川崎和男 対談バックナンバー

KAZUO'S VOICE
 

川崎: 用語として「環境」という言葉が適切であるかどうかは、僕も迷っています。いま建築は建築デザインといっているし、環境デザインという言い方もやたら増えています。しかし、では環境デザイナーをどう育成するのかといったときに、環境デザインについてまだ誰も語り切れていないということが明らかになるんです。これをもって環境デザインというんだという言い方ができていない。同時に、下手をすると名所旧跡、観光地で、「環境デザインをやりました」といっても、あたかも木のようなコンクリートの偽木でやたらと取り囲んで、妙ちくりんな展望台があったりして、どう見てもこれはデザインとは呼べないものが現実にできあがってしまっている。学生たちの卒業制作でも、どこかの景勝地を取り上げて、そこに変な展望台を建てることが環境デザインであるというような軽薄さが出てきている。

建設省にも環境デザインみたいな言葉はないだろうと思います。内藤さんも、土木の人たちにデザインの話をするのは非常に困難だとおっしゃっていましたね。僕もデザイナーになって30年になりますが、いまだにデザインを伝道しなければいけないところがあるわけです。そこらを考えると、「ランドスケープ」は言葉としてはすんなりくるんですね。環境といったときには、輪を書いて境目があります、ここまで輪を書きましたという範囲の話になると思うんです。

建築家が建物を建てるときには、必ず周辺をご覧になっているでしょう。でも、建ち上がってしまうと、周辺とものすごく違和感があるものが建築の賞をもらっていたりすることがありますよね。マンションなどでも、揃って建つようなところでは、デベロッパーは違っても話し合いをして、同じ外壁にすればきれいなのにと思ってしまいます。僕らの世界でいうと、ストリートファニチャーという言葉があって、ゴミ箱やベンチ、バス停などですから全部工業生産的につくるものですから、インダストリアルデザインとしてやるわけです。でも、それを置いていいのかという話にはそもそも関わることができない。これらが相互に関連せず無秩序に配置されて言っていることは、いまのカーナビゲーションシステムでよくわかるんです。表示される町にはコンビニと銀行とガソリンスタンドしか出てこない。これらが全部企業のアイデンティティで一緒だから、どこへ行ってもランドスケープは変わらない。日本はすごく貧しいと思います。

ここが決めどころで、そのあたりを果敢に、それこそ看板一つの問題から建築の問題までを捉えていく。色彩学でいうと、町を航空写真で撮ったら色だけで文化水準がわかるみたいなところがあるでしょう。そこらまでひっくるめると、建築はアーキテクト、土木はシビルエンジニアリングですが、デザイン、アーキテクチャ、シビルエンジニアリングという全体が、環境学でインテグレートできるのか。そのあたりを突っ込んでいただきたいと思うんです。
   
内藤: 近隣公園をつくるのは造園系の人、橋は土木系の人がやるというふうに、ランドスケープといっても、都市計画系の人がやるランドスケープ、造園系の人がやるものもランドスケープといい、土木の景観デザインもランドスケープといって、いくつも分かれているわけです。。それ自体、おかしな話ですが、どうしてかというと行政の縦割りの延長で分かれているわけです。しかし、行政の縦割り区分で人が幸せになれるかということがいま問題で、人間にとってハッピーかどうかということから逆算して、制度を見直さなければいけないところにいるのだと思います。

いまはいろいろな分野を横断していくことがどうしても必要ですし、そういう活動を積極的に評価していくシステムがあってもいいと思うんです。その場所に立つ人間のことを思い浮かべて努力して、コーディネートしたり横断していったりすることによって、いいデザインが生まれた場合は、それをほめていく。それはGマークでできることだと思います。ほめられて嫌な思いをする人はいないわけですし、人はほめられて育っていく。建築にはそういう機会が多くあるのですが、土木系、外のものはまだ少ないので、それをやっていきたいんです。将来、この分野は非常に伸びると思います。当然、部品開発なども出てくるだろうし、Gマークで扱っておかしいことは何もない。Gマークは常に新しい分野を開拓するというか、どちらかというと流動的な今のあり方もダイナミックで面白いと思います。○○学会賞とか、学会があると対象や評価方法が固まってしまうんですが、Gマークはそういうものに縛られず自由に評価していこう。あるものはストリートファニチャーを評価し、あるものは街路を評価し、あるものはランドスケープを評価する。そういう仕組みで、ともかくほめてこの分野の人材を育てていくことが必要なのだと思います。
   
