| Gマーク事業部: |
次に、8月にビッグサイトの二次審査会場の一角を使って開催した「デザインイニシアティブ」についてお聞きします。これは、デザインの可能性を「デザインの未来提示力」というテーマで的確に示そうとする企画展示の場面でした。デザインがイニシアチブを取った様々な事例を示すことで、その可能性を多くの方に知っていただきたいというものです。このような試みが投げかけた意味合い、それを来年にどうつなげていくのかということも含めてお話しいただけますか。 |
| |
|
| 川崎: |
「デザインイニシアティブ」というのはいい名称だったと思います。今年のデザインイニシアティブは、規模的には12社、1職能団体、1大学が参加していただきました。それは昨年たまたま東芝さん、松下電器さんなどがあえてアドバンスデザインを見せていただいたのにヒントを得たのですが、多くの方々がデザインを通して未来を見たがっている。われわれは21世紀という新世紀を期待をもって迎えたのにもかかわらず、まだ未来が見えていない。それを見せる力を持っているのは、物事を視覚化できるデザインという職能です。だからこそ、それを見せていこうという試みです。
その意味では、そのことに協力していただいた企業は、デザインイニシアチブな企業です。デザインが牽引力になって技術を動かし、営業を動かす。デザインが技術を動かすということはハードウェアを動かすことであり、それは文明を動かすことです。デザインが営業を動かすということはソフトウェアを動かすことであり、それは文化を動かすことだと思います。その種になる部分をどれだけの企業が描けるかということが重要です。
ただ、僕が少し残念だったのは、僕は審査委員長でもあるし、現役のデザイナーでもあるから、自分のクライアントにご無理を言って、ブース設計までひっくるめて提示して見せたわけです。難解であるとの意見もありましたが、あのインスタレーションには僕なりの問いかけを含めたつもりでいます。ある言い方をすると、みなさんには実はそこまで徹底してやってほしかったんです。デザインという職域が広がっているにもかかわらず、ショーアップのソフトウェア、アプリケーションというところまでプロダクト系は至っていない。まだインダストリアルデザインが常套手段に寄りかかっている印象があった部分は残念だったと思います。こういう場面を利用して、改めてインハウスデザイナー、フリーランスデザイナーを含めてプロのデザイナーたちが、もう一度デザインのためのデザインとは何かということをきちんと語らないと、本当のデザインイニシアチブはできない。そういう意味では今回12社、1団体、1大学が参加していただけたことはけっこうなことだと思います。今世紀のイニシアチブを取るのはデザインである。そのイニシアチブを取ったデザインがよいデザインであるということは、世の中に認証されることでGマークが与えられるんですというところまで話が持っているといいですよね。
願わくば、それは僕の審査委員長時代ではないでしょうが、次の委員長のときには、グッドデザインのデザインイニシアチブに行ったら未来が見える。小さな万博ではないですが、未来を手に取って実感していただける。あるブースという空間の中に入って実感していただける。そうして未来を見せていくことで、人間を元気にしていくのだろうと思うんです。未来が見えないというのを、解決するのはデザインが未来を見せる力があるということです。
今年はあえて審査委員長特別賞として、ここに参加した大学に対して贈ったんですね。それは若い人たち、次の次の世代のデザイナーのプロになっていこうという気概、勢いというものが、一流企業の何十年かの歴史を持っているところと一緒に出しても、遜色がないくらいだったからなんです。日本人全体が元気をなくしている今、一番大事なのは、まずデザイナーが元気を見せることだと思います。それは今年の審査の中で、デザイナーの元気が見えるものにはぜひとも賞をあげたいと審査委員全員にもお願いし言っていたことと通じるわけです。 |
| |
|
| Gマーク事業部: |
最初におっしゃったようにユーザー、市民、納税者が賢くなっている、意識が変わっているのは明らかで、そういった方々がデザインがイニシアチブを取ったものに共感するという事例も非常に多くなってきたように思います。いま元気とおっしゃいましたが、そういったことで、当初からデザイナーが生き生きしているものをみんなで見極めてほしいと、審査委員全員に審査基本方針の中でおっしゃられました。そこで、今年応募されたもの、もしくは受賞されたものの中で、何か生き生きとしたものが見えたものがありましたか。
|
| |
|
| 川崎: |
