| 長谷川: |
GL21は、岐阜県の美濃焼の産地で、原料や食器製造、流通に関わる企業有志と試験研究機関など当初は9社、9人が集い、やきものの原料である「土」の有効活用や環境にやさしい器づくりに取り組むグループとして1997年に結成されました。昨年のグッドデザイン賞でエコロジーデザイン賞を受賞した「Re-食器」は、結成以来5年にわたる成果のひとつと言えます。
Re-食器のReはreproductionという意味があります。陶磁器の世界で、生産して使ってもらって廃棄するという一方通行だった従来の過程に、「戻す」ループをどう組み込んでいくかを試みた最初の商品であると思います。すなわち、生産、流通、販売、廃棄というプロセスの後に、回収、再資源化という「戻す」という概念を取り入れることで、資源循環のループをつくろうということです。「戻す」ループをどう築くのか。どういうかたちで戻していくのか。ここが最大の課題でした。たとえば生産過程で出た食器のクズを白色ペイントや壁材に使ったとしても、それでは廃棄される時期を先延ばしにしただけで、本質的には廃棄するのと大差ない。やはり廃棄されたものが循環されて再び同じ食器になるという部分が非常に大きなポイントになりました。
エコロジーをテーマとした場合、一方で「戻す」ということが環境負荷の点でどうなのかも大切になります。「戻す」ことで、環境負荷が増えるのであれば、実施する価値がまったくありませんからね。ですから、バージン原料を使って食器を生産する場合、そして戻すというループの中で再度生産する場合、二酸化炭素の排出量から、環境負荷はどうなのかをまず比較しました。商品開発の第一段階として、これに取りかかっていきました。結果的には、いずれもほぼ同じなんです。同じ環境負荷でリプロダクションできる素材ということが、エコマテリアルとしての評価を得たところもあります。その中に、佐藤先生がやっておられるエコデザインの概念を入れていくと、総合的な環境負荷をさらに少なくてできる。そのへんが今回のもう一つのポイントになっていたと思います。
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| 佐藤: |
小売店の店頭で集めてもらったり、家庭で廃棄されたもの、生産過程での不良品を回収して、非常に細かく粉砕して再生原料として利用します。これをバージン陶土と混ぜて、再び食器の素材とするわけですが、当初はそれをどのくらいの割合にするかという点で試行錯誤を繰り返しました。最初はどうせなら思い切り混ぜてみようということで、バージン原料が50%、粉砕したものが50%の素材で試作してみました。ところが、この割合だと、成形性が低いせいか、ひびが入ったり、食器の底がポコンと抜け落ちたりしてしまい、非常に生産性が悪かった。
そこで、改めてメーカーさんや流通さんの現場の話を聞きますと、本当に循環させるという面から考えれば、出荷した量がすべて戻ってくるわけはないのだから50%というのは現実的ではないということになりました。現実的に考れば、極端な話5%でもいい。割合としては低い数字ですが、5%でもそれができるならすばらしいことじゃないかというので、再生原料が5%から50%の間の割合の素材で試作を進めました。皆さん特殊な素材だから難しい面があるのではないかと思われるようですが、20%ぐらいの割合であれば、素材の特性はバージン陶土とほとんど変りません。
プロダクトデザイナーとしての見地から造形の面を考えると、材料の特性が思い切り変わってくれれば、自ずと新しい形が生まれてくるものだと思うのですが、20%や10%の割合のバージン陶土とほとんど変わらない特性を持っている材料から、果たして新しい形を生み出せるのか、そもそも新しい形にするべきなのか、という悩みはありました。リサイクル素材だから、地球にやさしい形や色を表現するとしても、果たしてそれは何なのだろうというところが、デザインする立場からすると当初から非常に悩んできたところです。これはおかしな悩みで、これしかできないというならそれでできますが、バージン陶土とほとんど変わらないのに、なおかつ訴求力のある、こういういいものができたということを表現するためのデザインとは何だろうかと、そのへんはずいぶん悩みました。 |
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| 長谷川: |
