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●デザイナーとユーザーの間に横たわるもの |
| 西山: |
実は今回の対談でぜひ、取り上げたかったテーマがあるんです。それはプロのデザイナーの成すべき姿はなんであるかということです。通常プロフェッショナルというと医師や弁護士が思い浮かびます。彼らに共通していることは「クライアントの問題を解決することによって、報酬を得ている」ということです。医師の場合、患者の病気を治すことですし、弁護士の仕事は、クライアントのもめごとを解決することになります。クライアントから期待されている成果が、はっきりしているので、対価の支払いにも納得感があります。プロのデザイナーも同様に仕事に対する報酬をとる以上、成果が何になるかということを定義する必要があるはずです。
ところが、プロとは何かという観点からデザイナーをみて感じるのは、誰が、自分にとってのクライアントなのかが曖昧になっているのではという点です。たぶん大半のデザイナーはクライアントがメーカーや自分の上司だと思っているのだと思います。
でも実際は、そのメーカーにお金を払っているのは、その先にいるユーザーです。わたしはユーザーがデザイナーのクライアントであるべきだと考えています。そう考えるといろいろなことがすっきりとするんです。ユーザーからお金をもらうという意識で仕事をしている人たちがどのぐらいいるのだろうか。いるとするならば、その人たちにもう少し機会の幅を与えるにはどうすればいいのだろうということを、今日何らかのかたちで話ができればと考えています。 |
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| 川崎: |
プロとユーザーの関係ということで考えると、たとえば美容師さん、理容師さんというのはプロですよね。それでユーザーの方が、鏡の前に座って、「髪をカットしてください」と言う。髪に触られると眠くなりますから、目を閉じちゃう。それで目を開けた瞬間に、「えっ、こんな髪型になっちゃった」と驚く。(笑)ユーザーは自分が望んでいた髪型ではない、全く自分に似合わないと思って、こいつにいまから金を払うのかと憂鬱になると思うんです。プロの人は、この人にはこの髪型が似合っていると考えてカットしているのに、ユーザーが望んでいたのとは全然違う髪型になってしまう。直接コミュニケーションをとっていても、ここにギャップが生じるわけです。
いまデザインというのは、プロの世界でいうとデザイン業界、インハウスやフリーランスのデザイナーたちが担っています。この人たちが、ユーザーと直接ではなく、その間にメーカーや流通を通してユーザーと接点を持っている。美容師さんや理容師さんと違って、その間に人がいるんです。その指示の下で、このハサミを使おうと思うと、「違うよ、こっちのハサミだよ。そのハサミ使っちゃだめ」と横やりが入って、自分で思っているようなカットができない。それで、ユーザーが目を開けてみると、「こんなものじゃなかった」ということになる。殊に電気製品、携帯電話のようなものになると、デザイナーとユーザーの間、プロの視点とユーザーの視点の間に、余計なまなざしや遮蔽物が入ってくる。ある意味では、そこをバリアフリーにしていかないといけない。その間に入ってくるのは人だけの問題ではなく、情報も入ってきて、情報でまたグチャグチャにされてしまうということもあります。だから、そういうプロセスバリアをすっきり橋渡しするような方法論が必要ですが、いま西山さんがやっている空想生活は、その一つの手法だろうと見ているんです。
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| 西山: |
そのように見ていただけて大変うれしいです。デザイナーとユーザーの間にある遮蔽物は全部で6つあると思うのです。多くの場合、工業製品の生産は一人では完結しないので、組織のルールに従う必要があります。デザイナーはユーザーのニーズをダイレクトに解決しなければならないといいましたが、それは単にデザイン画を上げればよいということでなく、そのデザインを世に送り出すために必要な作業をもすべて実行に移す必要があります。
なぜ6つかというと、単純な話で、邪魔をする人たちは6人くらいだろうと思うからなんです。「売れないよそれ」と反対する営業。「ラインの確保はどうするんだ。いっぱいだよ」と渋る工場長。「こんなのできないよ。開発コストがかかるよ」というエンジニア。次に「PLは?他人の権利の侵害は?」と細かなチェックをする法務。「投資効率は?」と、数値シミュレーションを要求するファイナンス。最後に「なぜ、これを作るべきなんだ」という納得のいく説明を要求するトップ。デザインを世に送り出すためには、デザイナーはこの6人を説得する必要があるはずです。もし、一人で全員を説得できないなら、それぞれの遮蔽物を乗り越えるための仲間をデザイナーは得るべきだと考えたのです。
