間に手掛けたことそのものの価値あるいは効用が、そのあとで発揮されるように、しっかりと設計されているべきだと思っています。
私が初めてノグチさんに会ったときは、川崎さんがよくおっしゃるように、「私は役人は嫌いなんだ」と言われたんです(笑)。どうしてですかと尋ねると、すぐ金のことばかり言うからだというわけです。自分のアトリエに来ても、作品を見て、これはいくらだ、これはいくらだとまず尋ねる。面倒くさいから、みんな同じ単価を言ってやったんだと言っていました。それで、これは絶対に金の話をしちゃいかんなと思いまして、そういうムードになるまでは、金の話はしないようにしようと心掛けました(笑)。非常に神経の細やかな、敏感な人ですから、気持ちよく仕事をしてもらうために、うちの職員にも本当に辛抱強く付き合ってもらいました。これは非常に誇れることです。予算に関しても、私としてはかなり無理を言っているものだから、所管のほうも毎年の費用の捻出にはだいぶ苦労していたようです。年度予算の公園整備の中に占める割合が大きいものですから、これを継続してやると、どうしても他のところに影響が出てくるわけです。でも、この大変な仕事をあまり文句も言わないで、ずっと続けてやってくれました。
ちょっと口幅ったいことですが、私は以前から、札幌の魅力を生かすキーワードは環境と文化だ、それを常に意識してやろうと言ってきました。特にこれについては思い入れがありましたので、そういう雰囲気をみんなが感じてくれて、非常に難しいやりくりを長い間続けてやってくれました。ノグチさんが亡くなった後、財団がモエレ沼公園の監修を引き継いだわけですが、財団の方々が来られるつど、私としては、これは時間がかかるのは仕方がないから、それはかけます。その代わり、本当に狙いとしたものを省略したりはしません。ですからそういうつもりで付き合ってください。それは金がないからです、それしか方法はないんですという説明をさせていただいて、納得いただきました。ただ、財団の方々は、ノグチさんの気持ちを自分たちなりに受けて、それを忠実に再現しようとするから、本人よりも厳しいことをおっしゃるんです。それだけモエレ沼公園実現の意義が高いということなのでしょうね。(笑)
ですから現場の職員は、そういう人への対応もあるし、厳しい財政当局との争いの中で予算を勝ち取らなければいけないし、同時に私の顔色を見ながらやらなくてはいけないので非常に大変なわけです。そういう意味では川崎さんがおっしゃるように、みんなの情熱と知恵がここに集まったものですから、多少時期が遅れることがあるかもしれませんが、そんなものはほとんど問題にする必要はないと思っているんです。時間がかかるのだったら、かかってもいいと思っています。時間がかかっても、きちんとしたものをつくりあげる。おそらくこれだけの規模で、これだけの質でまとまってあるというのは、世界にも例がないだろうと思います。間違いなくこれは世界に誇れるものになるから、使えるところからどんどん使っていこう。要するに完成以前から世界にPRしようと思っています。
しかし、いくつか問題がないわけではありません。たとえば現地までのアクセスが不十分です。何かの行事があるときはシャトルバスを出しますが、あとはマイカーで来ていただくことになりますから、そこは将来の問題としてあります。それから周囲の景観の問題があります。公園の中は美しい景色を持っているのに、その外側に見苦しいものが見えては興醒めなので、むしろ外側の景観を整えていきたいと思います。これはもっともっと時間もかかるし費用もかかることだと思いますが、自分たちの懐具合もみんなわかってくれていますから、そのへんも考えながらやってくれると信じています。 |
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| 川崎: |
いまのお話を伺っていると、環境というものの捉え方が非常に的確だと思うんです。環境というのは、環(わ)を描いて、ある境界をつくるわけですが、その中心をきっちりと固めれば、周りをどうしようかという考え方になりますね。中心があるからこそ周囲の問題が現われてくる。その周囲の問題こそ、環境の問題です。環境という意味で、ほかの市町村の方々に一番認識していただきたいのはそこなんです。たとえば県のどこかに音楽堂をボンと建てる。僕はよく言うんですが、音楽堂を建てて、周りにレストランも何もなかったらどうするのか。とりあえず駐車場をつくればいいだろうという考え方ではなく、それを建てたら、音楽を聴きに行くのだからカフェやレストランも必要で、おしゃれをしていくんだから、それに相応しい場も必要です。音楽を聞く環境はもとより、その周りのことに気を配らなくては意味がない。付近に学校も住宅も整備しないで、工業団地だけを整えて企業に来てくださいと言っても、誰も来るわけがない。20世紀後半、周辺の問題を置き去りにして実施されてきたのが、いわゆる箱物行政だったと思うんですね。
モエレ沼公園の場合、これをつくったから、その周辺にあるものももう一回見直すというのは、まさに行政の環境設計、景観設計という意味では、非常に賛同できる部分です。
イサム・ノグチさんにとっては、これは全生涯を総括するような最期の傑作というものになったわけですね。それで工事の途中でお亡くなりになったわけで、その訃報を聞かれたときの市長さんの思いは、相当なものがあったのではないかと思うんです。 |
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| 桂: |
