| 鈴木: |
では、それがいいデザインなのか、悪いデザインなのかというと、論者によって、ずいぶん変わるだろうと思います。僕が本当にパーソナルにやれば、ほとんど全部落としたいという感じがしました。ただそれは「いいデザインとは何か」という定義にかかわることですから、ほかの審査委員の方が認めるものであれば、僕は同意しました。「いいデザインとは何か」というと、一人ひとり、個人のレベルでの善し悪しは、ほとんど好き嫌いと同じです。それは公共の機構が公共の資源を動員して、公共的な認定をする必要はない。Gマークの中で、いいデザインを定義しようとするならば、パーソナルなどうこうでは議論が進まず、どうしても公共領域の話として問題を考えざるをえない。つまり社会や文化、場合によっては経済や政治が、現に直面しているある種の普遍的な、公共的なテーマに対する接近方法、そのテーマに対するそれなりの解決提案があることが、いいデザインの前提的な条件ではないかと思います。そのうえで審美的な要素が問題になってくるというのが、僕が審査に臨んだ基本的な立場でした。 |
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| 川崎: |
評価としてパーソナルに自分の意見を言おうとすると、車の場合、まずそのメーカーが好きか嫌いかから始まります。その次に、自分の日常的な足として乗るのか、あるいは自分を顕示するために、ステータスとして乗るのかということでも、価値基準はその車の好き嫌い感覚そのものでデザインをとらえますよね。そこで、その好き嫌いという部分でグッドデザインだという見方は避けて、その上へ行かないといけない。社会システム、交通システムといった大きな問題に対して、ハードウェアとしての車自体も変わっていかなければならない。
僕はいま「車はエンジンを2個積んでいる」と言っています。一つは「内燃機関としてのエンジン」、もう一つは「コンピュータというエンジン」を積んでいる。車はその二つを積んで走っている。片一方はただ走行するという意味だけれども、もう一方は社会との制御関係がかかわっている。特に日本の場合、車がエレクトロニクス、IT技術とどうかかわり、それが社会とどう連関性を持ってくるか。いまはその過渡期で、やっとその芽が出てきているけれども、まだ昔の形態なスタイリングデザインだけを引きずっているように思えてなりません。 |
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| 鈴木: |
社会的問題といったときに、21世紀の根本問題である環境問題は当然あって、それもデザインが寄与できる主要な分野の一つだと思います。
ただ、もう少し卑近なところでは、いま失われた10年を受けて日本経済が厳しい。それはそのまま日本社会が厳しいということに直結しています。それを個人のレベルで語れば、生活水準の底割れ、どこで止まるのかという不安感が広がっている。その一方で、同時に生活水準を底上げしたいという欲望も、かつてなく強くなっていると思います。最近のデザインブームは、その一つの徴候だろうと僕は思っています。そのときに、デザインが生活を変えるという期待があるし、部分的にでも実際にそういう経験をしたことのある人が増えてきているんだと感じています。
デザインが生活を変えるというのは、僕らはわりと身近に経験していることのはずです。たとえば、どんな家に住むのか。天井の高さはどれぐらいだ、家の中における公共空間の広さがどれぐらいか。そこに住まう人、つくる人の思いが、生活水準の底上げにかかわる領域で、どのように込められているのかはすごく問題です。そういう領域で、デザインの重要性はすごく高まっている。たとえば電気冷蔵庫を買うときに、量販店でごく普通のものを買うという選択肢も依然としてありますが、エレクトロラックスを考えてもいいのではないか、総ステンレスでもいいのではないかということは、わりと普通に出始めています。もちろん20年前に洋モノの大型冷蔵庫を買う人はいましたが、それはステータスとの結びつき、あるいは大きい冷蔵庫は外国製しかないという意味で機能的に求められてきた。それとは違って、本当にデザインで選ぶような人が増えてきた。テレビにしても、オーディオにしても、画面がどれだけきれいか、音質がどれだけいいかということは当然追求されますが、プレミアム価格を払っても、そちらへいく人が出てきている。これは部分的な話ですが、そういう人たちは不況下でも増加傾向にあると思いますし、いずれ広まってくると思います。
この椅子が1脚あれば、このテーブルが一つあれば、あるいはこの花瓶が一つあれば、自分の生活のあるレベル、文化的なスタンダードが変わって、自分の生活の中における意識のあり方、求めていくモノの志向性が変わるのではないかという気持ちをみんなが持ち始めている時代ではないか。だからこそ、環境問題といった大きな問題とは別に、そういうところにミートした工業製品、インダストリアルデザインの手を経た製品の重要性が一方で高まっていると思うんです。