「空想生活」ではこのような遮蔽物を少しでも無くすため、デザインのプロセスを再設計することを目指しています。通常と違うのは、デザイナーがユーザーに製品化の途中段階より、ユーザーを巻き込んでいくことで説得力を勝ち得ていくということと、初期の段階からトップのコミットメントを得ているということです。具体的なステップとしては、まず、ユーザーの求めているものを作るべきという点でトップのコミットメントを得た上で、ユーザーの要望をエンジニア、弁護士とともに、技術的な課題をクリアしながらデザインをおこします。この段階ではまだ、デザインは空想的なものですが、この時点からデザイナー自ら、ユーザーにコミュニケーションを図り、製品の予約を集めはじめます。このことによって、需要予測を営業に示せるようになり、頭ごなしに「NO」といわれないようにすることが可能となります。最後に工場でキャパの調整と原価コントロールを行い、投資効率のシミュレーションをはじき予算の申請を行えるようにする。
もしも、このようなビジネスフローをデザイナーがマネージできるようにサポートできたら。そのとき、「空想生活」がデザイナーに提供するサービスが、ユーザーとデザイナーの間をすっきりと橋渡しすることができたことを意味するのだと思います。 |
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| 川崎: |
グッドデザインに応募されてくるのは2000点くらいですが、言ってみれば、これは微々たるものです。家具インテリア、教育用品などは非常に少ない。特に教育用品は少ない。要は、教育用品すらいいデザインのものがない。そうすると、デザインする側も、いま何をデザインしなければいけないかということが見えてこない。先ほどやっていくために6つの障壁があると言われましたが、ひょっとすると、その源であるデザイナーになろうと思ってデザインの学校に入った人たちが、社会に出たときにギャップを感じる。この会社に入っていいデザインができると思っていたらとんでもなくて、周りから圧迫を受ける。
僕はいま大学で教えていますが、ヨーロッパの若手のデザイナー、特にオランダの若手のデザイナーを何人か選んで、日本に呼んで展覧会をやらせたときに、彼らとずいぶん話をしました。そのときに僕が日本のデザインを志している学生たちとの大きな差を見たのは、彼らはビジネスは二の次で、地球がどうなっていくのが一番良いかを本当に真剣に考えている。とりあえずはビジネスをしながら、それをやろうとしている。要するに、ゴールあるいはオブジェクトが違っているんです。彼らはそこに向けてスタートしているのに、日本ではいまだにものがどれだけ売れて、どれだけ成功したらという話になるでしょう。ソフトウェアでいうところのLinuxのように、社会に広まることのほうが本当の意味での民主主義が始まる。これまでのものは民主主義ではなく、単なる大衆主義に過ぎない。特に日本の場合はそうで、混同していた。その中で、金儲けをして、お金持ちにならないと豊かにはなれないという大誤解の下に、ものづくりをやってしまった。そういう点があるような気がしています。願わくはそのあたりがグッドデザイン賞という制度で変えていければと思っています。先ほどおっしゃった問題、西山さんもプロテクションという言葉を使われましたが、日本という国家というと、また川崎はナショナリストといわれてしまいますが、日本をプロテクションするための問題意識は、日本人には根本的にものづくりしかない。
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| 西山: |
ひょっとしたらグッドデザイン賞という制度が答えようとしているのは、「デザイナーのミッションとはなにか」という問いであるような気がしています。
いま何をデザインすればよいのかが、よくわからないとするなら、デザインが解決している問題が何なのか、わからなくなっているところに由来していると思います。
だからこそ、グッドデザイン賞のような権威が、デザインの良し悪しをスパッと一刀両断する。批判も受けるでしょうが、なるほどとみんなが思える明快なロジックがそこにあればいい。判断基準を明確にすることで、「なるほど、じゃあ僕もそうしよう」とデザインの姿勢をかえるデザイナーが集まってきて、問題を解決できるプロフェッショナル集団になっていけば、そういう使命を帯びた、デザイナーに対する社会の見方は今とは違うものになっていくはずです。