バージン陶土と再生原料の割合は今も続けて研究されていますし、今では70%でも実現できます。しかし、たとえそれができたとしても、はたして現状の美濃焼産地が持っている生産ラインにうまく適合するかどうかが問題になってきます。この再生原料の比率を上げていったときに出てくる問題の一つとして、成形性が落ちるということが挙げられるんです。従来の生産ラインに乗らないものからスタートしても、非常に限定された世界になってしまいかねない。また、「戻す」ループを取り入れたサイクルの中で、一番効率が悪いのは粉砕の工程です。長石や珪石や粘土も粉砕していますが、硬いものを粉砕するわけですから、粉砕コストがずいぶんかかりますし、当然エネルギーも消費されます。この辺りのトレードオフの関係にある要件をどういうふうにバランスを取りながらやっていくか。美濃焼産地が現在持っている生産ライン、設備を替えなくてもできる配合率は何%か。もう一つは、製造の工程の中で不良品として発生している率が何%であるかを考えました。誰でもこの活動に参加できて、環境負荷も抑えられて、コストも抑えられて、そして製造段階の不良品発生率を考えて、だいたい20%という線に落ち着いたわけです。これは50%から見たら低い数字ですが、産地のつくり手がみんな参加しないと成立しない性格のもので、まずそこから出発しようということです。現在は30%を研究しています。30%から40%、50%と上がってくる予定ですが、現在分かっているのは50%になると成形性が限られ、また増加する環境負荷をいかに抑え、環境効率を上げるかが課題になります。これはグリーンプロダクトの一つの技術開発だと思います。
それを繰り返すことによって、エコスタイルを持った食器の新しいデザインがどういうものかがおのずと決まってくると思います。つまり、つくる段階では、つくりやすく、不良品が発生しにくく、使う段階では、持ちやすく、水洗いがしやすくて、汚れが落としやすい、乾燥しやすいということを考えると、本当にプレーンな形しかないんです。ろくろ成形が一番効率がいいですし、使う際にも形状が丸ければ洗いやすいし、乾燥機に入れやすい。そう考えると、従来型の美しい形を追求するデザインでいけるかどうかという問題があります。ごくごく当たり前の形状で、なおかつデザイナーの力量を発揮しなければいけないというところが、佐藤さんは難しかったと思います。 |
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| 佐藤: |
リサイクルというテーマに取り組んだデザイナーは大勢いらっしゃると思いますが、それらを拝見していて気になっていたのは、シンボリックにそれを表現するとか、一品生産的に作家的に楽しいものをつくって終わってしまうということが多いように私には思えたんです。個人的にそれがどうも気に入らない。リサイクルを本当に真剣に考えれば、量産したものだったらまた量産で戻してあげるべきです。そいういう思いが強かったものですから、長谷川さんとは最初から量産を前提に考えていました。量産を前提にすると、製造工程で既存設備を使うしかない。まずそこからスタートした点が、ほかのリサイクルのパイロットデザインとはちょっと違うところだと思います。 |
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| 川崎: |
僕も接頭語に「エコ」が付いたら、まず、眉に唾します。リサイクルといっても、「それはゴミの形を変えただけじゃないか」というモノが確かに目につきますからね。そうではなく、モノの循環、つまり、製造・販売・消費・廃棄・回収をどうつくっていくかということに真剣に取り組む必要があるわけです。Re-食器が評価されたのは、素材の循環性が現実レベルに無理なく構造化されていることと、社会でモノがどう循環していくかということと、素材がどう循環していくかということの間に、生産がどうなのか、流通がどうなのか、ということがきちんと考えられ問題が解決されていることだと思います。
もう一つは、僕はグッドデザイン賞の審査委員に対して、プロの視点とユーザーの視点ということを強く言いました。それはどういうことかというと、いまユーザーの意見を聞いてつくったものが絶対の正義であるという雰囲気があることに対して、僕はちょっと疑問があります。たとえば、陶磁器という言い方をしますが、陶器とは何、磁器とは何なのかを一般のユーザーに聞いても答えらる人は少ないと思うんです。陶磁器の歴史はそれこそ土器から始り、現在に至るまでずっと続いていて、それだけ身近なモノにもかかわらず、普段使いのお茶碗一つ見ても、これが磁器なのか陶器なのかと判別することができないのが現実だと思います。そういう基礎的な部分やそれに続くモノの知識の連続性が欠落したまま、ある種、民芸的や文学的な感覚で器が扱われてしまったりしていますよね。たとえば、和のもてなし、というテーマが婦人雑誌に出てきたりします。そうした器の所有感覚や使用感覚に対して、プロの視点をわかりやすくユーザーに伝えていくことで、モノのよさや価値を改めて再確認して見直してもらうことが必要だと考えているんです。
さらに、従来の陶磁器で非常に問題なのは、自然素材を使っていながら、実は絶対土には戻らないという面だと思います。土には戻らないからこそ、古代の文明が見えるわけです。つい最近、名古屋でポンペイ展があって、取材も兼ねて見に行きました。ポンペイという町は西暦79年に、火山の爆発被災で滅亡していますが、その当時の生活道具であった土器やガラスの形は、今とあまり変わらないモノです。しかも、ある意味で非常にモダンデザインでした。非常に長い時間を経ているのにも関わらず、そういうことが読みとれるくらいに陶器などは残ってしまうわけです。そういうことから考えていくと、Re-食器の生産の工程、素材の工程のほかに、われわれがもう一つ非常に注目した点は、社会システムである流通をものづくりの段階から見直したデザインになっていることです。モノづくりの段階では、普通はどうつくろうかという発想しかしませんよね。特に、伝統的なモノづくりは、デザインが製品になって、「はい、できました」といって、展覧会か商品デビューをやって終わってしまうということは、デザインや製造に関わる人が、1970年代からずっとやってきているわけです。それで喜んでいるだけです。見る側は、そういうプロらしきグループがやったことなんだとしか受け取らない。プロとユーザーの間に大きな溝、断絶があるわけです。Re-食器の提案はまったく違っています。それはユニークというと語弊があって、僕はユニークではなくベーシックな活動成果だと思います。 |