それは、昔のような三角形構造、頂点があって、底辺があって、頂点と底辺の間にいろいろな階層が存在することによって一つの秩序がつくられているという、文化にかかわるピラミッド構造が有効でなくなったからだと思います。スポーツの分野で巨人軍ファンとなれば、床屋のおじさんも商事会社の役員も、同じように一生懸命応援するということは昔もあったと思います。しかし現在ではそれがもっと細かく、たとえば今、ミッドセンチュリーのデザインが流行りですが、22歳の大学生でも、55歳のグラフィックデザイナーでも、あるいは商事会社の部長さんでも、そこでは語り合える、ある文化部族のようなものが生まれていて、それはステータスによるピラミッド構造からは示すことができない。自動車でもそうだし、その他の工業製品にしても、たとえばある種のオーディオ製品を持っている人はこれぐらいの家に住んでいて、出勤は黒いハイヤーが迎えに来てというイメージのセットがあったかもしれませんが、もう少し断片化したところで、所得や社会的な地位とは関係なく、審美的な教養、美意識の水準で結合するような社会関係ができてきている。だから、小さい車、あるいは価格帯の安い車だからデザインレベルが低くていい、高い車だから総金歯みたいにしていいというようなことではなくなっている。日本で売っている車のレベルでいえば、高級車でも軽自動車でも、どこの文化部族に向けて発信しているのかが問われますが、そこで同じようなデザインレベルがいることが、昔とは少し意味が違っているのではないかと思います。僕が車を審査するときには、そこのところに意識がいっているかどうかが基準の一つになりました。 |
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| 川崎: |
そういう意味では、車の開発ではステータス性や一般的な日常性などから、ユーザーセグメントするという製品開発からまだ抜け切れていないと思います。販売体制も、この車はこういう販売店でという形式がまだ残存している。僕から言わせれば、車などはそうしたことを1回壊してくれると、もっと社会システムとして、根本的に道路のあり方、トランスポテーション全体が変革し、革新されるのではないかと思います。
むしろ都市計画でやるというよりも、モノの世界から社会問題を切り崩していくようなものが、グッドデザイン賞の金賞でありグランプリであるみたいになってくれると一番いいんですが、今回応募されたモノからはまだ見えてこないですが、多少、そうした意識で、まずは「面白い乗り方」で、これが走ったら都市景観や、ランニングランドスケープが変化してくれるかも知れない、と思う車が応募されていたと見ています。 |
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| 鈴木: |
日本企業を振興するために、激励するためにというスタンス自体も見直した方がよいのかもしれないですね。それよりは市民生活の文化的水準をいかに底上げするのかという立場から進めてみる。結果的には同じようなことになるかもしれませんが、アプローチの方法、スタンスの問題として、そちらのほうが重要になってきている。僕らにしてみたら、僕らの生活水準を引き上げてくれるならば、別にどこの企業がつくろうとかまわないわけで、極論をいえば、それをつくっている会社の都合などはどうでもいい。そこをおもんぱかっているうちは、生活水準の底上げとして、従来の大量生産、大量消費、大量廃棄というかたちから日常生活に家電製品が入ってくるというレベルはなかなか越えられないのではないか。
いまやデザインをしている人の国籍は、どこのマーケットでも問われない時代、それこそグローバリゼーションというふうになってきている。そこで日本の政府の肝煎りで始まった企画がいったい何に焦点を当てたらいいのかということが、改めて問われているのではないかと思います。45年前というと1956、7年、日本では『マイカー』という本が出て、国民車構想が出て、電気洗濯機あるいは電気冷蔵庫が出る。そういう時代に生まれた考え方をどうやってアップ・トゥ・デートするのか。あるいは考え方自体の革命が必要な時期なのかもしれないと思います。 |
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| 川崎: |
確かにこれは日本の国家の制度が出自であるけれども、今年でも海外の建築家が海外の施設を日本のグッドデザイン賞で審査してくれという要望が出てきました。やはりそういう時代に入ってきています。逆にいうと、外国の設計家グループが、日本のGマークの評価に照らしてみたいという見方をされている。だからこれからは、グローバルな視点は一層強く持っていかなくてはならないだろうと思います。