元気のよさは年代によって差異はあると思ってはいたのです。若者の元気さ、それは金賞になった「ライフ・ウィズ・フォトシネマ」が象徴していたと思います。この作品は、これを開発した若い人たちのモノづくりに対する意気込みや誠実さに満ちています。それは、このソフトウエアを実際に楽しんでみたり、マニュアルを見ていただければ十分に分かっていただけると思います。もののつくり方、あるいは売れ方を実感するという中で、僕は彼らの活動の中に今年重要なことを見た気がします。それは端的にいうと、「フォトシネマ」が1ヶ売れるごとに、開発者全員にどこの誰が購入したのかがわかるメーリングシステムを構築していたわけです。携帯電話がブルブルと鳴ることで、リアリティを持ってユーザーと接することができる。他愛もない話ではあるかもしれませんが、こういう身体感覚を大切にしていくという姿勢が、特に大企業では希薄というより喪失さえしているのではないかとさえ思うのです。
その原因としては、二つ重要なキーワードがあります。一つは「商品の差別化」という言葉と、「デザインは商品に対する付加価値」であるという言い方にいまだにぶら下がったマーケティングです。昔ながらのマーゲットセグメンテーションで、こういうライフスタイルの人には青い色、こういう人にはこんな形ということを、いまだに常套手段としてやられているところは、時代感覚を失っているといっても過言ではないと考えます。商品を差別化すれば、ユーザーに、「あなたはこれを買う階層の人です」とさえ、差別しているのです。これはとても横暴というより暴力的でさえあると言えます。もうこんな時代ではありません。この差別化というデザイン戦略を盲信しているのは、ある意味ではプロであることを放棄していると言えます。プロであることを放棄しているということは、ユーザーである自分にも気づいていない。まずユーザーである自分に気づけば、プロである自分はどうあらねばならないかということがわかってくるはずです。
もう一つは、「デザインは付加価値」という言い方です。いまだにどこに行っても付加価値といわれている。そこで僕が言うのは、経済学における付加価値という言葉の意味を百科事典でもいいから調べてほしい。付加価値というのは、労働対価に対して、どれだけの価値が付加されているかということです。デザインを付加価値というのは、デザインを装飾としてとらえて、色がついた、形が変わった、そういうものが付加されている価値だという言い方です。それと経済学でいう付加価値論はまるで違うし、実はデザインは全体価値なんです。デザイナー自身も、この商品にはデザイナーとしてこういう付加価値をつけました、商品はAランク、Bランク、Cランクで差別化を図りましたという言い方をします。それによってバブル以降、企業がデザインの大誤解をしてしまっている。そこは変革していかなければいけない。いずれにしても、企業はもはや再生ではなく、創生していくという意識を持つことが重要だと思います。
今のような話の対極にあるのが軽自動車のコペンだと思います。これまで軽自動車といって、カーデザイナーたちからはちょっと一段下に見られていた領域に、コペンという存在がコンパクトカーという文脈でここまでできるというものを出してきた。しかもそこには、スポーツカーのスピード感を感じるような形態を無視して、のんびり走ってもいいのではないか、自分たちはこういう車がほしいというものを強く打ち出している。それはお客様を全く分けていない。分けていないからこそ成功しているわけです。このようなモノづくりの根底に流れているのは、ある種のユニバーサルデザインと言っても良いでしょう。 |
| |
|
| Gマーク事業部: |
デザインは付加価値という言葉は確かに今でも多く見かけます。川崎委員長は以前から付加価値の時代はとっくに終わって、デザインは全体価値であるとおっしゃっていましたし、今年改めて問題提起というかたちで、いろいろな場面で指摘していただきました。そこで、デザインの価値は本質的なところで、今後どういったところに持たせるべきなのか。あるいはデザイナーは価値というものをどのように捉えていくべきなのでしょうか。 |
| |
|
| 川崎: |
マルクスの『資本論』になりますが、麻布1枚を洋服にしたとします。麻布が500円だったとすると、洋服にしたら1000円になった。文中ではエレという単位を使っていますが、ここからマルクスの価値論が始まるんです。それは先ほど言った労働を付加するという付加価値論です。そこからもう一歩先に進むと、500円の布でつくった洋服が1000円になったけれども、2000円の洋服もある。その差は何かといったときに、それはデザインの違いだということになります。それは、それが欲しいと言っている人たちに対して、何を価値として与えているかという話です。1枚の麻布は別の価値を持っていた。そしてなぜ2000円のものを選ぶかというと、そこには消費者にとって自分の望ましいデザインがあったということですね。でも、1000円のものを選んだ人にとっては、1000円のものが好ましい。それは望ましさと好ましさというものですが、デザインはそういう部分をもっと真剣に考えるべきではないか。