昔は明快に「なぜこれが良いか」というロジックをわかりやすく示してくれる人たちがいたと思うんです。デザイナーとは決して呼ばれなかったけれども、この人はすごいと思った人に、『暮しの手帖』という雑誌をつくった花森安治さんという人がいます。あの人が本当に偉いと思うのは、戦後間もないころ、物資が足りない、お金がない、でもいい生活を手に入れたいという主婦の願いを、雑誌代のわずか数百円を対価に解決していったんです
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「みかん箱のダイニングテーブルとチェアでも良し」とした迷いのない『暮らしの手帳』の判断基準は、きっと読者の主婦たちにての届く豊かな生活を届けることに大きく寄与したと思うのです。旦那さんと一緒にのこぎりを引いて、釘を打って、ペンキを塗って、つつましいけれども、モダンで豊かな感じのする生活を手に入れた主婦は、みんな喜んで彼にお金を払っていたのだとおもうんです。そういうかっこいいことをやっている人を発見してきて、「この人かっこいい」というのは、グッドデザインという制度にぜひやってほしい仕事です。かっこいい人はかっこいいと言い、だめな人はだめと言って、一種のバリューシステムとなるべきだと思います。
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| 川崎: |
僕は、グッドデザインが制度として持っている目標あるいは目的、ゴールとオブジェクトと二つあると思います。日本は貿易立国なので、貿易立国として、輸出して、日本の国にお金が入ってきて、みんなが豊かになっていくために、インダストリアリズムをうまく使いながら、インダストリーでみんなが知恵をめぐらせてものをつくって、世界の人にも喜んでいただいてお金を儲けるために、国家がいいデザインなんですよと言ってあげる。この一つのきっかけになる制度です。理想論で語るとそれが一つ目です。
二つ目は、テレビショッピングに出てくる商品を見ていると、ひどいものが多い。えっ、こんなのが日本の家庭の中にまだまだ入ってくるんだと、デザイナーとしてすごくさびしくなります。たとえばいま対談をしているこの部屋の中でも同様で、このパーティションを見ても、このテーブルを見ても、まったく豊かさを感じないわけです。
「椿姫」を作曲したヴェルディという人が1899年につくった、ミラノの音楽家たちが年を取ってから死ぬまで過ごす施設がありますが、そこではかつてスターだった人たちが老後を過ごしている。毎日音楽があって、そこに置かれているモノ、あるいは空間を見ると、何たる豊かさかと感銘を受けます。豊かな生活をつくるためのグッドデザインが必要で、たぶん空想生活にこんなものが欲しいとみんなが言ってくるのは、いま商品として出回っているものでは豊かさを感じないから、こんなものが欲しいとみんな思うのでしょう。コンピューターにしても、携帯電話にしても、携帯電話を入れるケースにしてもそうだったと思うんです。
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| 西山: |
「豊かな生活を手に入れるためのグッドデザイン。」確かに手に入るものに、豊かさを感じていないから、みんながデザインに対する要望を寄せてくるところは大きいです。問題は何が豊かさなのか?という問いにデザイナーが答えていこうとしていないかもしれないということです。
ユーザーの「欲しいけれど、世に作られていない」を入手可能にすることが、デザイナーの役割だとするならば、まずユーザーが抱えている問題は何なのかということを知ることが第一のステップだと思います。もしユーザー自身が、具体的に何を手に入れたら豊かになれるかを知っているなら、それは聞けばすむことだと思います。
しかし、多くの場合、ユーザー自身はなにが欲しいのかを知らない。なので、デザイナーは見えないものをみて、デザイナーの視点で診断をしなければいけないのだと思うんです。デザイナーはさらに、一歩引いて鳥瞰できるポジションから、他のユーザーにも同様のニーズがあるかどうかを確かめる。その結果見えてきた市場の規模にあった、デザイン、製造方法、売り方を組み立てていって、インダストリアルな規模でプロダクトが届くようにできればよいですね。
先ほどお話があったヴェルディの家ですが、なぜ、同じ音楽業界にいる人が、それを大切に守ろうとしているかと考えてみたんです。たぶん、ヴェルディは既存の家では不満だった。そこで、自分自身が欲しかった家を用意した。実はそのこと自体が、ほかの音楽家にとっても問題解決となっていた。だからいまだに音楽家はそこに集い、その豊かさは守られ、なおかつひょっとしたらより豊かなものになっているのだろうと思います。