デザインの領域も、いままではグッドデザイン賞はプロダクトデザイン、インダストリアルデザインが中心でしたが、新領域デザイン部門では、ビジネスモデル、あるいは大学の研究室でやっていることで、ここにデザイン的要素が入ればもっと革新的なものになるというもの、そして金融商品まで入ってきています。そういう意味で、デザインの意味性も非常に拡大しているので、それにGマークも合わせていく。これだけモノが大量にあるなか、Gマークでは、制度的もこう見ているという尺度を一つのものさしとして、社会にさらしていくことが重要だと考えています。そういう意味では、車メーカーも車の技術を使いながら、こういうこともできますよということが、新領域でもっと出てきてもいいだろうという期待感を持っています。
鈴木さんが編集長を務められている雑誌『ENGINE』は、「車」が切り口みたいにして置かれているけれども、けっこう範囲は広いですね。従来のライフスタイルという言葉も、あの雑誌ではあまりふさわしくない。あるこだわりの中での好きなの、嫌いなのという問いかけではなく、いま世の中にとって、これが正しいという方向を決めなさいよということを、問いかけてくれている雑誌のような気がしています。そういう視点からGマークになった商品をもう1回、ジャーナリズムとして検証していただくということもぜひお願いしたい。というのは、審査委員をやられて、他の審査委員はこうだったけれども、自分の意見はこうなんだという主張があると思います。そういう多種多様性を判断し発言する能力を持った人がたくさん現れてくれると、きっとデザインの本質が理解されるようになると期待しているわけです。そうなれば、本当に種々さまざまな車が現存する中で、本当はこれでグランプリを争ってほしいという車が応募されていなかったりするという状況も改善されるのではないかと思うのです。 |
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| 鈴木: |
それは、賞の権威というと大げさですが、賞に対して自然に払われるべきリスペクトの問題に関係しているのではないですか。もらいたいという気持ちが強く起きるような賞であることが大事だと思います。あの賞を取れば、少し先端的ないいイメージが獲得できると思えば、企業側も応募します。ブランドの時代ですから、ブランドバリューが高まると思われるようなものが選ばれないと、そうなっていかないと思います。 |
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| 川崎: |
Gマークがついても売れないじゃないかという意見に対して、前任の中西委員長は、「Good Design is Good Business.」という理念を掲げられましたが、僕としてはもう一歩踏み込んで、「Good Design Creates the New Age.」、新しい時代をつくっていくというかたちで、今年はとらえてみようという感じでいました。そういう意味では、日本のグッドデザイン賞がブランドになっていくという方向を目指すべきだと思っています。日本はなかなかブランドが育たない国ですよね。これが育つ土壌を作っていかないと、工業製品では台湾や韓国、中国までずいぶん追いかけてきています。審査委員たちの間でも、このままでいくと追い抜かれるのではないかという話を真剣に議論しています。 |
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| 鈴木: |
デザインに対する意識が希薄な経営者が経営している企業は、あまり長くないのではないでしょうか。当然のことながら、成長、発展は望めないだろうと思います。基本的にモノはもう要らないわけです。むしろ、いま身の回りにあるガラクタをどう始末したらいいのか。廃棄物を出すのもよくないし、買い替えるにも資力のストックがないという状況の中で、ビルなども含めて、かろうじて生き長らえているガラクタたちがある。土建国家の日本としては、どんどん解体して、またしばらくは新しいガラクタをつくって、延々やってきたわけです。しかし、そういうものが要らなくなってきている時代なので、これから本当にデザインの時代が始まるし、もう始まっていると僕は思います。こういうデザインでやったら当たる、当たらないというやり方でブランドはできないわけです。そこにある種の理想があったり、妥協のない品質の追求があったりしてはじめて今日のブランドになっている。つぶれそうになったりしても、みんなでがんばり抜いてきたから、今日収穫するようなポジションに来ている。とりあえず見栄えのいいガラクタをつくっておきましょうということで、まだガラクタで通用する分野を探すというスタンスでいたら需要はないし、それこそデフレスパイラルの渦の中で沈没するのではないでしょうか。 |
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| 川崎: |
日本という国は、モノづくりをやり続けないと生きていけない国ですね。モノづくりをやり続けていくということは、ある言い方をするとゴミを地球上にいっぱいばらまいていくことなので、それを救い上げるものはグッドデザイン、あるいはモノの持っている美しさやセンスだろうと思います。これが象徴的には、ひとつにはブランドに集結することは間違いないでしょう。