ノグチさんがここに来られたとき、すでに健康な体ではなかったので、それだけにノグチさんの気持ちを受け入れて、できるかぎりのことをしたいという気持ちがみんなに共通していたのだと思います。周りの人たち全員が、そういうふうに仕向けてくれたというか、気持ちを大事にしていくという雰囲気がありました。そういう意味では、私どもは幸いだったと思います。ノグチさん自身もそうですし、周りがノグチさんに対する思いをこちらに伝えてくれた。それでよけいにこちらも頑張らなければいけないと思いました。ノグチさんが亡くなられたときは本当にショックを受けましたが、それでこの事業そのものがどうかなるということは全く考えていませんでした。 |
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| 川崎: |
それは市の職員の方々のサポート体制、目標あるいは目的がしっかり共有できていたということですね。この行政活動を拝見していて、イサム・ノグチさんは、日本で生まれ、アメリカで活躍された世界的な方ですが、最終的には生まれ故郷の日本でご自身の集大成ができたというのは、同じクリエーターから見ると非常にうらやましい仕事です。また、これから市民の方々に対して、あるいは日本全国に対して、世界に対して、モエレ沼公園が持っている価値を発信されていくことになるわけで、やがては世界遺産になるかもしれない様相を多分に持つものだろうと思います。
今後、市長さんが次の市長さんに周辺の整備を譲り渡していかれるときに、最後の仕事として、伝えなければいけないこと、ここだけは絶対にやっておいてほしいということはありますか。 |
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| 桂: |
札幌というのは財政的に非常に足腰の弱い都市ですから、こういうものをつくるときに失敗はできない。ほかの都市では失敗しても再建できるかもしれませんが、うちは失敗すると立ち直るまでにかなり長い時間を要するだろうと思います。ですから私としては、他所より遅くてもいいから、きちんとしたもの、いいものをつくろうと。長くかかってもいいから、本当にいいものをつくろうという気持ちでいます。
ですから次の方も、私があれこれ説明するのでなく、ご自身でこれをずっとご覧いただいて、これはやっぱり続けなければいけないなという気持ちになってもらいたい。私としては、そうなるはずだという自信を持っています。これを丹念に調べていただければ、これは続けなければいかんという気持ちに必ずなるだろう。そして懐具合を考えれば、失敗は許されない。基本路線を踏み外すことはできないということを、きっと感じていただけるだろうと思います。ですからご自身がまずその気持ちになって、これを改めて自分のものとしていただいた上で、発展させてもらいたいと思いますね。 |
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| 川崎: |
市長さんという重責をずっと担ってこられて、こういう偉大なものをつくられた。本当のグランドデザインのディレクターは、実はイサム・ノグチさんではなく、市長さんだったと僕は思うわけです。いま日本は非常に厳しい状況下にあるから、どうしても経済優先主義になる。文化活動というのは一般に、回収の見込みがないままお金を使っちゃうみたいなところがありますが、これはある種の文化活動であり、かつ新しい環境をつくるための投資事業であると僕は理解しているんです。この投資は必ず還元されると考えますよ。
グッドデザイン賞の審査の評価基準にはおおまかに三種類あるんです。一つ目は良いデザインであるか。これは、美しいデザインであるかということです。二つ目は優れたデザインであるか。優れているということには、審査委員の主観的なものが働くんですが、個々の審査委員が集まって論議をすれば客観性に変わる。みんなの主観を持ち寄ってぶつけ合って、なぜそんな考え方をするのかというディベートが行われれば、それは客観性に変わる。三つ目は未来を拓くデザインであるか。これは消費されてしまうのではなく、それが次代への投資になっているかということを判断します。概説的に評価基準を言えば、これがグッドデザイン判定の大きな評価要素です。
グッドデザインって何ですかとよく聞かれますが、これには非常に答えづらい。むしろGマークが付いているものがグッドデザインだと理解していただきたい。それを見て、あなたがこれはグッドデザインなんだと理解されれば、それはわかっていただけるでしょう。だから環境デザインとは何だと言われたたときも、モエレ沼公園が一つの大きな例示で、日本の環境デザインを語るうえでは、まずここを見てほしいと言える。そういうことで本当に幸いに、2002年に建築デザインと環境デザインを分けて審査をすることにしました。そして、環境デザインにモエレ沼公園があまりにも見事にピタッと収まってたのでしょう。
僕がいる名古屋市もこの間、先進環境都市宣言をしました。それで環境大学をつくる構想に入っています。この間、その会に呼ばれたときに、委員は全員、モエレ沼公園を見に行ったほうがいいと言ったんです。環境の定義は、学者がいろいろ書くよりは、見て体験してわかったほうがいい。デザインは「見てわかる」ことが非常に重要ですから、ぜひそのような点をGマークで発信していきたいと思います。
最後に、グッドデザイン大賞がモエレ沼公園決定したことについては、環境デザインというものを非常にはっきりと明示できたのでよかったと思っています。受賞されたあとの反響についてお聞きしたいんですが。 |
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| 桂: |
