川崎和男 対談バックナンバー

KAZUO'S VOICE
 


今回は審査委員長2年目となる川崎和男氏に、今年のグッドデザイン賞の総括的なお話や将来への展望に関して、Gマーク事業部がお話をうかがいました。(編集部)

川崎和男 川崎 和男

名古屋市立大学 
大学院 教授
2002年度 
グッドデザイン賞 
審査委員長

Gマーク事業部: 今年で46回目となるグッドデザイン賞はお陰さまでとてもレベルの高い審査結果が得られました。本日は審査委員長2年目となる今年のグッドデザイン賞の総括的なお話や将来への展望に関して、通常の対談形式ではなく事務局から問いを発していくQ&A的なかたちでお話をうかがっていきたいと思います。

まずは、先だってグランプリが札幌市のモエレ沼公園に決まりましたので、そこから始めさせていただきたいと思います。ついこの間、私たち事務局も現地を視察してきたのですが、その中で感じたのは、行政側の方々のデザインのとらえ方、その認識がここ数年で変わったのではないかということです。現地でいろいろなお話をうかがって、行政におけるデザインの価値がとても変わったことに驚きました。そういったことも投票によってモエレ沼が今年のグランプリに選ばれた一つの理由なのかと思います。そこで、個別の評価ということではなく、モエレ沼が受賞者と審査委員の投票によってグランプリに選ばれた、その意味合いをどのように捉えられているのかということをお聞かせください。
   
川崎: 僕は伝統あるGマーク制度で45回目から審査委員長をやらせていただいています。中西元男・前委員長の時代には「Good Design is Good Business.」というテーマで民営化をスタートされました。これはデザインをビジネスとしてGマークとの接点を繋ごうという動きがありました。これはバブル以降の日本の置かれている状況で、貿易立国である日本が生き抜いていくためには、当然インダストリアルデザインという領域が頑張らなければいけない。デザインをビジネスとしてとらえないと制度が運営できないだろうということが必然であって、それは僕としては大賛成でした。しかし、世の中はどんどん変わってきているし、デザインという言葉が一般の方の間にも広がってきた。そいういう状況を踏まえ、僕が審査委員長になったときに、プロのまなざしとユーザーのまなざしで見つめるということを言ったわけです。デザイナーであってもユーザーであるし、ユーザーの中では、デザイナーはプロであるという複眼の発想から改めてGマークを見直そうということです。

同時に、デザインが対象とする領域が非常に拡大してきています。2001年度は「せんだいメディアテーク」がグランプリに選ばれました。これは新世紀における新しい公民館を提示したものであり、単純に建築のデザインの見地から評価したわけではなく、地方に存在する、市民が集う公共施設というかたちでデザインされているものとして評価したわけです。われわれは、デザインとしての統合的な視点から審査した結果として公共施設を選んだわけです。ところが今年も自治体が関わった「モエレ沼公園」が大賞に選ばれましたが、この評価は「せんだいメディアテーク」と同様であるといえます。

2年連続で地方の自治体の公共施設が大賞を受賞したという事実は、実は反面では、日本のプロダクトデザイン、インダストリアルデザインが力を失ってきていることを表しているように感じます。また、それと同時に、デザインの意味の拡大をどう読み取るかというときに、たとえば長野県における脱ダム宣言のように、税金がいかに自分たちに還元されてくるかというものの見方が出てくる。消費者、市民、ユーザーが一人一人の人間の生き方として全部総合化されたときに、納税者という視点が加わり、納税者がユーザーになること、納税者が消費者になることによって、公共施設にもデザインがいかに大事であるかということを表しているように思います。

今年のグランプリの決め方は従来のようなやり方ではなく、「ウィナーズリレーションシップマネジメント」という言い方をしましたが、Gマークを受賞した方々に改めてグランプリの審査委員になっていただくという初めての手法を試みました。そうなったときに、同じデジタルカメラをつくっているデザイナーが、市場での競争相手に票を入れるかという話になれば、入れづらい部分があるかもしれない。うがった見方をすれば、だから公共施設になったという見方もできます。しかし、そうした人間のおどろおどろしいところは差し引いて考えたときに、一つはちょっとおこがましい言い方ですが、日本の消費者がかなり賢くなってきたということが言えるのではないか。一人の人間としての社会に対するかかわり方が、ユーザーである場合、消費者である場合、購入者である場合、市民である場合、つくり手である場合、そういうものを個人の中で整理できる時代に入ってきたと言えるのではないでしょうか。

そういうことから考えれば、人間、つまり住民としての意識が変わっている。情報化社会というのは意識社会です。かつてポストインダストリアルソサエティ(脱工業化社会)という言葉は、日本ではアメリカ流の解釈をされていましたが、ヨーロッパでは、次に来るものは情報革命ではなく意識革命という言葉を使っていて、コンシャスネスとナレッジメントという言葉で情報革命を語っていた。それでいけば、市民、納税者、ユーザーのナレッジメント(知恵)が、コンシャスネス(意識)を変える。自分たちだけのことではなく、みんなが共生していける世の中、土地で生きていくわけですから、「その土地(とち)に何が場(ば)」として形成されるかということです。言ってみればモエレ沼の場合、グッドデザインとは何かということではなく、ああいう土地=とち(:かたち)にああいう場=ば(:ことば)ができたことがグッドデザインだという選び方が象徴的だったろうと解釈しています。

モエレ沼公園は、まず大きな問題であるゴミの埋立地であったところを再開発しようという意気込みがあるわけです。そこで自分たちの住んでいる環境と自然との調和を図る、あるいは家族の癒しを図る場をつくりあげる。その場、土地は、形と非常に結びついている。「きもち、かたち、いのち」という言い方を私はしていますが、土地に場をデザインしていく。その場が何だといったときに、イサム・ノグチさんという偉大なアーティストの提案をデザインとして受け止めて、設計し直している。つまり建築が建物を建てるという解決法ではない、クロスオーバーしたかたちの新鮮さがある。そこが共感を得たのではないか。それを引き受けた行政としては、行政なりの長く深い葛藤がかなりあっただろうと思います。

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