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| 佐藤: |
基本的にスタンスはそうでなくてはいけないんですね。最初にプロジェクトに呼ばれたときに、メーカーだけでなく、流通、材料メーカー、官といろいろな人が入っていました。僕がおもしろいなと思ったのは、「どういうモノをつくろうか」ではなく、「どう戻すのか」という話が、そこでの議論の中心だったことです。長谷川さんが意図的にそういうメンバーを集めたということもあるでしょう。もうひとつ面白かったのは、循環のシステムをきっちりと作り上げれば、食器の消費が刺激されるのではないかという意見でしたね。家庭の中に食器は捨てるほどあって、もう飽和状態といってもいい。なかなか買い換えは起こらない。ところが、循環のシステムが完備されれば、消費が促され、そうなるとメーカーさんは新しいモノを売り出すことができる。そういう発想がメーカーさんからも出ていました。 |
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| 長谷川: |
戻すことができなければ、このプロジェクトは成り立たないということが大前提としてありましたしね。ユーザー参加型といえばユーザー参加型で、非常にその重みが大きい。というよりも、参加していただかないとわれわれの仕事が成り立たないんですよ。ダイレクトにそういう世界です。ユーザーさんが参加することによって、われわれの仕事が成り立つ。そうであれば、そこにかかわっているショップさんも自分のところの形態を変えていかないといけない。戻すループは一つの流通であると思うんですが、これによって、流通形態もずいぶん変わるのではないかという目論みもありました。実際そういう改革がいま進みつつある。
例を申し上げますと、従来なら使われて廃棄されたものは、収集運搬業者さん、中間処理業者さん、つまり県知事の許可証を持った方が処理されるわけです。プロジェクトにはその方たちに参加していただかないと、いわば「静脈系」のループが完成しません。関西のある町では、いまは陶磁器が循環できることがわかったので、その人たちは湾の埋立地で処分するのではなく、美濃焼産地に持ってきてどう処分するかを考え始めています。排出されるゴミの処理は市の負担になりますので、自然界に埋め立てる場合と、多治見に持ってきてリサイクルした場合、市にとって費用がどのくらいかかるのかを比較しています。遠方であればあるほど、運搬費が増え埋め立て処分の費用は高くなりますが、いまの概算では、半分近くまで経費が削減できるようです。
そうすると、静脈系の主導権を取っていた人たちが、われわれのところで再製品化して、再製品化したものをもう一度その町に返して、町づくりとかグリーン調達といったところで何か試みができないかと考えだします。静脈系の人たちが、「動脈系」の物流を始めようとしているんです。そうなってきますと、従来の一方通行の流通だけでは成り立たない。一方通行のところにいた、業務関係の問屋さんなどが、うちも産業廃棄物の資格を取らなくてはいけないという発想になってきます。
ですから、静脈系と動脈系の間で、流通の改革が始まらざるをえない。そうしないとこれが完成しないというところにきています。実際に関西のあるデパートでは、静脈系の廃棄物処理業者さんが、われわれが再製品化したものを販売し始めています。そのために再資源化する別会社をつくるとか、そのためのベンチャー化も始めつつあります。非常におもしろい現象だなと思います。 |
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| 佐藤: |
こういうことをきっかけにして、ずいぶん広がりが出てきました。もう一つは、いわゆるリサイクルというのは、普通は別のものに変わってしまうんです。同じ紙でも違う用途に変わってしまう。それが今回は食器がそのまま食器に戻る、本当にループが成立しているという面で、画期的だという気がします。普通はタイルやレンガに変わってしまうんです。