昔から言われているように、望ましさと好ましさは二極化せざるをえない面がある。それが一方では量販店で安かろうというかたちで並び、一方では本当に数点が並べられ、それにプレミアがつく、レアものであるという、望ましさを求める人がいる。デザイン戦略的に考えると、デザインが生み出す価値は好ましさの割合をどうするか、望ましさの割合をどうするのか。そのときに、こういう人たちはこういうものを好む傾向があるからこうだという捉え方は古くなっています。そうではなく、自分はこういうものが好ましいし、望ましいと思っている。もっと大きくいえば、いまの時代にとって、あるいはこれからこれを使ってくれる人にとって、こういうことをやってほしいというデザイナーの思いをこめる。それはユーザーが見えていなくても、まず自分という人間がを出発点として発想したものをつくって、それを並べることによって、それに共感した人がそれを購入する。そういうモデルを検証していくべきです。そこにコミュニケーションデザイン部門があることにつながりますが、つくり手側の望ましさと好ましさの価値観を、使い手側の人も一緒に持っていただいて、分配し合うことで、コミュニケーションは成立する。今回のGマークで言うと、コミュニケーションデザイン部門から日本商工会議所会頭賞になった八幡ねじのデザインマネージメントです。ねじはふだん何ら目配りしないものですね。でも、彼らは自分たちのつくるねじが、こんなところでこんなふうに使われてほしいという、ねじに対する望ましさと好ましさをデザインで見事に分類してみせた。そしてこういうふうに見てほしい、こういう店頭に並べたいという明らかな意志が伝わってくる。そこにねじというものを全体的に価値観で包んで見せているといううまさがあります。こうしたデザイン活動、デザインでの全体価値を褒賞できたこと、それはコミュニケーション部門をつくった成果だと思います。
現代、そして現代が引き込むべき未来はここにあるといえる部分が、Gマークをつけたものすべてに潜んでいます。そういう意味で、受賞1点1点の部分読みをしないで、全体的に見ていただきたい。アワードで990点だというのは、それが多すぎるという話ではなく、990点全部見渡してでも、まだまだ少ないくらいだと思います。世の中にはモノが氾濫しています。だから、グッドデザインとは何かと盛んにいわれている時代ではなく、領域が広がっているからこそ、これがグッドデザインなんですよとこの制度で見せていく重要さがあります。それが結果としては、日本人だけではなく、海外に向けて、日本人全体が共有している知性と感性、それらを総合したものの見方がこんなふうに反映して、日本のデザインによる価値観があるということを見せることで、日本の役割が世界に伝わり、コミュニケーションになる。日本でこうしたプロモーションができるのは唯一、グッドデザイン賞の制度でしょう。Gマークがついた商品を見せる、あるいはGマークがついた施設を見せる、Gマークがついたボランティア活動を見せるという、日本からの情報発信の意味合いと必要性を非常に強く感じています。 |
| |
|
| Gマーク事業部: |
Gマークがほかのデザインコンペと大きく違う部分は、よい点を積極的、加点法的に発見し、選別して、それを認める、誉めるというところにあると思います。委員長がよくおっしゃることですが、それが応募いただいた方にもなかなか伝わっていない。これは事務局の説明不足によるところが大きいのですが、そういうことがまだまだあります。そこでGマークが持っている特質を今後どういうかたちで生かしていくのか、もっと真剣に考えていかなければいけないと思っています。この制度論については、委員長になられる前からことあるごとにご指摘いただいていますが、いま現在はどのように考えていらっしゃいますか。 |
| |
|
| 川崎: |
個人的には、Gマークの審査の期間というのはデザイナーとして非常に楽しみにしていました。1年に1回、他の領域の人たち、有名なデザイナーの方、建築家の方に会えて、その人たちが物事をどういうふうに見るのかということがわかる。それに、あらゆる商品を実際に手に取って見られるという、審査委員の特権的なものがありました。そういう楽しみの反面、非常に不思議に思っていたのは、一つはお上にデザインのよしあしを決めていただきたくないという発想、もう一つはGマークをつけても売れやしないという発想です。こういう二つの発想については、僕は審査委員になったときから、違和感というよりも、性格が性格ですから、むしろ反抗心、それは違うだろうという思いがとても強くありました。
