僕は査委委員の中で、「50歳定年説」を発言してきた人間ですので、自分自身が50代になったら審査委員を離れようと思っていました。ところが後ろを見てみたら、若手が全然育ってきていない。今回も若手のGマークの審査委員を選ぼうと思ったら、インテリア、建築、グラフィックには、ジャーナリズムに取り上げられている若手が大勢いるんです。ところがインダストリアルデザイナーに関しては、ほとんどがインハウスですし、いないんです。この職業は人気殺到という時期もありましたが、現在では、プロダクトデザイン、インダストリアルデザインは、若い男の子があまり目指していない職業になってしまっているんですね。
中国やマレーシアを見ると、職能、プロとしてかなり魅力があるから、若者の憧れの職業になっているのに、日本に関して言うと全く憧れの職業になっていない。これも実は、僕らよりちょっと上の世代が、食い逃げをしているような気がします。それはある一部の人ですが、食い逃げをしてもらっては困ると思っているんです。もちろんJIDAの理事の中には、食い逃げはしない、最後まで頑張るとおっしゃる先輩方もいらっしゃいます。
>企業も企業で、いちばん厳しい時期にこそ、デザイン部門を拡大しなければいけないのに、そうはなっていない。こんなことをやっていたら、貿易立国である日本の商品の顔をつくっていくいちばんの源である職能人が育ってこない可能性がある。こういう大きな問題を抱え込んでいて、その部分でわれわれは多くの経験を持った職能人として、次の世代の人たちに、こうなってくれよというメッセージを出さなければいけないだろうと考えるわけです。
大倉:いまは冬の時代です。非常にいい上げ潮の時期はたしかにありましたが、そういうときにある意味ではおごっていたのかもしれませんね。つまりバブルがはじけて、産業としてデザインの力が評価されていないことがわかったときは、すでに手遅れだったわけです。資産をつくれるときにつくらないで、金がなくなってから、はたと困るという話です。
その前に言えることは、特に最近のように、デザインが情報化し、インタラクティブだ、サステイナブルだ、ユニバーサルだと、考えるべき問題が山積していますが、こういうものも直感的に感性的なレベルで嗅覚を働かせればやれる部分でもあるでしょう。ところが能力として、まず嗅覚があるとともに、一種の錬成、それをものに練り上げていく、あるいは空間を練り上げていく力が必要なわけです。そうした多面的な能力をデザイナーは必要としていますが、それができない人が多い。そのバランスを取るのがデザインでもあるけれども、それがまた難しいわけです。それほど多面の能力を必要するものを総合だというわけで、昔からデザインは総合だといっていますが、総合をやれる能力のある人間がデザイナーになっているかという問題には、だれも答えていないんです。
デザイナーのプロフェッションといっても、何をもってプロフェッションとするかという問題もあります。専門分化の尻尾がくっついている人たちが多いから、狭い専門のプロだと言っている人もたくさんいるわけです。
私はJIDAの中にいても思うし、グッドデザインの審査もそうですが、これから本当にそのことを考えなければいけない。それが教育のシステムに「総合」という概念を反映できなかった理由だと思うんです。全部見えれば、教育はこうあるべきだということがもう少しできたと思いますが、食えないから何とかしがみついて先生になったような人が少なくない。どの世界にも当てはまることですが、その世界が要求する一つの指針なり、方向づけがあって、その構成要員は成功するためにその世界の要求値に合わせていくわけです。たとえば論文をいくつ書いたかによって評価が定まるみたいなことです。ところが、いちばん最高のデザインの判断というのは、そういう問題ではなく、この国のいま置かれている状況から見るとデザインは非常に重要だけれども、後進国型ではない新しいデザインのテーゼなり、プレゼンテーションなりができるということがあるじゃないですか。しかし見ていると、それがほとんどできない。このあたりからいって難しいと思う。
なおかつ、それが無理だったのは、日本の高度成長期の中で大学を出てインハウスデザイナーになった人たちは、あるところで洗脳されましたよね。会社に入ったら、会社の流れに乗っていかないと、自分の居場所がなくなる。その居場所というのは、従業員として一つの歯車になっていくことであって、会社側から視てデザインのプロフェッションという本質が問われていたわけではなかったんです。そういう人たちが50、60になって、ある組織の中で枢要な地位を占めてこられた。ところが、個人としての本来のデザインプロフェッションのあるべき姿として、自分たちはいま何の布石をしていかなければいけないということまで戦略的に考えていた人はそんなにいなかっただろう。これはJIDAの問題でもありますが、日本のデザイン界全体の問題です。
いまデザイナーが抱えている問題は、そういうところまで遡ってしまうんです。スポイルされた中で育てられて、さあ、自由にやりなさいよと言われても、いまこそデザインの時代なのに、それに対する提案ができる人がほとんどいないのが現状です。残念だけれども、非常に構造的な問題があって、そこまで遡って考えないといけない。私は最近、日本のデザイン発祥、昭和25、6年まで遡って、ものを考え直してみる必要があると思っています。
川崎:もう間もなく、デザイナー資格制度は職能団体にとっても大きな問題になってくると思います。ただここがまた問題で、だれがその資格を認めるんだという話になりますし、そこでまたいろいろなお金の動きだとか、権力闘争とかが出てくるはずです。それらも引っくるめて、それは俺がやるんだ、俺がリーダーシップを取るんだという人が非常に求められています。私もリーダーシップをとると明言するつもりです。