いまインハウスのデザイナーの状況は非常に厳しいし、フリーランスはもっと厳しい。こうした中でGマークではデザイナーを守っていく術も考えていかなくてはなりません。しかし一方で明るい話題もあって、ある車メーカーはGマークのグランプリを取ったら、デザイナーに500万の報奨を出すという制度をつくってくれました。技術者の世界でもこうした制度の話題がふくらんでいます。デザイナーに対してこのような制度をつくる企業がやっと出てきてくれた。 |
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| 鈴木: |
やはり社内のデザイナーにもフィーを払わなければだめですよ。外に頼めばフィーは取られるわけです。だからこそ社員として抱えているわけですから、フィーの問題は重要だと思います。それがなければ、月給か年棒かをみんな倍にするんです。その代わり、その水準に応えられない人はいつでも辞めさせられる。倍払っていれば、経営者側にもデザイナーに対するリスペクトが当然生まれます。難しいとは思いますが、そういうことでもしないとデザイナーの地位の向上はないし、デザイナーも「どうせインハウスのデザイナーだから、俺が言っても駄目なんだから」ということで、意見そのものに迫力がなくなったりする。デザイナー生命がかからない仕事で通ってしまいますから、そこのところの問題があると思います。待遇がよければ、いい加減なところでデザイナーは引き下がれないし、そもそも引き下がらなければならないような提案をしなくなるという期待はかけてもいいのではないですか。そのぐらいのことが必要だと思いますね。 |
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| 川崎: |
能力あるデザイナーをどうやって評価していくかとなると、ヒット商品を出しましたという話は一方にありますが、ヒット商品もすぐに売れなくなって、またモデルチェンジだということで、ゴミが出るということになるでしょう。ならば、Gマークをこれだけ取ったらこれだけフィーを出すというぐらいのことをしてもらえると、デザイナーもGマークを取ろう、あるいはGマークを取ったモノを売るためにはどうしたらいいかということになる。そうなってくれれば、Gマークがブランドになるかなという期待があります。 |
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| 鈴木: |
ブランドになれば捨てられないですよ。たとえばコルビュジエのチェアだって、革の色があせてしまっても、誰も捨てないでしょう。何かの都合で引き取ってといったら、すぐ引き取り手が現れて、なくならない。車でもそうです。いいデザインはなくならない。廃棄物にならない。なるにしても非常に長い時間かけて、もう使えないとなるまで徹底して使われます。そちらを日本はこれからもっとつくれるようにしていかなければいけない。そのためには相当の思想性や覚悟を持っていかないといけないと思います。グッドデザイン賞も、そういうある種の古典になりうるような何かに賞をあげたいところですが、なかなかそのレベルのものがまだ出ていないということです。僕らがいま欲しがっているもの、日本の人たちが生活水準の底上げをしたいと思ったときに、とりあえずデザインのいいものが手がかりになっていることは間違いない。そこでよいデザインといったときに、必ずしも高額なものでなければいけないとは誰も思っていない。こういう感覚は、この10年ぐらいのスパンでは変わらないでしょうが、そう思う人はどんどん増えていくので、グッドデザイン賞の意味はますます大きくなってきていると思っています。 |
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| 川崎: |
いちばん問題なのは、先ほどからおっしゃっている審美性、あるいはセンスのいいものとは、具体的に何なのかということを見せていかないといけない。テレビショッピングなどを見ているととんでもないものが多くて、それを買う人はかなりいますからね。そこが企業側に影響していて、営業サイドから、こんなものは売れないよ、それはデザイナー好みでしょうという言葉で片づけられて、営業のそうした会話にデザイナーは勝てない。あるいは売れても、デザイナーにぼんとお金がいくかというとそうでもない。ここらを何とか変えられるといちばんうれしい。 |
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| 鈴木: |
テレビショピングに出てくるようなものは、確かに量は出ますからね。生活の全部が全部、グッドデザインで占められる必要はもちろんないけれども、そういうものをほしがる人にミートする何かが、日本の会社がつくっているものでは少ないということは、文化的な底の浅さになっているのかもしれません。いいデザインのものを社会がサポートできないほど日本は貧しくはないはずですから、ミドルクラスから上ぐらいのところで、いいデザインのものがもっと出てきてくれないと外国のもので代用せざるをえない状況になってくる。
