川崎和男 対談バックナンバー

KAZUO'S VOICE
 

川崎: 実は冷蔵庫や洗濯機を一生懸命にデザインしているデザイナーが、日本には大勢いるんです。でも、一般の人に職業を聞かれて、「デザイナーです」と答えると、「洋服のデザインやっているの」と言われちゃうわけです。そこで「洗濯機や掃除機や炊飯器にデザイナーがいるって知っている?」と聞くと、「えっ、そういうデザイナーがいるの」と、いまだに言われる。そこに携わっているインハウスのデザイナーは沢山いて、何とか美しい洗濯機、使いやすい冷蔵庫をつくろうと頑張っている。
   
甘糟: たとえば、掃除機で素敵なデザインのものがあったら、私はきっと飛びつきますね。今はデザインで選ぶということはなくて、換える袋がたくさんついているとか、いっぱい吸えるという機能面だけで選んでいますけど。けれどこのようなモノ選びは、デザインで選びたくなるようなものを多く見ることによって変わると思うんです。例えばオーディオでも、私みたいな一般人はバング&オルフセンを見たときに初めて、「あっ、オーディオもデザインで選べるんだ」という選択肢があることを学んだんです。それまでは、それが部屋にあるだけで生活に楽しさがプラスされる、という感覚はあまりなかった。それにオーディオって「音」を楽しむ世界だから、お金をかけないと、オーディオは家具の一つにならないという気がずっとしていたんです。同時にデザインされているけれど飽きない、というのが重要と思います。
   
川崎: そうですね。ファッションにも凝るし、車もそれなりに選ぶけれども、掃除機はこれでいいやというのは、ちょっと淋しいですよね。だからグッドデザインというのは全部ひっくるめて、車ほど趣味の対象にはならないけれど重要なモノで、そこからでもいい生活を目指す。カー(車)、カメラ、オーディオ、オートバイと僕はよく言うんですが、こういうものはみんなマニアックにこだわりますよね。だからそのデザインは非常にシビアに見られる。でも、そのほかに至ると、それほどシビアにデザインを見られていない。特に家電などの日常生活用品はそうです。極端に言うと、例えば炊飯器は米が炊ければいい、くらいに思われている。そういうことからいけば、日本は生活空間で囲まれているものの体系がデコボコしているので、デザイナーとしてここでお願いしたいことは、ぜひともこれから車とかファッションだけじゃなくて、ヘアードライヤーとか洗濯機についも、批評眼を持って発言していっていただきたい。それはデザイナーたちもきっと励みになります。
   
甘糟: ただ私が思うのは、生活しているアイテムすべてが、すごくスタイリッシュにデザインされているものばかりだと、ちょっと窮屈になってしまうと思うんです。ヘアードライヤーだったら毎日使うものだし、女の子だったらすごくかわいいものを使いたいけど、生活空間はミュージアムではありませんから、電話や冷蔵庫までが自己主張するものだと息が詰まってしまうと思うんです。アピールするデザイン、それに対して他のアピールを邪魔しないデザインのものという選択ができると、きっと家電に対しても意見を言いやすいと思います。デザインされているものといっても、全部がアピールではないと思う。私は最近の電話機なんかもちょっと主張し過ぎだと思っています。本当にシンプルで、自分のインテリアを邪魔しないものがあればいいなと思います。普段持ち歩くものとしては、携帯電話はあまりにもモデルチェンジが多くて、その度に機種を変えるのは面倒くさいし、車についても日本の企業はモデルチェンジしすぎなんじゃないかと思っていたんです。目先を変えると消費者はどうしてもそっちに行きますが、モデルチェンジで消費を刺激するという手法はどうなんでしょう。
   
川崎: モノに対する消費者の欲望をデザインがどう引き受けるのか。モデルチェンジが持っている功罪があって、いまは環境問題や資源の無駄遣いの問題をひっくるめて、モデルチェンジとデザインを結びつけていくことに対して、各企業は反省の時期には入っていると思います。ただモデルチェンジで消費を刺激するということを助長してしまうような世の中の流れは、実はマスコミにも責任がある。
   
甘糟: 耳が痛いな。
   
川崎: まそこに問題があって、ライフスタイルを語る雑誌を見ていても、決して掃除機や炊飯器に焦点を当てたりはしないじゃないですか。そんなのに当てると、ものすごく生活臭さが出てしまうから、ファッションから遠のいてしまうし、そんな特集を組んだ途端に、その雑誌は売れなくなったりするわけです。
   
甘糟: でもいまは雑誌も数が多くて、同じ情報やちょっとでも新しいものが出るとすぐ飛びつく。そうすると、つくる側もちょっとでも変えるとマスコミがすぐ取り上げてくれるからということで、お互いにどんどんサイクルを短くしていっているように見えますよね。
   
川崎: ライター、ジャーナリストの立場としていつも注目している情報というと、どうしても車やファッションに行き着いてしまうものですか?
   