開発していく中で心配だったのは、イメージ的な問題で、いわばゴミを原料として食器を作っていいものかという議論があったんです。1200度、1300度という高温で焼いているから、まったく問題はないのですが、ひょっとしてそういうイメージがないだろうかと。私は一時なんですが、これを非常に心配していました。そこで、主婦の方や独身の若い女性などイメージに敏感な人たちを集めてヒアリングを何回かやり、そのあとこれも長谷川さんの発案でインターネットを使って本格的に調査してみました。リサイクルした食器に対するイメージとか、食器に対する思いとか、食器に対してこうあってほしいということを、いろいろな角度から調査してもらったんです。結果として、私が心配していたような抵抗感はないことがはっきりと出ました。僕もずいぶん悩んでいた時期にそれをやってもらったものですから、大変助かりました。
4〜5年やっていると、どういう方向に向かうか、ああでもない、こうでもないとふらふらと揺れ動いてしまいます。プロジェクトの中でも様々な意見が出て、それでいろいろなことを試していましたが、その調査によって、本当にシンプルでいいんだという確信が持てた。それまでは本当に悩みっぱなしだったんです。再生した陶土を混ぜたものでつくるのだから、それにふさわしい形・色でなければつくる意味はない。プロダクトデザイナーとしては当然そう考え、その中で何をつくるかというときに、最初はイメージでいってみようかと私も思うわけです。リサイクル、環境にやさしいという言葉から来るイメージ、世の中のイメージをシンボリックに表現してみようと思って、幾何形態はその表現として相応しくないと考えていました。ですので、おむすび型とか、お碗にしてもちょっと形をゆがましてみたり、色も土の香りを前面に出して褐色にしたりて、第1試作をつくりました。
ところが、できあがったモノに対して、私自身がどうも納得できない。形には彫塑的なものと彫刻的なものの2種類があります。平たく言うと、粘土を「こねこね」して作り上げていく形、塊から削り出して作り上げていく形です。もともと個人的には、塊を削り出していく彫刻的な形の方が感覚的にマッチする。ところが、その「らしさ」を演出しようとした彫塑的ものは、それが現れすぎているのか、何かしっくりこない。褐色も「らしさ」のためにやりたかったのですが、実際に試作してみて料理を載せると料理がおいしく見えない。料理は中間色が多いですから、おいしく見えないんですね。それから、「らしさ」のためにゆがめた形そのものに目がいってしまって、料理よりもそっちが目立ってしまう。「食器というのは料理の脇役である」という私の考え方にも反する。食器は料理の引き立て役じゃないかという考えと違う。ただ理屈もくっつけて、リサイクルというかたちで出せば、それはそれなりに皆さん納得してくれるだろうということで、第1試作を試験的に売ったことは売ったんですが、あまり売れませんでした。私自身もこれはまずいな、何か違うなと感じていました。私は学生にいつも「らしさの演出は絶対するなよ」と言っているのに、そういうことをやってしまったという後ろめたさもあって、そのあとずいぶん悩んでいました。
結局この悩みをブレークスルーしてくれたのは、インターネットのアンケート結果でした。私たちが、もっとごてごてのものを望んでいるのだろうなと思っていた層の人たちからも、シンプルで料理を引き立ててくれればいいよという意見がどんどん出てきたものですから、今回最終的に出したものは、そのへんから勇気づけられて、思い切ってやってみようということになった。やっぱりもう素直にいこうということで、バージン原料を使おうが使うまいが、食器には使われる道具としての本来のあり方があるはずだと。では、それはどういうあり方かという原点に戻ってデザインし直したのが、エコロジーデザイン賞を受賞したRe-食器でした。 |
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| 川崎: |
僕はイメージ的に、そして現実的にもそうかもしれませんが、「喧嘩師」と呼ばれていて、陶芸の産地で呼ばれなくなった産地があるんです。なぜかというと、「心を込めてつくっています」とか、ぐっとゆがんでいるような形態を「手づくりの味」というのは、正直言って僕は嫌いなんです。それをクラフトだ、工芸だという言い方をするけれども、僕には「手芸」にしか見えない。趣味としての陶芸は非常にいいと肯定しています。しかし、僕はそれとどこに差があるのという言い方を、特に陶芸の産地ではしてしまったわけです。それぐらいなら、プラスチックでパッと成形したほうが清潔感がある。ある産地の講演でそういうことを言ったら、二度と来てくれるなと言われた経験も持っています(笑)。それとは逆に、非常に作家性の高い、人間国宝の方がやっておられる、たとえば鼠志野の場合、非常に有名な国宝級の先生のプロたる仕事ぶりでのモノ、いわゆる芸術作品と、一般の人が使うものと、二つの価値観を判別して評価していく視点をもっています。
一つ聞きたいと思っていたのは、リサイクルの素材で量産するときに、収縮率は普通のものと変わりませんか。 |
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| 長谷川: |