同じ嗜好性を持つ人々に共有される不満が解決されたことによる力強さが、そこにはあるのだと思います。すべてのユーザーが自分自身で豊かな生活を手に入れるための問題を解決できるわけではない。そこにデザイナーの存在意義がある。そして、だからこそデザイナーはユーザーのためにその障害となる存在を相手に闘争をするという姿勢を貫かなければならないような気がします。
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●デザイナーの仕事は問題解決することである |
| 川崎: |
日本産業デザイン振興会で、哲学者の中村雄二郎先生を中心にした研究会があって、もう10年ぐらいかかっていますが、最終結論は、デザイナーの仕事は無理難題を通過することであるということに落ち着きました。その無理難題を僕はいまアポリアと呼んでいて、その考察を著作にまとめています。この問題をもう一回自分なりに再整理するためのテキストにしているのはジャック・デリダです。僕は「問題」とは何かに初めて現代的な解釈できちんと答えた哲学者はデリダではないかと考えていますが、その言葉の中に、アポリアという言葉に至る前のプロブレム、問題というところに、プロテクトする、自分の身を守るためにどうしたらいいかということが出てきます。目の前に立ちふさがるものが出てきて、それが自分に襲いかかってきたときに、どうやって身を守るのかということを、ジャック・デリダが講演で述べています。このプロテクション、プロテクトしていくということを、デザイナーの職能のプロテクト、問題として考えていきたいわけです。
僕はいまデザイナーが無理難題を通過していく方法としては、そういう問題意識を明確にする方法を取らなくてはいけないのではないかという気がしています。その一つが、お上がバシッとやる制度の中に、グッドデザインをデザイナーの問題意識の位置づけと思っています。実はグッドデザインには批判が多いことも事実です。その批判の一番大きなものは、お上がこれがいいものだと押し付けているという認識です。特にマスコミの方で批判する人は、そういう言い方をします。
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| 西山: |
中村雄二郎先生の話を聞いていて、二つのことを思い出しました。一つは、「デザインとは矛盾するものを一つの物体に納めることだ」というどなたかがおっしゃったコメント。そもそもユーザーの欲しいものとメーカーの売りたいものは相反する可能性が高いと思うんです。でも、だからこそデザイナーに存在価値がある。メーカーの生産するものをユーザーのニーズに近づけることができるから、ユーザーから商品の代金の中にデザイン報酬を含めてもらえるのだと思うのです。ですから、デザイナーには矛盾をなくすために、メーカーの人に、「しょうがないなあ」と言わせしめるチャーミングさ、強引さ、粘り強さみたいなものは必ず必要だと思います。生命力のないデザイナーは、ユーザーのためにメーカーを説得することはできない。
もう一つは、『権利のための闘争』という本を書いたイエーリングというドイツの法学者のことを思い出しました。この本で彼は、なぜ権利というもののために、人は闘わなくてはいけないのかという話を展開します。彼曰く、平和な社会において人間は自分が相手から攻撃されないようにするために、相手を傷つけないという契約を結んでいると。つまり、お互いが相手を傷つけないという契約を結んでいるから秩序が保たれており、仮に一度誰かが相手を攻撃した場合、相手に対して反撃をする権利を持っているからこそ、秩序を保つことができるんだということ言っています。本来デザイナーも権利を侵害されたら反撃にでる権利を持っているはずです。逆説的ですが、戦える牙があるからこそ、戦わずともすむのです。
ただし、デザイナーは自分自身の権利というより、デザイナーが代弁しているユーザーのニーズのために戦うべきだと考えています。ユーザーのニーズを守るためだからこそ、たとえば、営業の人と喧嘩ができてしまう。それがデザイナーのミッションだと思います。
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| 川崎: |