甘糟: 私の場合はそうですね。炊飯器とか冷蔵庫をデザインのアイテムとして考えたことは、今日までなかったです。すみません(笑)。でも、炊飯器や包丁と自動車が決定的に違うのは、生活の中にはっきり組み込まれるものと嗜好の部分がすごく強いものというのがあって、評論家が成り立つジャンルとそうじゃないジャンルに分かれてしまうからだと思うんです。

私は文章を仕事にしているけれど、車の専門家でもないのに車の話をしたり、ファッションの専門家でもないのにコレクションで席をもらっている。専門家もコメントをするけれど、でも彼らだけだと意見が特化してしまうからです。包丁とか炊飯器、掃除機は、生活全般からの視点や意見がないと扱いづらいと思いますが、そのジャンルの専門家がたとえいなくても、いいものがあったらきちんと評価しなくてはいけないと思う。ただ、ファッションとか自動車の専門の人は、なかなかそれ以外に目が届きにくい。

そういう中で、多分グッドデザイン賞がその役目を担うのかなと思いますが、グッドデザイン賞というのが何を認めているものかをもっと明確にしたほうが、価値が伝わりやすいと思うんです。このマークがついているからこれはこういう価値があるんだという、アイテムが違っても一つのきちんとした基準に基づいているマークだということが、世間に浸透しているのかどうか、正直言ってわからない。また、もう一つ疑問なのは、応募制度という仕組みについてです。応募しないとあげられないということだと、本当は賞をあげたいけれど、応募がないからあげられないというものがどうしても出てくる。

   
川崎: 応募制度については、審査委員の推薦制度というのを取り入れています。当然、応募されていないけれど、おおいに評価するべきものが沢山あるので、そういうものをGマークに参加して頂くことで、この制度のレベルをアップさせるという目的もあります。 Gマークという制度ができて45年経っていますが、まだ日本の一般家庭を見ると、どこまでデザインが浸透しているのか。すべてがミュージアムのようにとは言わないけれども、一点豪華主義ならぬ一点デザイン主義を徐々に広げていきたいというのが、この制度でもあるんです。
   
甘糟: いま世界中で情報が同時期に手に入るし、輸入ものも当然のようにある。そこで日本そのものが全部だめという言い方は、日本人だからなるべくしたくない。洋服のデザイナーでも、パリコレじゃなくて東京でやるという若い人も出てきているし、日本のデザインでも絶対海外に劣らないものはあると思うんです。ただ、具体的な商品名は言えないけど、変に「イタリア風」とか「外国風」のものをつくってしまうから、日本はいつまで経っても後追いしているというふうに見られてしまう。もっとオリジナルにしてくれればいいのになとすごく思うんです。そういうものが長く売れたら、更にいいと思います。あまり存じ上げていないので失礼ですが、グッドデザインの中でもロングセラー部門のようなものはありますか?
   
川崎: あります。ロングライフデザイン賞というのがあります。10年前にグッドデザイン賞を受賞していて、今なお販売されているものはロングライフデザイン賞に応募できます。現在でも販売されているということがすごく重要です。
   
甘糟: そういうものはもっともっと評価されるべきですよね。そんなに爆発的じゃなくても「長く売れる」ということは、今の時代貴重なことです。ロングライフデザイン賞では、10年前とまったく同じデザインのものがあるんですか?
   
川崎: ほとんどが同じデザインです。僕はデザイナーになってもう30年経つので、自分のものがロングライフデザイン賞になると、「ああ、俺も年取ったんだな」と思っちゃいますけど。

人は成長していく、年齢が上がっていくごとにライフスタイルも変わってくると思うし、当然人間関係も変わったり、 生活環境も変わったり、収入が変わってくることに合わせて、モノ選びも変化していくと思うんです。甘糟さんは、モノと自分との関係と、自分と人との関係は連関性がありますか?