川崎: デザインというのは、明日をよくしたい、少しでもいい生活にしたいということが、基本原則としてあるわけです。ところが、1970年のローマ会議で明らかにされたように、地球を環境としてとらえた場合に、われわれの地球が窒息状態で死にかかっている。その中で行政とすれば、まちづくり、都市計画、あるいは道路を凍結するというように、基盤になるものをつくりあげていく原資が枯渇している。そこで、知恵を出して環境をまとめていかざるをえない面があると思います。そういう部分に関していうと、無駄な面が多く出ているであろう行政の縦割りの分業化に対して、環境デザインというのはトータルなデザインディレクションであり、マネジメントであり、プロデュースとして立ち向かうことができるはずです。
   
内藤: いま地方大学で土木学科というネーミングだと人が集まらないから、環境という名前に変えるパターンが多いんです。実際にはシビルエンジニアリングをやっているので、本質は変わらないけど看板だけ変わっているみたいなところがある。「環境」という言葉は今、ちょっと免罪符的に使われていますね。一時流行った「人にやさしい」と同じで、実際には人にやさしくないんだけど、「人にやさしい」とついていると「ああ、そうなのか」となんとなく納得してしまっている。環境という言葉が世の中の退潮傾向とよく符合するんです。みんな何となく疲れてしまって、エコとか環境とつくといいかなと思ってしまう風潮がある。でも僕は世の中はもっとシリアスになっていると思いますから、何かいい言葉が必要ですね。
   
川崎: とりあえず環境デザインという言葉を使いますが、日本における環境デザインの定義性のキーワードが、審査の中で何か発見できましたか。
   
内藤: 今年はまだ、何を評価するかといっても母数が少ない。ただ、少しずつ明解になっているのは、良いものは必ず縦割りを横断して実現されているということです。たとえばある「通り」が応募されていますが、これをやるにも街路、道路、周りの区画といういくつかのコーディネーションになっていて、行政をわたっていくものが必要です。そういうことが行われていることによって、新しい環境といい関係が生まれる。これから必要なのは、行政の壁をどうやって破っていくかということです。それも徹底的に人間の立場に立って、そこからもう一度行政機構を見直し、不具合のあるところを超えていって、そこにいたら何となく気持ちがいい、息ができるという場所が生まれていることかなと思います。数が少ないので何とも言えませんが、そこそこやれている。これは審査の最後まで残っていくかなというものには、そういう側面があるように感じています。
   
川崎: 今年のGマークで、環境デザインとして選ぶものはこれだよ、こういうものを参考にしなよというものを提示できるかもしれない。世紀的な考え方でいうと、1910年ぐらいからデザインが活気づいたように、2010年あたりから走り出すために、いまは助走の段階です。そこで環境という言葉をキーワードとして周辺の言葉をいっぱい集めてきておいて、僕らの世代が、もう仮説ではない、これが定義だと言えるものを次に世代に手渡す。それは問題提起でもあるから、次の世代がそれをぶっ壊してくれてもいいし、賛成してくれてもいい。それが役割ではないかという気がします。
   
内藤: 日本の人口統計を見ると、いまがピークです。今後は現象傾向になって、100年後には人口が半分になる。つまり6000万人ぐらいの人口になります。その過程で、ある人の都市モデルによると、少なくともあと30年ぐらいで発展期にスプロールしていったエリアを面的に支えられなくなる。そうなったときに、上下水道から道路から全部を含め、日本全体の環境の話を全部リ・モデリングしなければいけない。江戸から明治に移行したときの人口が3000万人ぐらいですから、6000万人というと、現在よりはむしろ、それに近い数字になるわけです。そうすると、インフラがもたないから人口が都市部に集中する。都市のリ・モデリングの話と、山野のリ・モデリングの話が同時に起きてくるんですね。それはこの10年、20年で顕在化してくる話だと思います。それに対して日本人がビジョンを持てるかどうか、市民、一般の人の合意をつくれるかどうか、それがものすごく大きなテーマとしてあります。この合意をつくるときには、システム的な話や技術論だけでは押し切れないはずです。こんなにきれいだったらということで、美しさが伴うことによって合意できる。システムの話と合わせてデザインの話が必ず出てくると思います。

その時期は実は非常に近いんです。われわれが生きるのはあと10年か20年だけど、いまの学生たちはあと50年ぐらい生きるわけですから、自分たちの問題としてもっと考えていかなければいけないということです。これからの議論で一番大きいところはそこなのかなという気がします。