それは何かというと、Gマークを取ったものは、民営化される前はセレクションで、選定品です。だから、Gマークの下に選定品と書かれていた。しかし選定された商品を、みんなグッドデザイン賞を受賞したと言う。選定品の中には賞と呼ばれるものがいくつかあったけれども、セレクションにもかかわらず、みんな賞をとったと言いたがっていた。そのことに対しては、事務局はけっこうおおらかで、いいんだと言ってきた。みんながセレクションにもかかわらず賞だと言っているなら、民営化するときに全部賞にすればいいじゃないか。しかし思いきってアワードにすると、へ理屈的に賞が1000点近くあっていいのかという話がとっても批判的に出てくる。
そこでもう一回改めて考えたのは、お国が決める制度というのは何だったのだろう。制度として、これがいいデザインですよと押しつけているような印象があるのかと考えてみると、それは全くないわけです。でも、お上が選んだものはくそくらえだという固定的な観念を持った人もいる。ただ、デザインもやり、グッドデザイン賞の審査委員として審査もやり、自分のデザインでGマークがほしいと思っている自分としては、これを整理しなければいけないと思っていました。その中で民営化されたときに制度論で考えたのは、単純に制度は誉めてあげることと罰することに分かれる。そうすると、Gマークに落ちる、Gマークに選ばれなかったというのは、罰せられたんだと感じ取ってもいいのではないか。そこで、選ばれなかったとしても、どこがだめだったんですかと聞き返せばいいわけです。それについては丁寧にアフターケアをやるべきシステムにしたいと思いました。だからこそ、選別するための客観性をどのように醸成していくかを考えることが審査を運営していくうえで重要になります。
いま一次審査をバーチャルでやっているということは、かなり主観性がでてくると思います。誰の意見も聞かないし、応募データだけで現物も見ていない。そうすると、デザイナーの持っている見識そのものがストレートに出る。それは自分がいかに客観的にならなければいけないかを自覚してもらえるかということもあるけれども、そこで出してきたものは、あらかじめわれわれはすべて主観的な判断としてしか見ない。しかし、たとえば5人のチームがあって個々の結果を集めて、チーム全員で見直していくと、そのチームの客観性に変わってくる。それをさらに複数のチームで見たときに、それはあなたのチームの主観だろうというアンチテーゼが投げかけられることで、客観性が鍛えられていく。最終的には審査委員会の主観性が選んだという話になるけれども、その主観性は形式的な主観性であって、内容的にはきわめて客観性の深度を持ったものになっている。
ここで制度というのは、認証を判定する、あるいは裁可するという意味で、サンクションと呼ぶことが論理的に可能になります。これは裁判所による判断の仕方とは違うんですね。ある種の民主主義です。Gマークがコンペティションでもなく、コンテストでもないというのは、ある統一テーマがあって、そのテーマに対してのデザイン解決をやるのではなく、応募者自らが定めたテーマに対する応募者自らの解答例を審査委員団が社会的に認証できるかどうか、裁可するということになるわけです。その裁可=サンクションによるセレクションをアワードと称しただけであり、それは会話的にアワードと言っているだけのことなんです。
そのことに気づいておられる企業の中には、Gマークがセレクションだということはよくわかっている。逆に、Gマークというセレクションに入ることはデザインの完成度が基準的なレベルにまで来ているが、この基準的なレベルでは困るから落として欲しいという意見まであります。出せる限りのものは認定をもらって、裁可を受けて、うちは今回半分はOKだった、半分には何かの問題点があるのだろう。これをもう一回「謙虚に見直そう」というのが、デザイナーの社会的な職能倫理として、とても健全なるやり方です。そういう健全なるやり方を社会組織の中に制度として入れないと、たとえるなら、その健全さという健康を維持できなくなる。これは病気になってから病院に行くのではなく、不健康なところがないかをチェックする定期健診と同じだと考えていただければ明快になります。これはわれわれの言葉で、専門用語にもなっていますが、デザインクリニックとも言えます。Gマークはサンクションであり、デザインクリニックであるという両面性の中で、Gマークという認証を与える。この認証が褒賞であるから、グッドデザインアワードである。この単純さを改めてもう一回確認していただきたい。応募されるのは、定期健診を受けるという気持ちでも十分な意義があるのではないかと思います。 |