   
甘糟: 今は人間関係については、そんなにあくせく捕まえておこうと思わなくても、自分にとって必要な人は必ず自分の身の周りに残ってくれると考えています。身軽でいられなくなっちゃうのがすごくいやなので、あまり大勢の人と広く浅く付き合おうということはなくなりました。それはモノに関しても言えますね。昔は洋服も、ブランド買い取り屋さんに、前のシーズンに買った半分くらいのものを持っていったりしてたんですけど、最近は2シーズン続けて着なくても、次の年着たりとか、年齢もあると思いますけど、多少はそういう扱いをするようになったり。それこそ携帯電話のようにしょっちゅうデザインを変えられると、不要なものばかりどんどん買わされている感覚になってしまいそうです。だからこそロングライフデザインという領域は、個人的にはすごく評価するべきと思いますね。
   
川崎: グッドデザインの審査会場でも、ロングライフデザイン賞のコーナーへ行くと、ホッとします。そこにあるのは年季を経てきたもので、「おお、お前まだ元気だったのか」みたいに懐かしい感覚もあるし、新製品で出てきているものに比べると、遥かに重厚感や存在感があったり、非常に落ち着いている。ただそれもずっと進んじゃうと、今度は考古学的なものになっちゃう場合もあるけれど。 だからといって、たとえばiMacが流行って世の中全てスケルトンになって、また終わるという動きもデザイナーとしてはちょっと許せない。かわいいという言葉だけでワーッと爆発的に売れたりするでしょう。ああいうものは、化粧品のパッケージや美容機器のデザインにもすごく影響するんです。女の人がかわいいデザインと言うのと、僕らが言うグッドデザインにはちょっと開きがあるんです。
   
甘糟: 女である私が言うのもなんですが、女の人って、良いもの、評価するものの形容が、年齢に関係なく「かわいい」になってしまう。かわいいものとかっこいいもの、きれいなもの、素敵なものは明確な違いがあると思うんですが、全部を「かわいい」でまとめてしまうところがあって、それはある種の気持ち悪さを感じる。
   
川崎: 審査委員で「あ、これかわいいね」と言った人は、僕にとって要チェックなんです。「ちょっと待て、かわいいでGマークを判断するな」と。ベテランの審査委員たちは、あの委員はかわいいという言葉を使っていたぞ、あの人の「かわいい」を徹底的に検証しようか、となるんです。
   
甘糟: かわいいをプリティという意味で使っていない、ワンダフルという意味で使っているから、余計違和感があるんですよね。特にファッション関係の人は多い気がする。
   
川崎: そうですね。僕はプロとして形を出しているでしょう。この形を壊しちゃうのは言葉なんですよ。僕が包丁をデザインしたときに、主婦の人が「これ重そうだから、こんなの使えないわ」と言ったとします。するとその言葉一つでそのデザインは壊されてしまう。本当は包丁の形に論理的な裏付けがあるのに、そういう言葉一つで形は壊れていく。今年審査側でプロの視点を強調しているのは、プロの視点から、ユーザーが言うかわいいをどう理解してあげようかというところも一つあります。
   
甘糟: かわいいという価値観に共感しても良いかなと思うものもないわけではありませんが、バング&オルフセンみたいなものまでかわいいとなってしまうとどうなのか。それはデザインというより、言葉を使うほうの問題だと思いますけどね。それは恐らく、見るほうの価値が何でも曖昧になって、ものを評価するときの具体性が悪い意味でどんどん崩れていっているから、ワンダフルもスタイリッシュもプリティも全部かわいいという言葉になっちゃうのかなと思う。審査会場では、かわいいと言ったら罰金徴収とか、そうしたらいかがですか(笑)。そういう曖昧な用語の評価には私も疑問です。
   
川崎: 例えば甘糟さんが言う「かわいい」はどのような範囲ですか?
   