先ほどから環境デザインの話として諸分野の融合に触れてきましたが、一方では新しいビジョンに対して何かテーゼを出していけるようなことになっていくといいと思っています。Gマークでは、小さいものから大きいところまでを連続的に評価していく。その中で一番危ないのは建築です。建築というのははっきり確立しすぎた分野であるがゆえに、一番溶けていきにくい。それは必ずしもよいことだとは思わなくて、本当は建築家もそういう連続性の中に乗ってほしいんです。でも、建築家たちが何をやっているかというと、自分の建物を作品化することに血道を上げているわけです。周りは関係ない、ともかくきれいな写真を撮りたい。そんな話は、閉じられたサークルの中ではいいけれども、リ・モデリングの話のように世の中がダイナミックに変わるときには、置き去りにされる可能性もある。私は、そのことは建築界に向かって言っています。わかっている人もいると思いますけどね。これからものすごいことが起きて来る。非常にダイナミックな、私らが知らないような時代がやってくるんだよということは言っています。どうするんだという話です。
   
川崎: 僕はずっとIDで製品設計をやってきて、人間の体の外ばかりやってきたわけですが、結局行き着いたのは人間の内側だということで、人工臓器みたいなことをデザイナーとして言いだしたわけです。機械工学でいうと、いまナノテクノロジーというと文部省が金を出す。人間という一つの環境の中でナノという単位の世界、赤血球ぐらいの大きさのものを体内に注入しておいて、近赤外線を外側から当ててやると、突然そこから紫外線レーザーになって手術ができてしまうみたいなことが、技術的には始まっています。そういうことが始まっている時代に、住んでいる家はそれこそ床があって、壁があって、天井がある。車はまだ道路がないと走れない。高速道路一つ取ってみても、取り締まりは警察庁がやっていて、つくるのは建設省、道路一本をいろいろな省庁が管理しています。そういう諸々を俯瞰してみたときに、果たして人間にとって快適な環境になっているのかというのは大きな問題だと思います。

先ほどそういう話をしていたときに「うれしい環境」という言葉があるなと思ったんです。楽しい環境、うれしい環境、使いやすいということでいけば、心地よい環境かな。審査ユニットを分けたことを契機に、内藤さん自身がやってこられた、シビルエンジニアリングから環境、それを超えたものの見方、そのあたりで審査基準を構築していただく上で今のような言葉がキーワードになると思います。僕は今回、美しいということを語らなければいけないと言っています。美しいという言葉を取り囲む言葉としては、きれい、清らか、うれしい、楽しい、かっこいいなどがあると思いますが、デザインの良さを考えいていくときに避けて通れない言葉だと思うんです。うれしい環境を考えていく上でも同様ですね。
   
内藤: いずれにせよ、環境という言葉以外で、何か言葉をつくらなければいけないのは確かです。環境というと、いま私の部門にいわれているのは、エコはどうなのか、内部環境はどうしてくれるのという話があるし、空気にまつわることは環境に入れてくれないみたいな話もあったりします。そうなると全部横断していくから、どうしたらいいのだろうか。たまたま今回の応募は、アーバンランドスケープが集まっていてわかりやすいけど、どこかできちんと定義して、ここからここまでとある程度決めていかなければいけないという気はします。
審査の場で、「環境」に代わる言葉を探しているんですが難しいですね。ランドスケープという言葉にしても、日本人が捉えている意味と本来のニュアンスはもう少し違うかもしれない。
   
川崎: 景色という言葉がありますね。昔『日本風景論』を書いた人がいますが、景色という中には光景と風景と情景があって、1989年の世界デザイン会議のとき、「風景」という言葉が使われたので、僕はいちゃもんをつけたことがあるんです。光景というのは、中国の思想史的には光と闇だけのことです。文学的にも生と死しか出てこない場合、悲惨な光景といって、悲惨な風景とはいわない。風景というのは、彗星が飛ぶ、雷がなる、日食が起こる、洪水が起こるといった気候条件です。情景というのは、すべてそこに人間が登場してきたときです。風景は自然であり、情景になって初めて人間が登場する。僕がいまぼんやりと思っているのは、ランドスケープは景観と訳すでしょう。景観の景はかげという意味になってしまうので、人間が自然界に及ぼした影響みたいなものです。環境も何となくそういう感じでしか見えていない。