| |
|
| Gマーク事業部: |
ここ数年、特に1998年のグッドデザイン賞事業の民営化以降、従来の枠組みでは捉えきれないボーダレスなものの応募が目立つようになりました。応募される方も幼稚園から大学、研究所、行政、今年初めてNPO、そういった方々が参加されるようになってきたという事実があります。そのような方々から応募いただくものは活動であったりプロジェクトであったり、ある種の試みであったりビジネスモデルであったり、また今年グランプリ候補にもなった社会システムにいたるまで非常に幅広い。応募者がそれをデザインと呼んで、Gマークに参加されている。この事実を川崎委員長はどうように見ていらっしゃいますか。 |
| |
|
| 川崎: |
100人のプロのデザイナーがデザインの定義をすれば、100の定義が生まれてくるという話がありますが、プロ以外の方から、これはデザインですよねと問いかけられると、もう一回、これをデザインととらえているのは何なのだろうと真剣に考えます。僕はいま教える側にいますが、教えると教えられるということが起こります。教育者は、教えているという自負心よりも、教えられているという部分に気づいたときに、教育者としての幸福感みたいなものを感じるのではないかと思います。それと同じように、プロ以外の方から、これだってデザインだと考えておられる、もっとよりよくしていきたいという理想、夢を何で語ろうかというときに、「デザインで語ろう」ということがすごく普及してきたことに、こちらは改めて気づかされるわけです。この気づいたことを審査委員団がもう一回咀嚼し直して、毎年デザインの定義が拡大していけばいくほど、集約して、デザインの核心、デザインの中枢はここにありということをもう一回言わざるをえなくなってくるわけです。
それは具体的にいうと、審査委員に『私の選んだ一品』を書いていただいたところに端的に表れています。あなたは応募されてきたもので何をデザインとして見ますかといったときに、これですよと言えるかどうか、審査委員団が審査されるわけです。つまり、応募されてくるものが審査委員団を審査しているというインタラクティブな関係が、デザインの拡大と同時に起こってきている。これは改めていうと、僕は制度はいつか制度自身が自ら崩壊していけばいいんだと言っていますが、実は崩壊しながら新陳代謝をやっていくという意味で、審査委員の世代交代も含めて、応募してくる側の応募の内容が変わってくる。去年テレビ番組がメディアデザイン賞をとったら、今年はこういう番組はいかがでしょうかというものまで出てきた。そうなると、僕が言っているように、やがては映画も出てくるだろうと予測しています。一方で、当然のごとくコミュニケーション部門にはイベントやコンサートも入ってきたわけです。幼稚園のあり方など、教育姿勢や教育カリキュラムもありましたね。まさしく政治的なポリシーデザインもひっくるめて、デザインが非常に拡大している。拡大していけばいくほど、それをデザインという一つの言葉で押さえようとすると、その核はかなりの質量を持たないといけない。その質量は審査委員になった人の見識、知識が受け止められる重量なのだろうかという問いかけになります。その重量を受け止められる体力としての、審査委員の知識や見識や経験がある種、権威性だといってもいいと思うんです。そこが一番大きなところで、そこで逆にいうと順当なお上、遠山の金さん的なお上がいてほしいんです。審査委員団がそういうものになっていくことによって、逆に応募されてくる内容の進化し発展する拡大が支えられていくはずだと考えています。
いまの時代の中でこれもデザインだと言っていることを、どういうラインで結びつけて、論理としてデザインを語れるか、答えてみなさいということ。いま審査委員になった人たちには、その問題が常に突きつけられている。ここが審査委員団が常に新鮮で、なおかつノーマルで、自分を律していかなければいけない、審査委員の倫理性を保っているところです。これが自浄効果を持っているという意味では、デザインは理想主義ですから、理想的な審査方法、応募方法はずいぶん検討され、収斂されてきた。それだけのことを審査委員の人たちも承認していただいていると思っています。ちょっと自画自賛かもしれませんが。 |
| |
|
| Gマーク事業部: |
拡大するデザイン、その定義を常に考えていくことは一方で非常に重要なことですが、さらに、そこから何をもってグッドと呼ぶのかという問題がその上に被さってきます。今後の拡大を前提とした中で、グッドを見極める際の拠り所はどこに置いていくべきなのか。川崎委員長はどのように考えていますか。 |
| |
|
| 川崎: |