甘糟: 犬を見たときとか子供を見たときはかわいいと思いますけど、周りにいる人たちって、洋服を見たときもかわいいと言う人が多いから、ついつられそうになるので、かなり意識して気をつけてはいます。近くで「これ、かわいいと思わない?」「これ、かわいくない?」とあんまり言われると、伝染しそうで。あまり「かわいい」を乱発されると、それは単なる言葉の省略ではなくて、ものを見る目に具体性が乏しくなっているからなんじゃないかと疑いたくもなります。
   
川崎: いま『nicola』という雑誌がありますが、その世界ではほとんどがかわいいという価値観で、デザインもその範疇に入っちゃっているんですよ。さらに家電製品の世界でも、デザイナーに「かわいい志向」があるんです。
   
甘糟: それは「キティちゃん好き」みたいな感じですか。
   
川崎: そう。キャラクターものは、自分がある年代になったときに、それらを身に付けることで、私はかわいいでしょうという演出を支援するようなものとしてあると僕は見ているわけです。その実、僕も電話機につくキティちゃんグッズは全部集めているんです。もちろん、全てデザインの資料としてですけれど。結構「すごいな」と感心するものも中にはあって、この形でこのベルが鳴るのはすごいよ、とかね。キティちゃんグッズではありませんが、例えばすごいと思った一つは、耳掻き棒の上にドラえもんがついていて、それが携帯ストラップについている。そういうものにも実はデザインが入っているんだけれど、それはどうしてもかわいいという領域の中でおしまいになりがちです。それらが入っているもの、入っていないものをどこで線を引くかというのは非常に難しい。
   
甘糟: かわいいという価値、価値観自体は勿論あっていいと思うんです。ただ、かわいいものと、かわいくないけれど良いものというのは、女の人の場合、その線引きが難しい。
   
川崎: 車でいくと、ニュー・ビートルを見て、「ああ、かわいい車」という女性がいますよね。でも僕の世代にすると、昔のビートルを知っているだけに、あのデザインには抵抗感を持ったりする時もある。でも、ポルシェを見てかわいいと言うのは、ちょっとそれと違うでしょう。そこの区別というのは、実は審査委員の中でも非常に大きな問題なんです。かわいいという言葉は、デザイナーの見識や知見が問われるものを持っているんです。かわいいという表現の問題、エンブレムやキャラクターやプレミアの問題からしても、デザインの定義にも登場する「かわいい」という価値観が非常に拡散している。それゆえに、ビジネスとして失敗に至ったケースも少なくない。
   
甘糟: ところで、15年もグッドデザイン賞を見続けていらっしゃると、最近の時代の著しさは多分モノにも現れていると思うんですが、どうですか。意外と変わることに飽きちゃうものですか。
   
川崎: 実際はできるだけ多くのGマークを出したいと思いつつも、個人的にユーザーの立場でいくと、「どうしてこうなるかな」というのがやはりあります。非常に辛いところがある。身を引きちぎられる思いがします。でも、デザイナーは本当はここまでやりたかったのに、営業に押されてとか、生産の都合でこういうデザインになっちゃったんだなとわかるわけです。
   
甘糟: 審査する立場としては、そういうことはわかっていても、それまで入れちゃいけないんですよね。
   
川崎: でも、僕はデザイナーを守るというのを信条にしているから、一生懸命に良い部分を見つけだして、その上でOKを出します。 そして、このグッドデザインプレゼンテーションの会場を見れば、日本のものづくりのすべてが見られる。Gマークを、かつて非難されたメイドインジャパンじゃないけど、やはりメイドインジャパンはすごいんだということをもう一回、世界に発信していくブランドにしたい。そのときに日本側のユーザーのかわいいねというだけの価値観はあてはまらないと思うんです。
   
甘糟: ユーザーもかわいい、かわいいだけじゃなくて、もう少し大人にならないといけないですね。具体的な着眼点と嗜好の表現力が持てるようにならないと。

今日この対談の会場に来る途中、グッドデザイン賞の2次審査のための搬入現場を通ってきたんですが、このGマークに対して、ものすごく沢山の人のエネルギーとか労力が注がれているかがよくわかりましたし、この制度を続けていく存在意義みたいなものをすごく感じることができました。どうもありがとうございました。

   
川崎: 本日はお忙しいところどうもありがとうございました。

(2001年8月28日 東京ビッグサイト・東4ホール会議室にて収録)
   
●甘糟 りり子
コラムニスト

●川崎和男
名古屋市立大学 教授
2001年度グッドデザイン賞審査委員長
   
名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/
   
※去る7月17日、五反田の東京デザインセンターにて開催されたトークショー「DN Face to Face Talk−グッドデザインにイエス or ノー?」(川崎和男 VS 都築響一+立川裕大+甘糟りり子+大西若人)の模様は、当会発行のデザイン誌「Design News」255号で特集されています。
丸善をはじめ全国有名書店にてお買い求めいただけます。
デザインニュースの紹介ページ:
http://www.jidpo.or.jp/designnews/index.html