収縮率は、一般的な磁器で13〜14%、陶器では10%ぐらいです。Re-食器に関しては、すでに焼けたものが入っているので、理論上はその分だけ収縮率が小さくなるはずです。ただ実際は、50%も10%も試験していますが、あまり大差はないんです。それがなぜか、まだはっきりわからないところがありますが、理屈上は収縮が減っているはずです。マイナス素材が少しプラスのほうに向かっていることは事実だと思います。また、耐熱性も少し向上している印象があります。数値化はしていませんが、当初想定していなかったリサイクルによるメリットが見え始めているのかなと感じています。 |
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| 川崎: |
エコロジーという面で考えると、焼き物は表側に釉薬をかけていくということは、表面がガラスになっていくわけですね。そのあたりの割合を見ていくと、いまのデザインでは海外製でもよくないものが多く目に付きます。つまり、真っ白のものでも、使っていくうちに汚れが染み込んでいくから、非常に強力な洗剤を使って真っ白にするという、エコロジー的には洗剤との関係での悪循環が起こってしまうわけです。Re-食器を見ていると、僕は本当に食器が食器に戻るという工程やデザインのシンプルさに感心します。
ところで、美濃に行ってみてびっくりしたことなんですが、美濃焼の産地ではどんな焼き物、ほとんど日本全国の産地モノでもつくれるんですよね。
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| 長谷川: |
よいことか悪いことかわかりませんが、どんな焼き物でもつくれることが美濃焼の特徴です。 |
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| 川崎: |
日本の何々焼というのは全部つくれちゃう。美濃焼が焼物の先端になっていく可能性がある中で、「Re-食器」というまったく新しい循環のシステムを構築したということが、僕は大きな意味を持っていると思うんです。
去年審査委員長になりましたが、エコロジー、ユニバーサル、インタラクションの三つの特別賞に関しては、非常に慎重に選んでいます。他の国から見たときに、日本という国はこんなモノをエコロジーで選ぶのか、こんなモノをユニバーサルと呼ぶのかということになると困ると思っています。それが本当に嬉しいことに、Re-食器がグランプリ候補までいきました。その影響はどうだったのでしょうか。もしくは審査に対するご意見でもいいのですが、お聞かせいただけますか。 |
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| 長谷川: |
反応はそれなりにあると僕は思っています。ただ、エコというのはその評価手法が大変難しいんです。確かに一時期ムードとしてのエコもあったんですが、ここにきて環境コミュニケーションということで、ISO関係の環境ラベリングの問題も出ています。そのへんになってくると、どういうふうに評価していくかが焦点になってくると思います。そこはインベントリー分析で、LCA(ライフサイクルアセスメント)という手法で評価してみようというのが一つあると思います。Gマークにエコのテーマで出品しておられる方は、たぶんこの辺りは当然クリアしておられると思うんです。逆にいうと、Gマークのエコはどうなんだという評価する尺度みたいなものが、あったほうがいいのかな。先ほどおっしゃったように、グッドデザイン賞にはエコといいながらこんな商品が出ているということも、なきにしもあらずだと思います。
われわれもエコ、グリーンの商品に関しては、われわれなりの基準を設けて、われわれなりの審査機能をつくって、そこをクリアしたものだけを世に出そうじゃないかということにしています。そうしないと、焼物は重金属の塊みたいなものですから、一歩誤ってカドミニウムなどが入ったものがエコだといって世に出てしまったら、取り返しのつかないマイナスイメージを生み出してしまう。エコをやってマイナスになるほど、馬鹿げたことはないわけで、そこはしっかり押さえていくことが必要になってくると思います。 |
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| 佐藤: |
再生陶土でつくっているアイテムは、私がデザインしたものだけではありません。これは一部で、先ほど言ったようにプロジェクトチームで(現在では約40社にまでメンバーが増えています)やっていますので、それぞれのメーカーさんが内部のデザイナーを使い、再生陶土を使ってつくった食器に関しても、GL21で基準をつくって、何カ月かに1回審査して、これはGL21マーク、要するに我々がつくったエコマークを付けていいかどうかという審査をやっています。そういうものと、今回私がデザインしてGマークがついたものと、二種類が流れているんです。 |
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| 長谷川: |