自分が30代の半ばから後半ぐらいにいろいろな賞をたくさんもらって、川崎和男がデザイナーとして認知されだしました。そのときに自分が一番感じたのは、デザインというのは形をつくる。先ほどおっしゃったように、矛盾しているものをある形の中にぐっと押し込めてしまう。ところが、この形をぶち壊してしまうのは言葉なんです。というのは、あるおばさんが「こんなものだめなのよ」と一言言うと、「あっ、だめなの」という話で、せっかくいろいろな工夫がされていても「だめ」となる。それから全く見慣れない、プライミング・イフェクト(経験という影響)がないものをデザインして出すと、奇抜なデザインとか奇をてらっていると言われて、もう売れない。そういう現象がすぐに日本では起こります。大衆がそういうものを認識する力がないから、その分言葉に対して自分のデザインを守らなければいけない。となると、「権利のための闘争」ではないけれども、自分のデザインの形を守るためには、自分の言葉で形をきちんと語って説明を徹底しないと通用しないんです。
いま研究所をつくるという話がいろいろあります。僕は大学人として研究所のプロジェクトに入っていると、名前をつけるときに「○○センター」の前にデザインを入れてくれと必ず言っています。そうすると、最初は通るんですが、必ずはずされるんです。僕はデザイナーだから、「○○デザインセンター」とデザインを入れてほしいと言うんです。なぜかというと、いままでの「○○研究所」ではオブジェクトしか見えていない。オブジェクトの次にゴールがあって、ゴールがグランドデザインで、社会的なものをつくっていくことだから、そこまでやろうとしたら、デザインという力が非常に必要です。
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| 西山: |
繰り返しになってしまいますが、デザイナーというのは、一つのプロフェッションであるべきだと僕は思います。プロフェッションの定義が、誰かに何かのサービスを提供して、その対価をもらえることだとするならば、デザイナーは誰かが困っている「困った!なんとかして」を解決してあげて、その問題解決料みたいなものをもらうんです。そして解決料は、どれだけ助かったのかによって高くも安くもなる。たとえば、生命にかかわる問題を解決したのなら、生命はかけがえがないものなので、高い報酬が出る可能性は高いと思います。環境もかけがえのないものなのでそれなりの料金をもらってもいい。たとえばちょっとだけ見た目が気になったという場合は、そもそも解決した問題が小さいので、料金は安くていいと思います。
この考えに従ってデザイナーが解決した問題に応じて報酬を得るためには、ユーザーに問題の大きさを認知させて、それは大変だと納得してもらってから、お金をもらわなくてはいけない。お医者さんもそうだと思います。そんなに大変じゃないのに、「大変だから手術しましょう」と手術したら、あとで訴えられますよね。それと一緒で、環境が大変だといって、みんなが環境が大変だと思う前に治療を施してしまったら、なんでこんなにコストをかけちゃったのと、どこかで槍玉に挙げられるはずです。
デザインをいきなり出すのではなく、言葉によるコミュニケーションでデザインをはじめる前に、ユーザーの問題意識を高め、みんなが「何とかしなければ」と思ったら、「ご安心ください。私はプロだから、それを解決しましょう。そして、ミッションを全うしたあかつきにはこれだけください」と堂々と言うべきです。デザインの必要性をわかりやすい言葉で表現できてその価値を体感させてくれる人たちが出てくることによって、デザイナーの役割や有用性は世間が認めてくれるようになると、デザイナー間で競争が出てきて、ユーザーに対してデザインが身近になり、好循環が生まれてくるような気がします。 |
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●かっこいい存在になるということ |
| 川崎: |
僕が今までの経験から培った企業コンサルタント的な見方ですが、キョウソウには「競走」と「競争」の2種類があるんです。同じ業界では「競走」したほうがいいんです。同じ業界の中で「競争」すると、つまらないエネルギーを消費して、その業界がだめになってしまう。日本の企業社会は、いまだに「競争社会」だと認識していて、「競走」ではなく「競争」をしている。そして台湾や韓国からIT商品が出てくると、彼らと対決し対抗しなくてはいけないと盲目的に「競争」をしてしまう。
グッドデザイン賞の審査委員長としては、実際のところ今年1回目で、どれぐらいの成果が出せるかとなった段階ですが、日本という国が貿易国家としてやっていくためには、こういう方向でデザインを持っていかないとダメになるということを言っていきたいんです。それにひっくるめると、プロフェッションの問題から環境の問題から、問題がものすごくたくさんあって、その問題解決というところでのデザイナーの役割の幅が非常に広がってきています。問題は多くありますが、それを乗り越えて道ができあがったら、僕は引き下がって、次はあなた方が行ってと自信を持って言える。そういう状況を作り上げていけたらと考えています。