私は定期的に記者会見を行っているのですが、新聞記事の取り上げ方が意外に弱いんですね。以前から、これは自信のある公園だと言ってきましたから、グッドデザイン大賞をもらったというのは、それがきちんと認められたのだから、大変なことなんだ。もっと新聞で大きく書くべきだ。悪口ばかり書かないで、そういうときこそみんなで一緒になって喜ぼうと言ったんです。私が辞めたあと、今年中にいま手がけているメインの施設「ガラスのピラミッド」がオープンします。そうするとそれがまた一つのきっかけになって、多くの人たちがあそこに行くだろう。そういうことが積み重なって、だんだんと、じわじわと、グランプリの重さというものが、市民にもわかってもらえるかなと思っています。
私について、箱物ばかりをつくって、借金を残して、とんでもない市長だと言う人もいますが、われわれの仕事は借金なしではなしえない。それをしないとすれば、いま持っているお金をみんなで分配して終わり、明日の生活は考えないということになる。そういうことは許されませんから、常に借金をして、世代間の公平な負担を考えながら仕事を進めるわけです。ですから借金そのものは怖ろしいものでも、恥でもない。ただし借金である以上、償還能力があるかないかは常に検証していかなければいけない。また、特に箱物の場合には、借金をしてつくったものがどういう価値を持っているかが問題になります。それは、お金を生んでくれるという価値を持つこともあるでしょうし、あるいは赤字補填ばかりしているけれども、別の面で大きな価値を生み出すということもある。だから、トータルで捉えてもらいたい。
その2点からいえば、とんでもない市長だと言われるけれども、私には自信があるんです。トータルに考えて行動しなければ、世の中のために何にもならない。近視眼的に、借金をせず、お金持ちからお金を集めて、そうでない人に分配する。いま福祉に世間の注目が集まっていますので、公園整備よりも福祉にお金を回せという声も多い。それは本当に耳あたりはいい。しかし、本当にそれが正解なのかということをトータルな視点から考えてみてもらいたい。
ちょっと口幅ったいことですが、私が環境と文化といってきたのは、やはり中心は人間で、人間性を大事にする、それを豊かにするのが環境と文化だということなのです。そういう目標がなければ、われわれの世界の向上や発展はありえない。われわれの先輩たちがやってきたように、われわれも努力しなければいけない。そのためには今、環境と文化をもっと意識して、つらいときもありますが我慢して、そういう目標を持って努力していくべきだろうと私は考えています。 |
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| 川崎: |
いま市長さんが言われた借金というのは、ある言い方をすれば投資です。この公園は決して生産現場ではありませんが、子どもたちにとっては大変貴重な財産になっていくはずですから、投資の価値は非常に高いものだと思いますね。
僕もグッドデザイン賞の審査委員長として3年目に入るわけですが、どうも僕が審査委員長になってからは、せんだいメディアテーク、モエレ沼公園と公共のものばかりなので、おまえはインダストリアルデザイン出身なのに、工業製品をちっとも評価しないと裏切り者扱いをされているんです(笑)。ただ、工業製品の分野がちょっと力を失ってきていることは確かだろうと認識せざるをえないので残念なんです。
せんだいメディアテークをグッドデザイン大賞に決定したとき、「なぜせんだいメディアテークだ」という批判的、いや非難的な意見まで出ました。僕はそのときに、「行ってきてください。実際にその目で確かめていただければわかる」と言いました。それは後日、メディアテークをご覧になった人たちからは、製造業で後れているのはこういうことだろうということがわかったと言われた。だから、デザイン界のプロダクトをやっている人たち、あるいはグラフィックをやっている人たちにも、こうしたものを見ていただいて優れている面を実感していただいた上で、各デザインの領域が同じように競走をする。そいういうふうに巡っていくと非常にいい結果につながると思っています。とにもかくにもモエレ沼公園の場合、あくまでもグランドデザインの傑出したものとしてのグランプリでしたので、これを選べて一よかったなと思っています。
今日はお忙しいところを本当にありがとうございました。 |
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(2003年3月28日 札幌市役所にて収録) |
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●桂 信雄
札幌市長
●川崎 和男
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 教授
大阪大学大学院 阪大フロンティア研究機構 特任教授
2003年度グッドデザイン賞審査委員長 |
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Good Design Finder でのモエレ沼公園の紹介ページ:
http://www.g-mark.org/search/Detail?id=28248&lang=ja
札幌市役所のHP:
http://www.city.sapporo.jp/city/
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
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