今回Gマークを取ったものは、「アンアン」や「エスクワイア」をはじめとして、メディアには随分取り上げられました。また、お陰さまで、全国十数カ所のショップさんで回収協力をしてくださっていて、それが全国に広がりつつあります。最近は観光バスを仕立てて、うちに視察に来るユーザーが増えました。いままで美濃焼産地を産業観光化しましょうといっていましたが、観光化とは全く関係ないわれわれの活動に興味を持ったユーザーが来てくれるようになった。私はいろいろな意味で、大変可能性が高いことになろうかと思っています。ですから、これからだと思います。
そういったことが積み重なって、美濃焼から発信したことが他産地にも影響を与えていったのではないかと感じています。というのも実は他の多くの産地から、視察に来たりわれわれの後追いが現れてき始めています。製品のネーミングもこちらは「土色彩生」ですが、よく似たものが出てきています。このような現象を見るに付け、この活動が定着しようがしまいが、私はエコに対する産地の姿勢を示すことが大切なことだと思っているんです。再生するしないではなく、環境を考えた産地のあり方みたいなものを真剣に考えざるをえない時期にきてしまった。その機を後押ししたのは、今回のGマークだと思います。
もう一つは、つくるだけで終わっていたつくり手たちが集積している産地が、戻すことも考えなければいけない、使い終わったあとのことも考えなくてはいけないというようになってくると、21世紀型地場産地のデザインが変わるのではないかと思います。いまの形態のままいくと、中国が日本に大量に安い食器を持ってきているのと何ら変わらない。そこと変わる部分として、21世紀の地場産地はどうあるべきか。それは脱物質化、サービス化の進展だと思います。そこを美濃焼がどうつくり出していくか。私はこれはデザインの領域だと思っています。 |
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| 川崎: |
これから日本の陶磁器産業が、美濃から発信してしまった循環型をどう実現していくのか。その過程である種の制度化もしなくてはいけないだろうし、競合もしなくてはいけない。それは国内での競合もあるだろうし、海外との闘い方も考えなくてはいけない。僕はGマーク制度というのは、日本が貿易立国であることの一つの戦略論であるととらえているんです。そういう言い方をすると、非常に右翼的だといわれてしまいますが、それをやらないことには日本という国は食べていけない。しかし現実にメイドインジャパンというのは、ほとんど機器類なわけです。家具や生活道具、日用品というのは、決して貿易立国を成り立たせるものにはなっていない。
そいういうことを考えていくと、海外に出てみればよくわかるんですが、日本ほど世界中の食べ物が集まっている国はないんです。そういう点では、食べ物と食器の関係をデザインで解読して、描き直して発信できる可能性は、日本が非常に高いと思います。マスコミも昔の魯山人に戻ってしまったり、和の世界だ、洋だ、中華だという紋切り型の言い方をするのでなく、もっとインターナショナルな見地から、日本という国が持っている独自性を発信してもらって、それが輸出に繋がっていくといいですね。これがポジティブに連鎖していけば、たとえば焼き物の産地がまず一番元気になり、今度はそれに合わせて、漆、刃物といった、食文化の周りの道具類が国際的に活性化していくことが期待できますね。 |
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| 佐藤: |
岐阜県にはそういうものがみんな揃っていますしね。木工もあるし、刃物もある、紙もある。それこそ福井と似ているところもありますが、地場産業の集積度が高いところです。 |
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| 川崎: |
文化は奈良、京都あるいは加賀とよくいわれますが、それを支えてきたところは実は岐阜であり福井なんだと僕はよく言うんです。そういうところが働いて、文化をつくり上げてきた。働き手たちは常にそういう都の周辺にいたんです。それを逆転せよとは言いませんが、同格に扱ってもらいたいなと、福井県生まれは思っています。そうしたこともRe-食器の循環のネットワークの将来に非常に興味があるんです。今回、みなさんが構築された循環のシステムをどう発展させていくか。僕は学位が医学です。医学の専門が循環と血液と呼吸です。循環器で重要なことは、一つはどこで酸素をきちんと入れるか。絶えず回っているだけではだめで、同時に酸素を供給していかないといけない。もう一つは、新陳代謝をやっていくために老廃物を捨てるんです。だから、リサイクルの中で捨てる部分は何なのか。受け入れる酸素は何なのか。このへんがきっと次のテーマになっていくのかなと思います。 |
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| 長谷川: |
確かに、いまはマテリアルの部分で循環させているだけですからね。 |
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| 川崎: |