実際にそういうマーケットをねらっている日本企業は、自動車などでは、ますます外国との厳しい競争関係を意識しています。デザイン的に、外国の製品と肩を並べられるだけの車は、これからどんどん出てくるでしょう。特に自動車は高額ですから、その中に小さな1戸の家と同じように審美的な様式がないわけにはいかない。とりあえず車の分野は、洗練されたものでなければ売れないという時代が、本当にそこのところまできているという気がします。通販でガラクタみたいなものを買っていても、車でデザインレベルの高いものが生活の中に入ってくることによって、もう少しましなものが日常生活でも使われるようになるということはありうると思います。 |
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| 川崎: |
今年、初めて審査委員をやっていただいて、Gマークについていろいろな考えをお持ちになったと思います。僕としては、Gマークはこういうものだったのかということが鈴木さんにわかっていただけたらいいなという気持ちがあります。最後にGマークの今後に対するご意見をお願いしたいと思います。 |
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| 鈴木: |
少し突飛なたとえですが、19世紀の半ばぐらいにフランスの官展でボードレールが審査委員をやったことがあります。本当は官展に来るボードレールのような立場、つまり美意識において妥協しないという立場が取れればいちばんいい。この官展が果たした役割はすごく大きくて、それは専門の先生がいらっしゃるので僕などが言うことではありませんが、官展に当選してお墨付きをもらった絵の展覧会があると、大衆が大挙して押し寄せたという時代だったらしいのです。フランスの大衆の芸術評価能力なり審美力は、平均すれば現在でもほかの諸国民よりは高いと思いますが、官展がそれを導いたと強引に解釈すれば、Gマークを受賞したものの展覧会をやって、そこに大衆が押し寄せるという状況もつくれるのではないか。いいデザインを本当に妥協なく選んで、そのいいデザインにみんなが接する。これが実現できれば、日本の人たちのグッドデザインに対する評価力はもっと上がってくるかもしれない。みんなに見てもらうということを企画されて、そのときは企画展示する場所も、それ自体をグッドデザインにする。建て込みもびしっとやって、それ自体をグッドデザインにして、そのものがもっとも美しく見える展示会をやることを望みたいと思います。 |
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| 川崎: |
今年は初の試みとして「グッドデザイン・プレゼンテーション」を開催しましたが、だいたいはプロの方が見にきています。今年はそれでも7000人以上の方々が見に来られました。僕のねらいとしては、家電製品にしても自動車にしても、それぞれショールームがあってそこへ行けば見られますが、各企業なり出展者が「うちの商品はこれだけグッドデザイン賞に選ばれました」というブースを構えて見本市をやる。そこへ行ったら、文房具からお鍋から車、レジャー用品まで、今年のグッドデザインはこれだというものが全部見られる。それに、モーターショーぐらいの人が殺到する見本市になってくれれば、制度としては本当のデザイン振興につながるだろうと思っています。 |
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| 鈴木: |
ぜひそういうふうに発展してほしいと思います。それが僕らの生活水準の底上げにつながることだと思いますから、ぜひやってください。 |
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| 川崎: |
そういう意味で、これからのGマークにも力を貸していただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
(2001年9月7日 世界貿易センタービル39階 アジアクラブにて収録) |
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●鈴木 正文
「ENGINE」編集長
●川崎和男
名古屋市立大学 教授
2001年度グッドデザイン賞審査委員長 |
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雑誌『ENGINE』のHP:
http://www.webshincho.com/engine/main.html |
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名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
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