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| 西山: |
プロとしてのデザイナーというのは何なのか、何をすべきなのか。何をしたらいくらもらえるのかというところを、デザイン界として、もう一回定義したほうがいいと思うんです。そうして定義されたことに対して、間違ったあこがれを持っているなら、それは捨ててもらうべきだし、実態がそうでないのなら改善すべきだし、逆にそれをうまくやって、この人の仕事は一流だ、プロとして賞賛に値するという人は、それはすばらしいこととして、世の中に対して提示していかなくてはならないと思います。「思う」と「行動する」と「言う」、この三つのものが重なったときに、デザイナー本人、および生み出したものは、明確なメッセージとなって世の中に出ていくと思うんです。たぶん人間もそうですが、思っていることをきちんと言って行動できる人は、すごくわかりやすくて、嫌われることもあるけれども、許してもらえる存在であると思います。
「思う」と「行動する」と「言う」ということは、「空想生活」でも大切だと思っています。言って、行動を起こして、その結果、誰かが「ああそうだよね」と思ってくれたら、仲間にたぐり寄せて、「一緒にやっていこうよ」という動きにしていきたい。ユーザーの気持ちの中にあるユーザー自身が気がついていない問題を解決する策をデザイナーのコンセプト、デザイン、そして行動に加えていき、モノづくり立国日本から出てくるものの付加価値を高めたいです。
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| 川崎: |
西山さんが今回の対談を通しておっしゃてきたように問題というのは実は明快なことだと思うんです。でも、モノをつくっている人、つくってくれる社会システムはまだ、その問題を冷静に認識できる段階には至っていないと思うんです。考えてみると、僕の役割として、一番かっこいいことはそこにあるのかもしれないけど、僕はデザイナーだから、近い将来にそういう状況であることをデザインしたい。いまデザイン界が抱えている問題を、僕はグッドデザイン賞の審査委員長として、その立場を利用して変えいていきたいと思っています。
そのきっかけづくりを今度の45回目のグッドデザインでやろうと思います。50周年を迎えるときには僕はもう引退していますが、50周年は儀式、そしていまはその祝祭の準備の時期だと位置づけています。だから、50周年のときのグッドデザイン賞をデザインするために、いま問題を捉え、その問題をよりよい解決方向に向かうようにするというのが僕の役割です。いまここで個々の商品のグッドデザインのプレゼンテーション、内覧会をやっていますが、やがては各出展企業が考えるグッドデザインとはこれだというブースが、ビッグサイトに並ぶ。願わくば、50周年、今から5年先ぐらいに、その中の一番大きなブースをバンと構えてもらっているのが実は空想生活であったら、世の中は変わると思います。
本当に、期待しています。本日はお忙しいところをありがとうございました。
(2001年8月28日 東京ビッグサイト・東4ホール会議室にて収録)
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●西山 浩平
エレファントデザイン株式会社 代表取締役
●川崎和男
名古屋市立大学 教授
2001年度グッドデザイン賞審査委員長 |
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空想生活のHP:
http://www.cuusoo.com/ |
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名古屋市立大学大学院 芸術工学研究科 川崎和男研究室のHP:
http://www.kz-design.net/ |
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※当会発行のデザイン誌「Design News」255号の特別付録は、空想生活との共同企画「Designer's Classified」です。
丸善をはじめ全国有名書店にてお買い求めいただけます。 |
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デザインニュースの紹介ページ:
http://www.jidpo.or.jp/designnews/index.html |
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