循環器でいうと、ポンプで送り出してくれる作用が一つありますが、もう一つは副交感神経を経由して、喜怒哀楽のような感情がそこに働きかけをする。心臓への感情の働きかけは、存在は確かなのですが、仕組みがいまだにわからないんです。感情的なものがそこに働きかけているから、循環器の中心機能の心臓には癌ができません。現代医学では、そこに1枚薄い膜があるということまではわかっています。交感神経が三つ、ベータ1、ベータ2、ベータ3とあって、ベータ2が何らかの働きをしていることはわかっていますが、それぐらいしかわかっていない。ここがサイエンスとして解明されて、このアナロジーをリサイクルの食器に援用すれば、たぶん本当の意味での循環が構築できるのではないかという気もしています。
僕が不思議だなと思うのは、器の基本は、生きていくための道具ということです。確かにコンピューターだ、航空機だといろいろありますが、何でご飯を食べるか、何で水を飲むか、何でコーヒーを飲むかという原点のところで、循環のシステムをつくったことの意義はものすごく深い気がしています。それをデザイン評論でもっと書き上げて、もっと応援していくということが、もう少しGマークなどの制度でできればいいと思っています。
グランプリの審査の場では、Re-食器がグランプリだとおっしゃった先生もいらっしゃいました。吉川先生でしたが、そこからの広がりを見抜いていらしたと思うんです。あの方の専門は工学系の摩擦ですが、デザインにも非常に造詣が深い方です。東大の人工物工学研究センターを立ち上げた方だし、東大にデザインをと提唱していた方ですから、そのあたりをひっくるめてこれだと映っていたのではないかと僕は見ています。 |
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| 長谷川: |
吉川さん注目してもらえなかったら、私たちの活動はまだまだだなと思っていました。吉川さんは「インバース・マニュファクチャリング」システムを提唱しておられて、もともとは、ここから少し刺激を受けていた部分がこの活動にはあったわけです。ですから、吉川さんがRe-食器に対して何も意見をいってくれなかったら、これは致命的だなと思っていたのですが、最初に言ってもらえたのでずいぶんホッとしましたし、それだけで満足でしたね。ですから、あれはグランプリを取ったのと同じような価値があったと個人的には思いましたし、非常に嬉しかった。 |
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| 川崎: |
僕は、あの中でのデザインの完成度の甲乙はないと思っていました。おしなべて非常に高い実力を持っているからこそ、最終の公開審査会に勝ち残ってきたわけです。あの場では、いまの時代をどれがどう断ち切っていくか、革新性、あるいは革命性ですね、その中でどれに共感できるのか。そういう次元の話であると言えるので、非常に最終審査は大変でした。あとでさんざん「お前はインダストリアルデザイナーなのに、何でインダストリアルデザインを選ばなかったのか」と責められましたけどね。(笑) |
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| 佐藤: |
でも、去年はジャンルが全く別個のものが入ってしまった感じでしょう。基本的に同じ価値基準、同じ物差しで測れないものを、無理に21世紀が向かうべき方向という抽象的な物差しで、あとはインパクトの度合いみたいなもので測ろうとしたわけですよね。 |
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| 長谷川: |
そこが逆にGマークのすごさだという感じがしました。結局形ではないデザインの世界でそれを評価していくというので、これは日本で一番のデザインレベルを持っているんじゃないかと、ずいぶん感心しました。見に行ってよかったなと思いましたよ。 |
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| 佐藤: |
個人的に、あのデザインをやった本人としては、システムは大事だし、システムを評価してもらったことはたいへん嬉しいんだけれども、狭義のデザインでもらいたいという気持ちもあって、複雑な気持ちなんです(笑)。ただ、それだけ広がりが出てきたというか、それだけの広がりを見据えた上でデザインを語らなくてはいけない時代に入っているということは、あのとき改めて再認識させられました。 |
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| 長谷川: |
21世紀のデザインはどういうふうになっていくのか、デザインコンペはどうなるのかという部分でもあると思うんです。いままでデザイナーがどういう役割を担ってきたかという反省と、これからデザイナーがより発展していくためにどうあらねばならないかという問いかけでもあると思います。私は陶磁器デザイナー協会という団体に所属していますが、陶磁器に関しても、一番環境にやさしい素材を使いながら、使い捨ててきたという反省がある。食器は美濃焼に代表されるように大量生産方式で、ある意味では50%ぐらいシェアを持つ産地、その恩恵を受けてきた産地が、そのままでよかったのかどうかというところも反省しなくてはいけない。そこにかかわってきたデザイナーたちは何を考えてデザインしてきたのかというところです。デザイナーが、INAXさんのいわれるライフサイクルデザイン、製品の全寿命まで責任を持って、その中の環境負荷を抑えていくにはどうしたらいいのか。その一つとしては、ロングライフがあると思いますが、そこをデザイナーがもう一度見つめ直す機会がきている。 |