やがてはアワードという見方をどう方向づけていくかということが問われてくるだろうと思います。それは「制度としての認証」と「認証としての制度」という双方向性でアワードをもう一回とらえ直したらどうかと、私は反省も込めて審査講評にも書いたんです。人間には常に新しい問題が覆い被さってきている。これはドストエフスキー的な言い方をすると、人類にとって不幸のパターンは山ほどあってわからない。不幸のパターンを書き尽くそうと思えば、小説は山ほどできる。ところが、幸福というのはワンパターンしかない。世の中は不幸のパターンが常に覆い被さってきて、それに対抗して、われわれは常に幸福になりたいと願う。このバランス関係の中にいるわけです。その中で、われわれはものごとを通して理想や幸福さを語るわけです。
この2年間だけでも、昨年は米国のテロ事件、今年は北朝鮮の拉致問題があった。そこで改めていまの時代を見たときに、デザインの持つ役割は何だろうか。まさに審査の途中で去年と今年、そうした事件に遭遇したわけですが、そういう暗鬱な事件が続く中で自分たちを勇気づけたのは、日常の生活は社会システムであり、空気のようなものであるという意見でした。それはかつて審査委員長をやってこられた先輩方に今年の報告をしたときにも言われたのですが、「空間、場のデザインの時代は終わったのでしょう。これからは空気の時代ですよ。空気というものでデザインをとらえ直してみてはどうか」。先輩に言われたこの言葉は、僕の心に非常に強く残っているんです。その意味でいけば、「気」というものをどこまで制度として応援してあげられるのだろう、どこまで褒賞していくのだろうということを考えていきたい。
話は変わりますが、審査委員の仲間からは、川崎が審査委員長をしていて、何の発言をするかわからない、川崎の発言が不安で怖くていられない。事務局もきっと僕の発言でどきどきされることがあると思うんです。今年私が審査委員に、パワーポイントという決まったソフトウェアでプレゼンするのはやめてほしいと言ったのは、褒賞するという意味合いからいけば、罰するという意味合いからの私の見識での意見だったんです。それで僕はバランスがとれたと思っています。それは何かというと、まず、誰か一人の判断基準で意見を言って、論議を起こすことが重要だと考えているからです。そして、モノあるいは意味を発想していくデザインの手法を、一つの文体、あるいは一つの形式の中に押し込めてもらっては困るんだということを伝えたかった。その押し込められたものの中で語りきれるものは限りがある。プロのデザイナーには、そういう常套手段を用いて語ってほしくない。そういう手段から生まれてきたモノが良いデザインだと呼ばれることはデザインの歴史を見ていても明らかだということを言いたかったわけです。とりわけ、エクセレントデザインと僕が呼んでいる受賞対象には、そういう見せ方をしてほしくなかった。なぜかといえば、エクセレントデザインというのは、未来を引導してくれるモデルケース、プロトタイプだからこそ、そのプレゼンテーションはもっと先々のプレゼンテーションを見せてほしいと願うからです。その意味を込めて、ああいう発言をしたわけです。それは審査委員の仲間からも、なんてことを言うんだと厳しく非難されましたが、それは審査委員長としての義務と権利の果たし方だと思っています。
僕は次の年度で自分の時代の決着をつけるわけですが、今度は50周年に向けたときに、初めて21世紀のデザインはこうあらねばならないという理念と目標、目的、方針、新たにGマークはこういう方向だということを示していく。いまこれだけいろいろなことがある中で、もっと質量のある、重い見識と知識が示せるようにしていく準備、それを支えられる審査委員団をつくっていくということを考えたい。審査委員団は相当のエネルギーを使うので、次の若い世代にバトンタッチをするためには、応募される物事のセレクションと同時に、次の審査委員をセレクションして私の委員長時代を終えることが、来年度の目標ではないかと思っています。
|
| |
|
| Gマーク事業部: |
本日はとても良い話が聞けました。
お忙しいところ大変ありがとうございました。 |
| |
|
| |
(2002年12月13日 名古屋市立大学芸術工学部にて収録) |
| |
|
| |
●川崎 和男
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 教授
大阪大学大学院 阪大フロティア研究機構 特任教授
2002年度グッドデザイン賞 審査委員長
●聞き手:財団法人日本産業デザイン振興会 Gマーク事業部
|
| |
|
| |
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
| |
|