先ほどおっしゃった都市のリモデリングと山野のリモデリングですが、日本の第1次産業でとんでもない行政をやってしまった結果が林業です。僕らの世界に影響を及ぼすのは、間伐材の利用で何とかしてくれ、これだけ木が余っているから何かつくってくれみたいな話が常に巻き起こってきます。そんな木を使ったところで何になるのというところがあります。逆に紙はバカスカ使って、森林破壊をやっている。また、非常に便利がいいので杉の木をいっぱい植えてしまった。それが春になると都会に吹いてきて、みんなの粘膜を痛めて、花粉症になってしまう。人工と自然、人工環境と自然環境ということでは、自然環境というとすぐ保全ということになる。
   
内藤: 保全なんてほとんどありえないですね。われわれの見ているもののほとんど、山も木も人工物です。かなりラジカルに考え方を変えないといけない。私から言わせると山はどうしようもない。あれは戦後植林に補助金が出て、みんなが植えたわけです。その結果、急峻な山の崖みたいなところにまで植林して現在に至っている。これを変えなければいけないけれども、間伐しろといっても誰がやるのという感じです。京都議定書で、日本は二酸化炭素削減目標に、森林面積と木材利用が補完的な措置として入ります。私が聞いているのでは、20万立方メートルの木材使用量を、短期間のうちに25万立方メートルに増やさなければいけない。かなり無理して山を切っていかなければいけない。

いま川崎さんが言われた間伐材利用も、無理無理に使っていくようなところもあるわけです。しかし片方で、われわれが建物を建てるときにベニヤ板を使いますが、あれは南洋材を接着剤で張り合わせたものです。本当にそれでいいのか。あんなものは禁止したらどうか。そうすれば建物の値段は上がりますが、間伐材がはけるわけです。そういうことも含めて、エンドユーザーのニーズのコンテンツを変えていかないといけない。まさにGマークアイテムでもあるわけですね。私たちのセクションで扱うものかどうかはわからないけど、製品のところでそういうことがあれば、それは間接的に山野のリモデリングにつながってくるという話はあると思います。
   
川崎: 今年はともかく「うれしい環境」の定義づけが目標ですね。最後になりますが、Gマークに対する期待ですとか、こうなると良いという部分がありましたらお願いいたします。
   
内藤: 大野美代子さんの橋が以前Gマークを受賞していましたので、そういう応募がもっとたくさんあるかと思ったら意外と少ないですね。ああいうものも含めて応募があるといいかなとは思います。公園計画もありませんし、そういうものを受け止めるところは、Gマークの他にはないですよね。今年の受賞を見て、来年の応募の広がりが決まってくるところがあると思います。

ただ、どこに問題の所在があるかは、わかっているんです。たとえば建築だったら著作権が建築家に帰属しているので、勝手に応募できる。たとえば私がAさんの家をデザインしたとして、Aさんの許可がなくてもGマークに応募できます。ところが、土木や都市計画の場合は、著作権がどこにあるのか、確たるところがない。デザイナーが応募したいと思っても、クライアントやいくつものシステムが重層化しているという、曖昧な体制があります。それはブレークスルーしていかなければいけない部分だと思っています。
   
川崎: 環境デザインの知財権の問題というのも、この制度の大きなテーマとなる。今回Gマークの中で知財を日本デザイン保護協会に寄託をすることになりましたよね。そのときに何かのかたちで環境デザインがブレークスルーできれば、ものすごいことなんです。これがうまく回っていくと、環境デザインはこの人、それこそ建築家であれ、それを統括したディレクターがすべて采配して、そのもとに造園家も都市計画家も活動することになる。
   
内藤: 何年かやっていくうちにちょっとした既成事実が積まれて、そいつに対して、そうではないという抵抗勢力が顔を出したとき、きちんとディフェンスができるかどうか。そういう流れかなという気はしています。
   
川崎: すると、言葉は別としても環境デザインの審査ユニットをつくったことは、制度として大正解だったといえます。本日は1次審査中にお時間をいただき、どうもありがとうございました。
  (2002年7月3日 渋谷区のこどもの城・会議室にて収録)
   
●内藤 廣
建築家/内藤廣建築設計事務所 代表

●川崎 和男
名古屋市立大学 教授
2002年度グッドデザイン賞審査委員長
   
内藤廣氏のプロフィール紹介:
http://www.g-mark.org/award/howto/23iin/63.html