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| 佐藤: |
デザインする立場としては、社会情勢や文化的な広がりを全部頭の中に詰め込んで、デザインしなくてはいけないということはわかっていますが、それとは別に色や形、自分の手触りなどにもう少しこだわってみたい。逆にいうと、あまり情報がありすぎて、その調整役的なデザインをしてはいないか。調整が行き過ぎると平均的なものになってしまいます。そういうところからもう一回戻ってきて、そこから離れたところ、それから刺激を受けたところで、何が色や形、デザインとして残るのか、そのへんのやり方をもう一回見直さないと危険なような気もしました。今回の開発の中では、そういうところの葛藤がありました。 |
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| 長谷川: |
非常にデザインしにくいですよね。極端なことをいうと、いままで使われてきた釉薬は一切使わないで、魅力ある器をつくってくださいよ。色もこの色しか使ってはだめですよ。形にしても、変にいじくって負荷を増さないでください、焼成は1度しかやりませんから。これだけではなくて、できたら製造工程を簡略化してください。できれば再生するときのために、あまり丈夫な器はつくらないで、粉砕しやすい商品にしてくださいという、むちゃくちゃな注文です(笑)。いろいろな制約が出てくる中でデザインしなくてはいけないわけですから、非常にやりづらかったと思います。 |
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| 佐藤: |
デザイナーは、物理的な制約は意外とクリアしやすいんですよ。それより文化的な制約というか、それをどう解釈してどう消化して出すかが、これから一番難しい課題になってくるだろうと思います。それを消化したうえで、なおかつ個性をだしていく。どこまで自分の思いを貫き通せるかというあたりが、これから一番難しいと思います。いまは情報がものすごいですからね。 |
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| 川崎: |
僕も教職の立場にいて、一方でデザイナーをやっていますが、佐藤先生も同じですよね。そうすると、生徒たちに後ろ姿を見せていかなくてはいけない。 |
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| 佐藤: |
受賞して何かインパクトがあったかというと、私にとってはうちの学生に対するインパクトが一番大きかったんです。学生がうちの先生が取ったということで、インターネットでソアラの横に載っているよとすごく喜んでいました。また、うちの先生が取ったんだと周りに自慢したりしている。それを見せることができたということは、私にとってインパクトとしては一番かもしれませんね。教師という立場は、単にこうせい、ああせい言うのではなく、自分の行動を見せなくてはいけないということを痛感しました。 |
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| 川崎: |
同感です。今日は非常に充実したお話だったと思います。
本日はお忙しい中、ありがとうございました。
(2002年3月8日 名古屋市・千種区の名古屋市立大学芸術工学部にて収録) |
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●佐藤 延男
三愛知産業大学 造形学部産業デザイン学科 教授
●長谷川 善一
岐阜県セラミックス技術研究所
●川崎和男
名古屋市立大学 教授
2001年度グッドデザイン賞審査委員長 |
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2001年度グッドデザイン賞「エコロジーデザイン賞」のページ:
http://www.g-mark.org/library/2001/ecology/eco1.html |
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グリーンライフ21・プロジェクトのHP:
http://nagoyanet.ne.jp/gl21/ |
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名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
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